2.オタク、冷や汗が止まらない
不思議なことに、一華としての人格は失われたものの、彼女の記憶は翔輔の人格の中に残されていた。
家族構成や友人関係、15年と少しの人生の思い出。
好きな料理や推しの芸能人、女性として生きてゆく為に必要な諸々の生理的な知識もばっちり完璧に、脳裏に思い浮かべることが出来た。
(取り敢えず……冬真一華として生活することは出来そうやけど……)
しかし後ろめたい気持ちが、どうしても拭えない。
本来の翔輔の両親は悲嘆に暮れたままであり、そんな状況で一華の両親や親類を騙す形で、彼女の生活圏に戻ってゆくことになるのだ。
気まずいにも程がある。
(っていうか……俺、女子高生として生きてく自信なんて無いんやけど……)
そんなことを思いながら、冬真家が住むマンションへと連れてこられた翔輔。一華としては帰ってきた、ということになるのだろうが、翔輔にとっては完全に他人の家である。
連れてこられた、と表現するのが正しいだろう。
(はぁ~……マジでこれから、どないしょ~……)
一華の自室で柔らかなベッドに腰を落ち着けた翔輔は、深い溜息を何度も漏らしながら天井を仰いだ。
あんなに大喜びしている一華の両親を、再び地獄に叩き落とす様な真似は流石に気が引ける。この先どうなるか分からないが、今は兎に角、一華として過ごしてゆくしかないだろう。
(でもなぁ~……俺なぁ……今までほとんど、女子と話したことなんて無かったしなぁ~)
所謂、根暗な陰キャオタクだった翔輔。それが今や、目を見張る程の美少女、それも思いっ切りギャル系である。
滝の様に流れる艶やかなキャラメルブラウンのロングレイヤーカットと、白くてすべすべなもちもち肌、よく手入れされている白魚の様な指先と鮮やかなネイル。
どこからどう見ても、陰キャオタク男子とはかけ離れた世界だった。
幸い、一華本来の記憶は今も脳内に根差している為、外観的な部分については今後も維持してゆくことが出来るだろう。
問題は、メンタルの方だ。
(俺別に、この子の趣味とか全然興味無いしなぁ)
芸能人にも恋バナにも無縁な翔輔としては、一華の自室内に置かれている数々の趣味のグッズには一切興味が惹かれなかった。
今後一華として振る舞ってゆく為に、コスメや下着、衣服関係には多少意識を向ける必要はあるだろうが、それ以外に対しては見向きすらしなくなるだろう。
果たして、そんな翔輔=一華の心理的な変化を、隠し通すことが出来るだろうか。
(いや……まぁ、今から考えてもしゃあないか……ひとまずは出たこと勝負や)
ともあれ、次に超えるべき難関は学校である。
冬真一華が通っていたのは、都内の私立R高等学校だ。彼女は同校の一年B組に所属している。
(学力は、まぁ何とかなるか)
翔輔自身は高校二年生だったから、事故の入院期間で遅れていた授業内容はすぐに取り戻すことが出来る――というよりも、二年に進級するまでは完全に復習みたいなものだから、全く心配の必要は無かった。
(ただ、この子……成績めっちゃ悪そうやな……)
中学三年間の成績もぱっとせず、高校受験の際も下位の成績で何とか滑り込んだ模様。
翔輔の学力からすれば、余りにもレベルが低過ぎた。
(まぁエエわ……取り敢えず、ぼちぼちやってこか……)
翔輔は腹を括った。
明日以降、余り素の自分を出し過ぎることなく、のんびり生きて行こうと心を決めた。
◆ ◇ ◆
そして、翌日。
冬真一華として初めての登校日。
翔輔は髪のセットとナチュラルメイクを手早く終え、朝食も男子特有のがさつで適当な勢いでささっと済ませてから家を飛び出した。
一華の母親が随分驚いた様子で目を白黒させていたが、そんなことにはいちいち構っていられない。
(うげぇ……何この、ケツ周りのすーすーすんの……ミニスカって、こんな頼りないもんなんか)
色気満点の白い両脚で闊歩しながら、翔輔は何とも微妙な表情を浮かべた。
ミニショーツも布面積が異様に小さく、穿き慣れたトランクスがどうしようもなく懐かしい。
(失敗したわ……タイツかパンストぐらい、穿いてくりゃ良かったわ)
もともとの一華の人格が、生足で勝負する性格だったらしく、タイツやパンストを用意するという発想自体がすぐに湧いてこなかった。
こればかりはもう、どうしようも無いだろう。
道中、何度か声をかけられた。退院後の最初の投稿ということで、顔見知りの生徒らが冬真一華の復帰を祝って挨拶してくれている様子だった。
「冬真~! 心配したんだぞぉ~!」
「よく帰ってきたなぁお主~! いやマジで、生きてて良かったなぁ~!」
記憶の中にある一年B組の教室へ足を踏み入れると、早速一華と仲の良い女子生徒らが一斉に寄り集まってきて、口々に歓迎の台詞を飛ばしてきた。
「あー、御免ごめん。ホンマ、心配かけてしもたな」
彼女らの勢いに押されながら、取り敢えずは無難なひと言で場を凌ごうと考えた翔輔。
ところがこの第一声の時点で既に、失敗していた。
「あれ……冬真って、いつから関西弁だったっけ?」
「え? お父さんもお母さんも、関東のひとじゃなかった?」
揃って両目をぱちくりさせている友人らの反応に、翔輔は内心で盛大に冷や汗を流した。
だが時既に遅しだ。今更、口からこぼれ出た言葉を覆すことは出来ない。
「あー、えっと、うん……実はー、遠い親戚が関西のひとでぇ……入院中に色々世話して貰たから、うつってしもたわー」
自分でも苦しいとは思ったが、しかしこれ以上の弁明が咄嗟に思いつかなかった。
が、意外にも一華の友人らはそんなものかとあっさり納得してくれた。
「まー、でもイイんじゃない? 何かさ、関西弁の美少女ってのもカワイイよねー」
「うんうん。何か、ちょっとしたギャップ萌え的なあれそれ、みたいな?」
それらの反応に、翔輔はただただ乾いた笑いを返すしか無かった。