メイドと受付嬢
アル様が冒険に出掛けた翌日。
ソワソワとドキドキが入り混じったような妙な気持ちで目覚める。
ユリウスさんやロロアさん、それにミュウさんとガルボさんがついているんだから大丈夫だと何度自分に言い聞かせてもその不安な気持ちは治まらなかった。
ため息を吐きつつ、屋敷の掃除を始める。
誰もいない屋敷はガランとしていて、妙に広く感じた。
たったそれだけで寂しさが募ってくる。
私は思わず泣きそうになっている自分に気付き慌てて目元を拭った。
昼。
一人分の食事を作る。
そこでもまた寂しさを感じ、普段ならありえないほど簡単な料理で昼を済ませた。
繕い物をし、庭を掃いて一通りの家事を終える。
普段なら遊びに来たリリカちゃんやライラちゃんのおやつを用意したり、お風呂の準備をしたりして忙しいはずの時間が妙にゆったりと流れていくのがものすごく気持ち悪かった。
いてもたってもいられず、家の外に出る。
特に必要な物はなかったが、このまま家の中にいたのでは寂しさでどうにかなってしまいそうだと思い、買い物かご片手に商店街へと向かった。
なんのあてもなく商店街を歩く。
小さな村の小さな商店街は夕飯の買い物に出かけてきたご婦人方でほんの少し賑わっていた。
そんな光景を見て、
(みんなこれから楽しい夕飯の時間なんだろうな……)
と思うと胸が苦しくなってくる。
(アル様大丈夫かしら? ちゃんとご飯食べられてるかしら?)
と募る不安を抱えてぼんやりしていると、
「あら。メルさんじゃない。お夕飯のお買い物?」
と声を掛けられた。
「ああ、ジュリアさん、こんばんは。お仕事終わったんですか?」
「ええ。今日は平和な一日だったからちょっと早めに仕事を切り上げたの。メルさんはまだお仕事なの?」
「いえ。アル様が家にいらっしゃらないので、どうしたものかと思って時間つぶしに来ただけなんです」
「ああ、そうだったわね。うちもギルマスがいないから書類仕事が少なくてちょっと退屈だったのよ」
「そうなんですね」
「ええ。でも、おかげでのんびりさせてもらえるから良し悪しだけど」
「私も、一人になってどうしていいかわからないくらい暇で……」
「あら。じゃあ、一緒にご飯食べない? この先の定食屋さん、けっこう美味しいのよ」
「え? でも……」
「あはは。独り身の私を助けると思って付き合って? ね?」
「えっと、はい……」
と、その場の流れでギルドの受付のジュリアさんと食事に行くことが決まる。
私は、
(そうね。どうせ一人で食べるのもどうかと思ってたところだし、ちょうど良かったかも……)
と思いながら、ジュリアさんおススメだというその定食屋に向かった。
「銀狼亭」というなんとも勇ましい名前の定食屋に着き、
「らっしゃい!」
と威勢のいい声に迎え入れられる。
そして、
「お。ジュリアちゃん。今日はもうおしまいかい?」
「ええ。今日は平和だったしギルマスもいないからちょっと早めに切り上げちゃったの。それで、メルさんと偶然会ったから誘ってきちゃった」
「なるほどね。じゃあ、今日はゆっくり飲んで行きなよ」
「あら。いいわね。メルさんお酒は?」
「いえ。私、飲んだことが無くって……」
「あら。じゃあ無理にとは言わないけど、ひと口くらい飲んでみる?」
「え? でも……」
「いいじゃない。何事も経験よ?」
「……じゃあ、ひと口だけ……」
「うふふ。じゃあ、ビール二つね」
「あいよ!」
という話しの流れに乗せられて生まれて初めてお酒を飲むことになってしまった。
(どうしましょう。勢いで言っちゃったけど、これって不良よね?)
と今さら自分の行動に冷や冷やしつつ席に着く。
「おススメはこの肉炒め定食かな? あ、カツ煮定食も美味しいわよ。どっちもビールにピッタリなの」
と嬉しそうに進めてくるジュリアさんに少し戸惑いつつ、
「じゃあ、カツ煮の方を。食べたことない料理なので……」
と言うと、ジュリアさんはニコッと笑って、
「カツ煮と肉炒めね!」
と大きな声で厨房の方に注文を出した。
「あいよ!」
と快活な声が返ってくる。
そして、あまり間を置かず女将さんらしき人が、
「あいよ。ビールね」
と言って大きなジョッキを二つ持って来た。
「うふふ。とりあえず乾杯ね」
「あ、はい。乾杯」
とジョッキを軽く合わせて、恐る恐るビールを口に運ぶ。
始めて飲むビールの味はびっくりするほど苦く、しかし、どこか爽やかな香りもして、
(なるほど、慣れれば癖になるかもしれないわね……)
と、なんとなくそう思った。
「どう?」
「はい。苦いですけど、ちょっと癖になる感じですかね?」
「うふふ。そのうちこの一杯のために頑張ろうって思えるようになるわよ」
「……そんなものなんでしょうか?」
「ええ。特に私なんて日々荒くれ者の冒険者たちの相手をしてるじゃない? だから、仕事が終わったら、こう、無性に息抜きがしたくなるのよねぇ」
「なるほど。ギルドの受付っていうのも大変なお仕事なんですね?」
「うふふ。そうね」
と言いつつ、もう一口ビールを飲む。
やっぱりビールの味は苦いと思ったけど、不思議とひと口目よりもすんなりと私の喉を通っていった。
それから、
「ロロアさんって家ではどんな感じなの?」
とか、
「ミュウさんの料理が毎日食べられるなんてうらやましいわ……」
というジュリアさんの話に付き合って、ぽつぽつと話しながら食事が来るのを待つ。
すると、しばらくして、
「はい。お待ち!」
という威勢のいい声と共に、カツ煮なるものがやってきた。
「カツ丼とかカツ重とはちょっと違って美味しいわよ」
と言うジュリアさんの言葉を聞き、興味津々で箸をつける。
見るからに熱々のカツをふーふーしてから口に運ぶと、たしかにカツ丼やカツ重とは少し違って出汁のうま味がじゅわっと口の中に広がった。
「あふっ……。でも、美味しい」
と正直な感想が口から洩れる。
そんな私にジュリアさんは、
「でしょ? ここのカツ煮って出汁が甘めなのに、うま味たっぷりだからビールにもよく合うのよ」
となぜか得意げな顔でそう言ってきた。
それから、少しお互いの仕事の話をする。
私の話なんて聞いても面白くないだろうと思ったが、ジュリアさんは意外と興味津々と言った感じで聞いてくれた。
「メイドのお仕事っていうのも大変なものなのね……。でも、受付とは違ったやりがいがありそう」
「そうですかね? ちなみに、受付の仕事のやりがいってどんな時に感じるんですか?」
「そうねぇ。やっぱりある意味命を預かっている仕事だから、冒険者さんたちが無事に戻ってきてくれた時の安心感っていうか充実感っていうか……、そういう喜びが大きいかな?」
「そうなんですね。私だったら毎日ハラハラして身が持たないかもしれないです」
「うふふ。メルさんって優しいのね」
「……そんなことないですけど……」
と話しながらちびちびとビールを飲み、食事を口に運ぶ。
そして、気が付けば私は顔を赤く染め、ちょっとふわふわとした気持ちで、
「うふふ。アル様ったら本当に優秀で可愛らしい方なんですよ」
とか、
「最近、アル様があんまり遊んでくれないから、ちょっと寂しいんですけどね……」
というような話をしていた。
そんな自分に自分で驚きつつも、先ほどまで感じていたはずの寂しさが紛れていることに気が付く。
ジュリアさんはそんな私をなんだか微笑ましそうな目で見て、ひと言、
「よかった。元気になったみたいね」
と言ってくれた。
「あ、ごめんなさい。私ったら気を遣わせちゃって……」
と恐縮する私に、
「ううん。ギルマスにも気にかけてあげてって言われてたし、それに、一人の寂しさはよくわかるから」
と困ったような笑顔で返してくるジュリアさんの優しさが身に沁みる。
私はどことなく恥ずかしさを感じつつも、その心配りが嬉しくて、お酒とは別のもので頬を染めながら、
「ありがとうございます」
と素直にお礼の言葉を述べた。
その後、また少しジュリアさんと話をして屋敷に戻る。
暗くなったお屋敷は相変わらず寂しさで溢れていたけど、今朝よりは少し気楽にその寂しさを受け止めることができている気がした。
(まだアル様が帰ってくるまでずいぶんあるんだから……。頑張らなくっちゃね)
と思いながら、お風呂を済ませて床に就く。
(さぁ、明日からも頑張りましょう)
と思って目を閉じると、意外にもすんなりと眠気が降りてきた。
(お酒、飲み過ぎたのかしら?)
と反省しつつも少し微笑んでその眠気に身を任せる。
(アル様、おやすみなさい)
と心の中で唱えると、アル様がいつものようにニッコリと微笑んでくれている顔が目に浮かんだ。
とことん寂しく終わるはずの一日がほんの少し楽しく終わっていく。
私はそのことを嬉しく思いながら、眠りに落ちていった。




