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【第4章追加しました!】婚約破棄? 知りません。睡眠の方が大事です! ~復讐は不眠症王太子に丸投げして、離宮で抱き枕生活はじめます~  作者: 月雅
第2章

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第10話 新しい命と予感



「……疲れたか、ミズキ」

「ええ、正直に言えば。顔の筋肉が引きつって戻りません」


 重厚な扉が閉められ、二人きりになった寝室で、私は大きく息を吐き出した。

 豪奢な王妃の礼服を脱ぎ捨て、肌触りの良いナイトウェアに着替えた瞬間、どっと疲労が押し寄せてきた。

 即位式、パレード、そして祝賀会。

 一日中、何千人もの人々の視線に晒され、完璧な笑顔を貼り付け続けていたのだ。

 元社畜としての根性で乗り切ったものの、今の私は電池切れ寸前の玩具のような状態だ。


「よく頑張ってくれた。君のおかげで、最高の即位式になったよ」


 クラウス様――いいえ、今日からは国王陛下となった夫が、私を労るように抱き寄せた。

 彼もまた、王冠の重圧に晒され続けていたはずなのに、その腕は力強く、体温は心地よい。

 王としての威厳を纏った彼は素敵だけれど、こうして二人きりの時に見せる、甘えたような表情の方が私は好きだ。


「さあ、寝よう。明日は公務を入れないようにしてある。一日中、このベッドで過ごそう」

「ふふ、新国王がいきなりサボりですか?」

「サボりではない。王妃の体調管理も重要な公務だ」


 彼は悪戯っぽく笑い、私を抱き上げてベッドへと運んだ。

 慣れ親しんだスプリングの感触。

 最高級の羽毛布団に包まれると、張り詰めていた神経がほどけていく。


 サイドテーブルの明かりが落とされ、部屋は月明かりだけになった。

 静寂が満ちる。

 私の安眠を守るための結界が、今日も完璧に機能している証拠だ。


「……ねえ、あなた」


 私は彼の胸に頬を寄せ、指先でその広い背中をなぞった。


「これからは、本当に何でも相談してくださいね。私を蚊帳の外に置かないでください」

「ああ、約束する。……ただし、条件は覚えているな?」

「はい。無茶はしないこと。危険な場所には近づかないこと。そして、睡眠時間を確保すること」


 私たちが交わした、新しい契約。

 それは一方的な保護ではなく、互いを尊重するためのルールだ。

 ソフィア王女との一件で、私たちは学んだ。

 隠し事は不信を生み、過保護は相手の翼を折るのだと。


「君には敵わないな。……本当に、強くなった」

「あなたのおかげですよ。守られているだけじゃ、つまらないと気づかせてくれましたから」


 クラウス様の手が、私のお腹へと伸びてきた。

 式典用のドレスの下で締め付けられていたお腹を、優しく撫でてくれる。

 妊娠五ヶ月。

 まだ目立つほどではないけれど、そこには確かに膨らみがある。


「この子も、君に似て強い子に育つだろうな」

「あら、あなたに似て甘えん坊かもしれませんよ?」

「それは困るな。ママを独占するのは私だけでいいのに」


 本気とも冗談ともつかないことを言って、彼は私のお腹に耳を当てた。


「……聞こえるか? パパだぞ。早く出ておいで」


 彼が話しかけた、その時だった。


 ポコッ。


 お腹の奥で、小さな気泡が弾けたような感覚があった。

 今まで感じたことのない、不思議な感触。

 私の胃腸が動いたわけではない。

 もっと明確な、意思を持った動き。


「……!」

「あ……」


 クラウス様が顔を上げ、私と視線を合わせた。

 その青い瞳が見開かれている。


「今、動いたか?」

「はい……動きました。ポコって」

「胎動だ……!」


 彼の手が震えている。

 再びお腹に手を当て、全神経を集中させているのが分かる。

 しばらくすると、また小さく、ポコッ、と内側からノックされた。


「……生きている」


 クラウス様の声が湿り気を帯びた。

 彼は感極まったように、お腹に額を押し付けた。


「ここに、命があるんだな。私と君の、新しい家族が」


 その姿を見て、私も胸がいっぱいになった。

 知識としては知っていた。

 お腹に赤ちゃんがいることも、エコーのような魔導具で確認済みだ。

 でも、こうして直接「ここにいるよ」と主張されたのは初めてだ。


 守らなければ。

 この小さな命を。

 そのためなら、私はどんな敵とも戦える。

 どんな困難も乗り越えられる。


 かつて、私は自分の安眠のためだけに生きていた。

 誰にも邪魔されず、静かに眠ることだけが幸せだった。

 でも今は違う。

 この子の寝顔を守るためなら、私は眠れない夜を過ごすことさえ厭わないだろう。


「……クラウス様。私たち、親になるんですね」

「ああ。……絶対に幸せにする。君も、この子も。私の命に代えても」

「命に代えちゃ駄目です。一緒に生きて、一緒に寝るんです」


 私が叱ると、彼は涙ぐんだ目で笑った。


「そうだな。一緒に寝よう。……ずっと、三人で」


 彼の腕が私を包み込む。

 今夜の抱擁は、いつにも増して温かく、そして力強かった。

 恋人としての情熱だけでなく、家族としての深い愛情がそこにはあった。


 窓の外を見る。

 満月が、青白い光を降り注いでいる。

 庭の花々が風に揺れ、静かな音を立てている。


 平和だ。

 これ以上ないほど、満ち足りた夜。


 けれど。


 ふと、背筋に冷たいものが走った。

 風の音が、変わった気がしたのだ。

 南から吹いていた柔らかな春風が止み、北の方角から、鋭く冷たい風が流れ込んできたような。


 北。

 ソフィア王女の国、スノーランドよりもさらに北。

 そこには、強大な軍事力を持つ帝国があるはずだ。


(……気のせいでしょうか)


 私は身震いをして、クラウス様の胸に顔を埋めた。

 彼は私の不安を察知したのか、何も言わずに背中を撫でてくれた。

 その手つきは優しかったけれど、どこか彼もまた、同じ予感を感じ取っているように思えた。


 幸せの絶頂。

 けれど、その足元には、まだ見ぬ嵐の種が芽吹いているのかもしれない。

 それでも、今の私はもう一人ではない。

 隣には最強の夫がいて、お腹の中には希望がある。


 私は彼を見上げ、不安を振り払うように微笑んだ。


「ねえ、クラウス。……風が、変わった気がしませんか?」


 彼は一瞬だけ遠くを見る目をして、それから私に口づけをした。


「どんな風が吹こうとも、この場所だけは私が守り抜く。……さあ、おやすみ。今はただ、幸せな夢を見よう」


 彼の言葉を信じて、私は目を閉じた。

 安らかな眠りの中へ。

 明日の風向きがどう変わろうとも、今日という日の幸福は、誰にも奪えない宝物なのだから。


(完)


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