第5話 お茶会の攻防
(……心臓が、口から飛び出しそうです)
私はサロンのソファに座り、膝の上で拳を握りしめながら、必死に平静を装っていた。
時計の針は午後二時を回ったところだ。
クラウス様は地方視察へ出かけており、夕方までは戻らない。
離宮の警備は厳重だが、エルヴィンの手引きと、私の「王太子妃」としてのささやかな権限(来客リストの事後報告)を使って、この場を整えた。
これは、賭けだ。
失敗すれば、クラウス様との信頼関係にヒビが入るかもしれない。
それでも、私は動かずにはいられなかった。
「ソフィア・フォン・スノーランド王女殿下、ご到着です」
侍女のマリアが、緊張で強張った声で告げる。
重厚な扉が開かれた。
現れたのは、先日庭で会った時と同じく、冷ややかな美貌を纏ったソフィア王女だった。
しかし今日の彼女は、どこか戦闘態勢に入っているように見える。
青い瞳が、油断なく室内を見回し、そして私を射抜いた。
「ごきげんよう、ミズキ様。……このような『個人的な』お招きをいただけるとは、驚きましたわ」
彼女は皮肉っぽく口角を上げた。
公式ルートを通さない招待状。
それが何を意味するのか、彼女ほど聡明な人間なら理解しているはずだ。
「ようこそおいでくださいました、ソフィア殿下。急なお誘いで申し訳ありません。……どうしても、女同士でゆっくりお話ししたかったものですから」
私は立ち上がり、精一杯の愛想笑いで迎えた。
背中を冷や汗が伝う。
彼女の背後には護衛も侍女もいない。
単身で敵陣(離宮)に乗り込んでくる胆力。さすがは次期女王と名高い方だ。
「それで? わたくしに何の用ですの? 泣き落とし? それとも、夫に言いつけるぞという脅迫かしら?」
ソフィア王女は勧められたソファに座ると、扇子を開いて口元を隠した。
警戒心丸出しだ。
「いいえ。そのような生産性のない話をするつもりはありません。……まずは、お茶とお菓子をどうぞ」
私が合図を送ると、マリアがワゴンを運んできた。
テーブルに並べられたのは、私の特製ハーブティーと、鮮やかな赤色のタルト。
ソフィア王女の視線が、タルトに釘付けになった。
一瞬、その冷徹な瞳が揺らぐ。
「これは……スノーベリー?」
「はい。殿下の国、スノーランドの特産品ですよね。先日、市場で見かけたので、我が国の製法でコンポートにし、タルトに仕上げてみました」
スノーベリーは、寒冷地でしか育たない酸味の強い果実だ。
そのままでは酸っぱすぎて食べにくいが、適切な糖度で煮詰め、クリームと合わせれば絶品になる。
「毒見は済ませておりますわ」
「……いただきます」
ソフィア王女は躊躇いながらも、フォークを伸ばした。
一口食べる。
酸味と甘味のバランスに、彼女の眉がぴくりと動いた。
美味しい。
そう顔に書いてある。
「……悪くないわね。故郷のものより、洗練された味がするわ」
「ありがとうございます。素材が良いのです。ただ、加工技術が少し足りないだけで」
私はにっこりと微笑み、本題へと切り込んだ。
「魔導石も同じだと思いませんか?」
カチャリ。
ソフィア王女がフォークを置いた。
サロンの空気が、一瞬で張り詰める。
「……どういう意味かしら」
「スノーランド産の魔導石は、魔力含有量は高いものの、不純物が多く混じっていると聞きます。そのため、市場では二束三文で買い叩かれている。……違いますか?」
彼女の目が細められた。
図星だ。
「我が国との不平等条約を改正したいという殿下のお気持ちは理解できます。ですが、単純に関税を下げたところで、品質が変わらなければ根本的な解決にはなりません」
「……素人が、知った風な口を」
「素人ではありません。私は元・公爵家の経営者です」
私は背筋を伸ばし、彼女の目を真っ直ぐに見つめ返した。
ここで引いては駄目だ。
私は守られるだけの姫ではないと、証明しなければならない。
「提案があります。我が国の最新の『洗浄技術』を提供します。私の魔力を触媒にした特殊な洗浄液を使えば、御国の魔導石から不純物を九割以上除去できます」
「九割……!? 馬鹿な、そんな技術があるはずがないわ!」
ソフィア王女が身を乗り出した。
冷静な仮面が剥がれかけている。
「あります。私が温室で実験済みです。……その技術を提供する代わりに、加工された魔導石の販売権を、我が国とスノーランドで折半にする。これなら、お互いに利益が出るはずです」
ウィン=ウィンの関係。
一方的な搾取でも、無理な要求でもない。
ビジネスとしての対等なパートナーシップ。
ソフィア王女は扇子を閉じ、じっと考え込んだ。
頭の中で高速で計算しているのだろう。
この提案が、どれほどの利益を生むかを。
「……あなたは、ただの『眠り姫』ではなかったのね」
やがて、彼女は深いため息をつき、私を見た。
その目には、先ほどまでの侮蔑の色はなく、一人の交渉相手を見る真剣な光が宿っていた。
「面白いわ。その話、もう少し詳しく――」
バンッ!!
その時だった。
サロンの扉が、乱暴に叩き開けられたのは。
悲鳴を上げる侍女たちを押しのけ、冷気を纏った黒い影が飛び込んできた。
「ミズキ!!」
雷鳴のような怒号。
そこに立っていたのは、夕方まで戻らないはずの夫――クラウス様だった。
銀髪を振り乱し、肩で息をしている。
全身から放たれる魔力は、怒りでバチバチと火花を散らしていた。
「ク、クラウス様……?」
「何をしている! 安静にしていろと言ったはずだ! それに、この女は……!」
クラウス様の視線が、ソフィア王女を捉える。
殺気。
明確な敵意が、彼女に向けられた。
「我が妻に何の用だ、ソフィア。彼女を精神的に追い詰めに来たのか?」
「あら、人聞きが悪いわね。わたくしはお茶に招かれただけよ」
ソフィア王女は動じずに紅茶を啜った。
しかし、その手は僅かに震えているのが見えた。
本気で怒った王太子の圧力は、他国の王族といえど恐ろしいものだ。
「ミズキ、こっちへ来い。今すぐだ」
クラウス様が私に手を伸ばす。
その目は血走っていて、理性が飛びかけている。
私が危険に晒されていると誤解しているのだ。
「待ってください、クラウス様! 私たちはただ、お話ししていただけで……」
「話など必要ない! 君はお腹の子のことだけを考えていればいいんだ!」
彼の怒鳴り声に、私はビクリと体を強張らせた。
違う。
そうじゃない。
私はあなたを助けたくて、二人の未来を守りたくて動いたのに。
どうして分かってくれないの。
「……帰ってください、ソフィア殿下。話の続きはまた後日」
「ええ、そうですわね。……この状況では、建設的な議論は無理そうですもの」
ソフィア王女は優雅に立ち上がり、私に目配せをした。
『あとは任せたわよ』と言いたげな視線。
彼女は嵐のようなクラウス様の横をすり抜け、サロンを出て行った。
残されたのは、怒れる夫と、立ち尽くす私だけ。
重苦しい沈黙が落ちる。
「……説明してもらおうか、ミズキ」
クラウス様の声は低く、震えていた。
それは怒りというよりも、裏切られた悲しみの響きだった。
私は覚悟を決めて、彼に向き直った。
もう、逃げるわけにはいかない。
夫婦喧嘩の始まりだ。




