「モザイク越しの青」
朝の光は、淡い蜂蜜色をしていた
窓を透かして差し込むそれは、春の花粉を含み
揺らぎながら部屋を満たす
街は今日も整然としていて
歩道の花壇は規則的に並び
信号は誰にも迷わず色を変える
だけど、私の視界では
全ての色が均一な灰色に沈んでいた
色はまだあるはずなのに
輪郭がぼやけて見えない
向かいのマンションのベランダから
隣人が笑いながら「また話題になってるってさ」と言った
その声はやさしい響きを持っていたが
なぜか指先から落ちる影が赤黒く揺れて見える
笑顔は光に透けているのに
影は濃いままだ
優しい言葉は時に
毒よりも静かに効く
ネットでは今日も
清らかな意見や正しさの競い合いが渦を巻いている
タイムラインは、善意と悪意と退屈で満たされる
数字に変換された共感は
夜になるともう別の話題に塗り替えられていく
私も、その流れに乗っていた
加工アプリで作る「理想の自分」は
現実の疲れた顔を消してくれる
目の下の影も、赤みも、表情の緩みも消し去って
きれいな角度だけを切り取る
数秒の映像や、静止した笑顔だけが
私の存在を証明する
「大事にしなきゃいけないもの」が
口癖みたいに飛び交う
生まれ持ったこの身体
守るべき明日
必ず訪れるはずの幸運
そんな言葉を耳にするたびに
空は淡い青から金属の鈍色へと変わる
未来の輝きなんて
誰かの絵筆で上塗りされたガラスのようだ
中に何があるのかは見えない
光だけが反射している
夜、川沿いを歩く
街灯が水面に長く伸び
火の線のように揺れた
夜風は骨の奥まで冷たく
まるで身体の中の色を奪っていくようだ
花壇のスミレは紫の奥に黒を抱え
並木の桜は月の下で白く透き通っている
そこに触れれば
指先が切れそうなほどの鮮やかさ
なのに、その鮮やかさの中に
自分だけが存在しない気がした
好きだったものは
歳月と共に形を変え
少しずつ腐っていく
成長は必ずしも羽ばたきじゃない
羽化した蝶が
飛ぶ前に翅を畳んでしまうことだってある
欄干に手をかけると
金属の冷たさが骨を伝って心臓まで届く
終わりが近づく予感に
安堵と微かな喜びが混ざった
──そのときだった
遠くの空が
あり得ないほど澄んだ群青に変わった
フィルターも報道も、誰かの評価も通さない
生の色
それは冷たく、透明で
そして恐ろしく美しかった
ほんの数秒、その青を見たせいで
私は手を離してしまった
朝が来る
ニュースも、飾った笑顔も、切り取られた世界も
また始まる
でも、あの色は確かに存在した
それを知ってしまった私は
今日も終わらずに続ける
終わりを願ったまま、生き延びてしまう
モザイク越しに見えたあの青が
いつかまた現れることを祈りながら