追放は突然に
麗らかな春の日。
いつものように勉強机に向かう。
(僕は魔力もないし、剣も苦手だから、せめてお勉強を頑張らないと……)
と思って一生懸命数学の問題を解いていたら、そこに突然兄がやって来た。
「アルフレッド、お前は追放だ」
と開口一番言う兄の冷たい目を見て、ぞっとする。
僕は怖いという感情以外なにも持てなかった。
それでもなんとか落ち着いて、
「えっと……」
と言葉を挟む。
しかし、兄は冷たい目のまま平然と、
「仕方がないから、辺境に家はくれてやる。世話はそこいらへんの村人にでもやらせるんだな」
と面倒くさそうに言い放った。
「お、お館様! それはいくらなんでも……っ!」
と横からメイドのメルが僕の代わりに抗議をしてくれるが、そこに兄がまた冷たい目を向ける。
メルはその視線に怯みつつも、
「母は違ってもアルフレッド様はお館様の弟君です。そのアルフレッド様に対してその仕打ちはあまりにも酷なのではありませんでしょうか!?」
と食い下がってくれた。
「黙れっ! 使用人風情が。お前もクビだ!」
と兄が怒りに満ちた顔でメルを怒鳴りつける。
そう言われたメルはそれ以上なにも言えず、ただ、悔しそうな顔をして頭を下げるだけだった。
「十日やる。さっさと準備を済ませて出ていけ」
と言って兄が踵を返す。
それと入れ替わりに兄の執事のヒースが入ってきて、
「ここに詳細が書かれている。読んで即座に行動しろ」
と命令口調でそう言い、その書類を僕に軽く投げつけてきた。
ヒースも僕をゴミを見るような目で見ている。
それを見た瞬間、
(ああ、僕はついに居場所を失ったんだ……)
と覚った。
ヒースが出て行ったあと、メルが即座に僕を抱きしめてくる。
そして、
「大丈夫でございます。きっとメルがお守りいたしますからね……」
と涙を流しながらそう言ってくれた。
その言葉がどれだけ嬉しかったことか。
僕はひとりじゃない。
そう思うと、僕も涙を止められなかった。
それから十日。
僕とメルはなんとか下げ渡してもらった古い荷馬車に少ない荷物を急いで積み込んでさっさと乗り込む。
そして、裏口から隠れるようにこっそりと、これまで七年間過ごしたクニエステル侯爵家を後にした。
領都の門をくぐり、地図を片手に街道を行く。
「大丈夫ですよ。アル様。きっと私がお守りしますからね」
と、何度も言ってくれるメルに心配を掛けないよう、僕はなるべく明るく、
「うん! 大丈夫だよ!」
と笑顔で答え続けた。
やがて、いくつもの宿場町を通り、なんとかその追放先の村が見えてくる。
僕たち二人はここまで二十日以上かかった大変な旅を思い返し、そこからやっと解放されるのだという安堵感を胸にまずはその村の村長宅を訪ねた。
「ごめんください」
と表からメルが声を掛けると、少し慌てた感じで、村長らしいおじさんが玄関先にやってきた。
「クニエステル侯爵家からまいった者です。お話は聞いていらっしゃいますか?」
と訊ねるメルにそのおじさんは、
「はい。伺っております。ようこそクルニ村へ。村長のジャックと申します」
と自己紹介をしつつも、なんだか少し申し訳ない顔で、
「あの……、なんと申しますか……、その件に関しては、ちょっとした手違いがございまして……」
と頭を掻きながら、こちらが不安になるようなことを言ってくる。
「……手違い?」
とメルが少し詰問するような顔でそう問い返すと、村長のジャックさんは少し慌てた様子で、
「あ、あの、と、とりあえず事情を説明いたしますので中にお入りください」
と言って僕たちを家の中に招き入れてくれた。
「失礼いたします」
「失礼します……」
と言って不安げに玄関をくぐる。
そして、リビングに入ると、そこには先客と思しきエルフのお姉さんが座っていた。
「やぁやぁ。君たちが今度村にやってくるという人達かな?」
「はい。クニエステル侯爵家から参りました。こちらがアルフレッド様で私がそのメイドのメルでございます。失礼ですが、そちらは?」
「ああ。そうだったね。私はロロア。この村に住み着いているしがない薬師さ。で、君たちがこれから住むという屋敷の住人でもある」
「住人?」
「ああ。詳しい事情は知らんが、どうやらその辺りに認識に齟齬があったらしい。いやね、クニエステル侯爵家はどう思っているのかしらないけど、あの家は代々この地を治めるノーブル子爵の代官所になっていたところでね。先代のノーブル子爵の時に建てられたんだが、その時、クニエステル侯爵家に借金をしたらしいんだよ。だから、おそらく書類上の名義はクニエステル侯爵家になっていたんじゃないかな? それを当代のノーブル子爵は知らなかったものだから、この村の統治が安定して代官所が必要無くなった二十数年ほど前、私に売り渡したってわけさ。ああ、ちなみに、その当時の借金ってのはすっかり返済済みらしいよ」
と、今の状況を少し難しい言葉を使って説明してくれるロロアさんの言葉を僕はかみ砕くように頭の中で整理し、
「えっと……。つまり、僕がもらえるはずだった家は実は僕にもらう権利が無くて、すでにロロアさんが住んでしまっているということで間違いないですか?」
と自分なりに導き出した答えがあっているかどうかロロアさんに聞いてみる。
すると、ロロアさんは一瞬少し驚いたような顔をしたあと、ニコリと微笑んで、
「ああ。そういうことだね」
と言ってお茶を飲んだ。
「あ、あの……。とりあえずお茶をお出ししますので、おかけください」
と、そこでようやくジャック村長が僕たちに席を勧めてくる。
僕たちもそこでやっと気を取り直して、勧められたソファに腰掛けると、メルがとりあえずといった感じで、
「で。村長はどのようになさるのが良いとお考えなのですか?」
とジャック村長に意見を求めた。
「そうですねぇ……」
と村長が困った顔を見せる。
僕は、
(つまり、僕らに家をもらう権利がないってことだから、僕たちは他の家を探さなきゃいけないってことだよね? ……だとすると、どうなるんだろう? また旅に出なきゃいけないのかな? いや、でも行くあてなんてないし……)
と考えながら、ジャック村長が次の言葉を発するのを待った。
そこへ、
「とりあえずの案だけど、しばらくの間……、そうだね、どこか移れる場所が見つかるまでは、一緒に暮らすってのはどうだい? 幸い部屋は余っているし、見たところ利発そうな子だから私の仕事の邪魔にもならんだろう。あくまでも当座の解決策としてはそんなに悪くないと思うがどうだい?」
とロロアさんがなんとも素敵な解決策を提示してくれた。
「それでお願いします!」
と一も二もなく飛びつく。
そんな僕に、メルは、
「アル様! それでは、アル様の権利が……」
と言ってきたが、僕はメルに目を向けると、
「家はロロアさんの物ってことだし、なにしろもう実際に住んでいるんでしょ? だったら無理は言えないよ。それに僕たちはここ以外に行く場所なんてないから、しばらくの間住まわせてもらえるだけでもありがたいと思わなくっちゃ」
と、少し宥めるような感じでそう言った。
そんな僕とメルのやり取りを聞いていたロロアさんが、
「はっはっは。なんとも賢い子じゃないか。ちなみにいくつなんだい?」
と愉快そうに笑いながら、僕に年齢を聞いてきた。
「はい。七歳です」
と正直に答える。
すると、ロロアさんは驚いたような顔で固まり、
「おいおい……。それは本当かい?」
と、つぶやくようにそう言った。
そんなロロアさんに向かってメルが、
「うふふ。アル様は大変ご優秀なのです」
と自慢気な表情で少し胸を張りながら答える。
その言葉を聞いてロロアさんは、
「ははは……。そうかい……」
と少し苦笑いのような感じで笑ったが、僕にはその苦笑いの意味がよく分からなかった。
そして、細かいことなんかを少しつめて、なんだかんだで話がまとまる。
こうして僕とメルはロロアさんの家に一時的に住まわせてもらえることになった。
「とりあえず良かったね」
とメルに微笑みかける。
メルも、
「はい。とりあえずゆっくりさせていただきましょう」
と言って微笑んでくれた。
僕はちょっと不安を抱えながらも、
(大丈夫。メルがいれば怖くないよ)
と自分に言い聞かせ、自分の心を落ち着ける。
そして、
「じゃぁ、話もまとまったことだし、さっそくうちに行こうじゃないか」
と言ってくれるロロアさんの後に続いてジャック村長の家を後にした。