天才料理人
納豆や味噌はどうやってできた。到底常人ならぬ変態が見つけたのか。パスタやパンもそうである。粉にして固める思考など普通はない。だから私はその男に訊いてみた。男は自信満々に、また気持ち悪く笑う。
「僕みたいな天才が作ったんだよ」
男は自称天才料理人。ときとしてビーフカレーから辛いクリームシチューを作ってみせたり、ポークソテーから固いクリームシチューを出してみせたり、味噌汁から水っぽいクリームシチューを食わせようとする天下の極悪人である。
ではどうして店が潰れない、人が来るのか。ぞろぞろとやってくる客は福沢、渋沢、たまに毛やベンジャなんとかみたいな顔つき。腹を下したところの薬屋や何か教えてくれる訳ではない、つまり賄賂である。そこ知らぬクリームの奥には知れない闇があるようだ。
そうして金持ちが来ると、有名人が呼ばれ来て、評判は捏造。料理人の機嫌もいいようである。客も肥えた舌を、彼の味で染めて帰っては作り笑いした顔と共にトイレに吐き捨てていることだろう。これが大人のすることである。社交辞令、経済、などなどは夢以前に寝心地悪いものだろうか。
天才料理人は最初から天才であったわけではない。総特集する某テレビメディアはどこか白いものに縁があり無さそうな、どこも同じだろう、料理人のカリスマ性に注目したようだ。それで私は男、一応彼に取材していた。彼はよくキザなセリフをクリームシチューを出すとともに吐く。
「レシピ通りに作るって退屈だよね。誰も僕の真似なんかしなくていいから」
言われなくともしないし、するもの好きもいるはずない。のだが、私はそうするべくして取材させられている。というか実際、彼の料理本の売れ行きは酷く好調である。今度はなんかの書籍という話もあって、片腹ならず胃も痛い。
どうやら彼の人生は紆余曲折あった様だ。コロナで社会が塞ぎ込んで、一人になったとき、彼は料理に出会い、その道にのめり込んでいった。するうちに自分にしか作れない、特別なオリジナルのスペシャルな料理を模索したそうだ。世間では甘々のカレーライスが流行る中、それをクリームシチューにしたり、LGBT多様性とかの風潮から真向から逆らって、各地のシェフの気まぐれサラダをクリームシチューに変えてみたり。今度は真っ赤なポークビーンズを嫌がって、真っ白なクリームシチューにするらしい。
「隠し味は僕ですよ。なんてね。はっはっは」
殴りたくなる笑顔もスクリーン越しでは今を時めくアイドル天才料理人らしい。女は馬鹿なのか。おっと誰か来たようだ。と思ったら、本当に来た。黒い服の厳つい男が二人、黙って机に紙を置くとすぐ出て行った。
なんなのかと彼に訊こうとすると、彼は酷く青い顔をしていた。いい気味であるが、どうしたと重ねて伺うと彼は機嫌を悪くしたのか、怒り狂って私を蹴り、追い出した。腹ばかりでなく、お尻まで痛くなるとは思いもしない。
これではと、上司に怒られてしまうので、また次の日伺ってみるとこれはどうしたのか、煌びやかだった店内が油っこく錆びついている。私はその店の前に、私自身が別の番組の取材班だったかと疑ったほどである。けれども奥から現れた和服の禿はどうにも彼のようだ。
私はその天才料理人にどうしたのかと訊いた。彼は何か意味ありげに悟ったようにした。
「美味しい料理を作るのが僕達の本望だったのです」
なるほど本人は転生したらしい。こいつは誰だろうか。まさかこの男が特殊であっても不味いのなら意味がないなど、料理に格好つけるのは愚かと言いつつ現実で恰好をつけるアホさなど、気づくわけがないのだ。あるいは気づかされたのか、末恐ろしい現代の闇を見た気がした。
彼は丁寧に調理した味噌汁を私の前に出した。白くないちゃんとした味噌汁だ。香りもいい、具もしっかりとワカメと油揚げと豆腐。いやまさかと、毒でも入っているのではないかと私は箸を手に付けられない。いや、箸もまるで謙虚で博識な男のデートの装いのようで怖い。今まで醸し出していた下心が全く無いのだ。
そうして怯えていると彼は味噌の落ちるのを見ずに弱くして声を掛けてきた。
「下に落ちた濁りは昔のこと、今は上にある私の姿です」
喧しい。もっと食べにくくなったではないか。私は何があったのかついに訊く気もしなくなった。仕事であっても、もう投げ出そうとまで決意した。それで私がそっと帰り際、彼は一言だけ漏らした。
「人生に大きな意味はないさ。そう気づいたんだ」
乾いた風が程よく吹いたこの日、私はそれにぶつかる方向へ帰えらねばならない苦痛を覚えた。きっとこれはもうしない吐き気への寂しさだろうか。食欲は程に色褪せた。