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【第4章追加しました!】婚約破棄? 知りません。睡眠の方が大事です! ~復讐は不眠症王太子に丸投げして、離宮で抱き枕生活はじめます~  作者: 月雅
第3章

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第2話 王の激怒、妻の冷静



 クラウス様が執務机を拳で叩きつけた。


 バンッ!! という破壊音が響き、頑丈なマホガニーの天板に亀裂が走る。

 執務室に控えていた宰相や将軍たちが、一斉に息を呑んで平伏した。


「国境軍、第一から第三師団まで全て動員しろ。離宮周辺には結界師を倍増させろ。……帝国軍が一歩でも足を踏み入れたら、その瞬間に焼き払う」


 低く、地を這うような声。

 それは王の命令というより、怒れる魔獣の咆哮に近かった。


 先ほど、帝国からの特使を追い返してから数時間。

 クラウス様の怒りは収まるどころか、時間を追うごとに鋭さを増していた。

 彼の全身からは青白い魔力が陽炎のように立ち上り、室内の空気を凍りつかせている。


「陛下、しかし即時開戦となれば、国民への負担も甚大です。まずは外交ルートでの抗議を……」

「抗議だと? 奴らは私の妻を『物』として要求したのだぞ! 交渉の余地などない!」


 クラウス様が将軍を一喝する。

 その瞳は血走り、理性の光が危うい。

 彼は本気だ。

 私を守るためなら、世界を敵に回してでも、国一つを灰にしてでも構わないと思っている。

 それは深く激しい愛だけれど、同時に破滅的な愛でもあった。


 私は部屋の隅にある長椅子に座り、震える手でお腹をさすっていた。

 怖い。

 戦争が始まるかもしれない恐怖。

 そして何より、愛する夫が修羅になっていく姿を見るのが怖い。


 お腹の子が、ポコポコと不安げに暴れている。

 パパが怖いよ、と訴えているみたいだ。


(……しっかりしなさい、ミズキ)


 私は自分自身を叱咤した。

 ここで私が怯えていたら、誰が彼を止めるのか。

 彼が世界を燃やしてしまったら、私たちの愛する「安眠」はどうなる。

 平和な寝室も、穏やかな昼寝も、すべて戦火に消えてしまう。


 それだけは絶対に阻止しなくてはならない。

 私は元社畜で、効率主義者だ。

 感情に任せてコストの高い戦争を選ぶなんて、私の美学に反する。


 私は立ち上がった。

 足が少し竦んだけれど、深呼吸をして踏ん張る。


「……皆さん、少し人払いを」


 私が静かに告げると、将軍たちは救われたような顔をして、逃げるように退室していった。

 部屋には、私とクラウス様だけが残される。


「ミズキ、君は休んでいろと言っただろう。ここは殺気が強すぎる。お腹の子に障る」


 クラウス様が私に背を向けたまま言う。

 私を気遣う言葉だが、その声は硬い。

 きっと、今の狂乱した顔を私に見せたくないのだ。


「クラウス様。……こっちを向いてください」

「駄目だ。今の私は、君が知っている優しい夫ではない」

「知っています。あなたは今、怒れる王様です。でも、私にとってはパパですよ」


 私は彼の背中に近づき、後ろからそっと抱きついた。

 彼の背中は岩のように強張っていた。

 冷たい魔力の棘が肌を刺すが、私は構わず腕に力を込めた。


「……戦争をすれば、あなたが忙しくなってしまいます」

「国を守るためだ」

「あなたが戦場に行けば、私は毎晩独りぼっちで寝ることになります」

「君を守るためだ」

「そんなの嫌です。私はあなたと、この子と、三人で川の字になって寝たいんです」


 私の言葉に、クラウス様の体がピクリと震えた。


「……私だってそうだ! だが、奴らは君を奪おうとしている! あの狂った皇帝が、君を道具として消費しようとしているんだぞ!」


 彼が振り返り、私の肩を掴んだ。

 その目には涙が溜まっていた。


「耐えられないんだ。君がいなくなる世界を想像するだけで、気が狂いそうになる。……だから、殺すしかない。脅威となるものは全て」


 ああ、やっぱり。

 この人は、まだあの時の「孤独な少年」のままだ。

 魔力過多に苦しみ、誰も信じられず、眠れない夜を過ごしていた頃の傷が、まだ癒えきっていない。


 私は彼の手を取り、自分のお腹に当てさせた。


「落ち着いてください。私はここにいます。どこにも行きません」


 私の掌から、鎮静の魔力を流し込む。

 温かく、静かな波が、彼の荒れ狂う魔力を包み込んでいく。


「それに……あの皇帝も、あなたと同じなのでしょう?」

「え?」

「魔力過多症。強すぎる力に振り回され、眠れず、精神を蝕まれる病。……今の彼に必要なのは、剣による断罪ではなく、救いではないのですか?」


 クラウス様がハッとして私を見た。


「君は……奴を、助けるつもりか? 自分を攫おうとした敵を?」

「いいえ。助けるのではありません」


 私は首を横に振った。


「『取引』をするんです。私たちは平和と安眠が欲しい。彼は治療が欲しい。なら、需要と供給は一致しています」


 これはビジネスだ。

 感情論で殺し合うより、互いに利益のある解決策を探る方が、よほど建設的でスマートだ。


「……君という人は」


 クラウス様の目から、狂気の光が消えていく。

 代わりに宿ったのは、呆れと、そして深い信頼の色だった。


「聖女なのか、それとも稀代の商売人なのか」

「両方ですよ。そして何より、あなたの妻です」


 彼が脱力したように私にもたれかかってくる。

 私はその重みを支え、頭を優しく撫でた。

 大きな子供をあやすように。


 もう、彼は大丈夫だ。

 私が支える。

 守られるだけの姫は卒業した。

 これからは、私が彼の手を引き、正しい道――一番よく眠れる道へと導いていくのだ。


 その時。

 執務机の上に置かれていた通信用の魔導具が、激しい光を放ち始めた。

 緊急連絡を示す赤色ではない。

 冷たく澄んだ、氷のような青色。


 これは。


「……ソフィアからか?」


 クラウス様が顔を上げ、魔導具に手をかざした。

 空間に映像が投影される。

 そこに現れたのは、隣国スノーランドの王女、ソフィア殿下の凛とした姿だった。


『ごきげんよう、アルカディア国王陛下、王妃陛下。……随分と物騒な空気が漂っているようね』


 画面越しでも分かるほど、彼女の背景は慌ただしかった。

 おそらく、彼女もまた帝国の動きを察知し、対応に追われているのだろう。


『単刀直入に言うわ。帝国の内情について、面白い情報が入ったの。……あなたたちの「安眠」を守るための、切り札になるかもしれないわよ』


 彼女はニヤリと笑った。

 それは、頼もしい共犯者の笑みだった。


 風向きが変わる。

 嵐の中で、一筋の光が見えた気がした。


「聞かせてください、ソフィア殿下」


 私はクラウス様の手を強く握り返し、画面に向かって身を乗り出した。

 さあ、反撃の準備だ。

 私たちの平和な寝室を取り戻すための、最後の商談を始めよう。


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