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レプリカ

『普通の人生などありはしない』誰かが残した言葉だ。そして同じ背の高さ、教室を見回せばすぐにわかる文句だ。普通の人生は存在する。だから今日も教室は騒がしく、静かで、虚しい。

 蝉のように目立ちたがるサッカー部、雪のように教科書積もらせる眼鏡の男子、桜舞うように話す彼女、蜻蛉の去るように過ぎる日々。だいたい教室にある景色だ。


 いつかのある秋の夕前、教師はそんな教室で偉そうにしていた。


 「進路の紙、明日までだから。忘れるなよ」


 教師はペラペラとその紙を扇いで注意する。同じ紙が、私の空っぽの机に一枚。重い重い、私にとってはまるで文鎮のような紙だった。ひずむ教室の床を心配したふりをして、私はそれを家に持ち帰る。

 いつかのある夕飯、親はありもしないのに威張っていた。


 「大学はここか、そこらへんの国立に行け。私立ならここ以上の……」


 箸に捕まれた漬物はまるで私の人生のようだった。なぜとは訊かない、あるのは常識だけだからだ。いや、もう一つあった。金と自分の名前。

 これといってつまらない人生になるだろう。心底、浮かびもしない、計算する気さえ起きない幽遊とした頭のまま、勉強机に対峙する。スマホがある。ゲームを開いてみればそんな魔物を退治してくれるわけもなかった。


 隣りの部屋はまた騒がしい。私には兄がいた。エレキギターをかき鳴らしては下手に歌っている。動画を撮っては編集していた。兄はよくこんな私に年上ぶる。


 「勉強ばっかしてないで、何か無いのか? 好きなものとか」


 私の胸を叩くつもりだろうが、そこにあるのはドーナツホールだから意味がない。兄は夢を追うこそが人生の醍醐味だと言いたいのだろう。ああ、そうだろう、そうしていれば24歳、大学中退、フリーターであることも忘れられそうだ。私はそんなに馬鹿になれない。

 だいたい進路、未来、幼稚園から訊けば答えられる種類は多くないものだ。どこかのゲームのように選択肢はあるものの、どこかのクソゲーみたいにバグって文字が透明なだけだ。そして選択肢というのはきっと、ありふれた公務員やサラリーマンか、無茶苦茶な未来、いわゆる夢だ。消去法で前者になりそうだが、他の消去法では前者が消える。二択、二元論、世界情勢が好きなやり方だ。夢はなく、また”普通の人生”ではつまらなくて死にたくなりそうだ。すでに。


 ある日の教室は妙に高尚ぶっていた。ダボス会議の真似事だろうか。珍しく未来の話をする。内容は真剣で適当なものだ。自分に足りない何かを低く見積もって、とにかく下に下にとやっている子、あるいは気持ちを高く見積もって、上に上に挟まれている子。


 「あはは、そうか。頑張れよ」

 「まぁぼちぼちと」


 見えもしない将来を眺めるほどに今あるものが霞んでしまう。こういう話をして仲が悪くなるくらいなら初めからと、あなたは切り捨てられるか。友かあるいは自分を。煩くない教室のほうが以後ごちが悪いと気づいた。

 私たちは誰かの人生を真似している。ただ真似するだけならもっと悪く言える。パクっているのだ。高学歴なら楽に生きられるとか、親と同じ仕事なら安定するだろうとか、あの人みたいに夢を叶えられたら楽しいかもと、頑張って真似をして、自分にない何かを周りからの適当な評価で埋めたら、特別だと言い張る。客観的に見れば何も特別じゃないのに。

 ここはある日の図書室。人はほとんどいない。だからこそ静かで、だからこそ彼らは煩いのだ。何も知らずに未来を決めようとするその姿勢がそもそも間違っていないか。自分に何かがないとして、それを他人に縋る前に、知識で埋めてみたらわかるだろう。そう、わかるのだ。誰しもがパクっていて、特別な人生など端から無いのだと。せいぜいダボス会議で決めてあるようなだけだ、特別なんかは。

 そういいつつも、そういう私は碌に書くこともないのを自覚して少し哀しくなった。パクるにしても魅力がなければパクる理由もないのだ。だから私は適当に書いた。ただ綺麗な文字ばかりを意識した。気づかれるだろうか、人生を読めるものなら白紙よりも酷いと気づかれるだろうか。教師も親もそうでもないようだ。


 いつかの夕、私は教室へ忘れ物を取りに行った。そこには一人ぼっちで静かに、儚げに夕焼けの照らされるコートを眺めるサッカー部がいた。いつものうざったらしさも、そよ風がよく聞こえるほどに小さくなっていた。

 私みたいな人間は、そうでなくともよく馬鹿にされた、自分は特別だぞという視線をぶつけられる。それが今は一人になれば、どうでもいいようだ。ずいぶんと気弱なものである。これが彼らの本性だ。もちろん、そうでない狂人もいるだろうが、ある程度健常者であればそんなものだ。しても、それほどに自信の無い性格なら初めから威張るのをやめてほしいところだ。私はさっさと忘れ物を取って出て行った。ずっと何かを忘れているような彼にいちゃもんをつけられる前に。


 いつの日かの春。私はなるがままに書いた、いや、書かされた、白紙をそのまま白紙のごとく、私は生きていた。特段自身を述べることもない。普通の人生だからだ。

 それで今、彼ら彼女らはどうしているのだろうか。誰かを見下したり、見上げたように、今もそうしたり、そうされたりしているのだろうか。いいや、きっとニュースに名前があがらないところを見るにそこまで特別な人生ではない、普通の人生を歩んでいるだろう。

 そして無理に楽しまずに生きているのなら、楽しくなきゃ生きられないほど窮屈になるのだから、誰かに普通や特別であれと押し付けるような親にはなっていないだろう。いい歳をしてそんなことにこだわる人間ほど碌なものではない。

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