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蛇と美女

 春の桜と踊る彼女、夏の青と恋する二人、秋を失恋で飾る麗しき、冬に雪を降らせる鶴の子。巷では今、彼女が私たちの代表らしい。あまりピンとこない。けれど口を開けば皆、彼女の話をする。


 あんなものが流行って、こんなものに憧れて、そして羨み恨んだり。どちらにしても注目を集める彼女は煩わしくも美しかった。あの人のように笑い、泣き、過ごせと常識が出来上がっていった。窮屈なものだ。憧れていてもその真似はできないのだから、あの泣き黒子も蛇の皮を撫でるようなスタイルも街の風の色を変えてしまうしなやかな髪も、彼女にしかない。だからこそ彼女は魅力的なのだろう。

 彼女と自分を比べるのも憚られる。皆は褒めるふりして自分を貶したり、誰かを見下したりする。どちらが上か下か。そんな目がどこかからたびたびぶつかる。うんざりしつつも、あんなのを気にしてしまう。私も彼女が羨ましいのだ。

 もしもあの人のようになれたら私もあの人のように幸せになれるのだろうか。ただの臭い笑み、水が流れるだけの涙も意味を持つのだろうか――私は生まれ変わった。

 私は肉体を変えた、その身にお金がちゃんと嵌る窪みをつけた。私は顔を変えた、今日の雨を晴れにするような頬を手に入れた。私は経歴も変えた、生まれを装い悲劇の女を演じた。


 月日が経った。私はやはり彼女に似ていた。だから私が彼女の代わりを務めることになった。誰かはそれをパクリだとか罵るが、むしろ似ている証明であり嬉しかった。私はついに彼女になれたのだと。それに数字が取れているのだからいいらしい。

 名が広まって私はついに彼女と出会った。胸が躍った。何を話そうかと色々考えて寝付けなかった。彼女はやはり歳をとったものの、変わらない笑みを見せてくれた。言葉詰まる私に彼女は優しく接してくれた。だから私も嬉しい顔をした。胸にやや何かが引っ掛かったような感覚を隠して。気づいて悲しくなったのだ。彼女の正体に。あの笑みが、下手な演技だと。本物よりも偽物のほうが作り笑いは巧いものだ。

 本人お墨付きとなって私はほとんど当時の彼女になった。また忙しくなった。ああいう風に振舞えばいい。そういう風に話せばいい。ここはこんなポーズで。命令や考えさせられる機会は多い。その度におもしろいのは観客が嬉しそうにすること。つまらないのは人の相手をしているはずなのに全く感性がないこと。人の表情よりも人の骨を見ているような、いわば解剖学的な理屈で、演じるのを求められる。女らしくしろのほうがマシだ。画面という粘土板にポーズをつけた私を押し付け広める。それが憧れの正体だった。

 本音を言えば辞めたかった。私は彼女になりたかったのではなく、彼女のように自由に生きたかった。こんなんじゃ、そうはなれない。だけど辞めさせてもらえない。私はたまに裏で溜息をついてしまう。そのほどに誰かが「早くやめろ」と後ろに構えられる。そうしたいけれど、そうするには人気が出過ぎてしまった。私がいなくなれば色々と影響が出る。辞めさせて貰えないのだ。辞めたいと言うほどに仕事が増える始末だった。

 時間の忙しさはもちろん、場所もそうである。鏡を見ても別人で、名前を書いても誰かで、外に出ればそんな誰かになる。私が私らしくいられる場所は実のところ個室のみであり、それが少しばかり大きくなっただけだった。もしもここに結婚などしてみれば、さらに窮屈になるだろう。またテレビやスマホを見なくなった。自分が映るからである。だから本を読んでみれば、そのドラマや映画と言われれば、喉が締まる思いだ。


 台本がある。私のセリフがある。誰かが決めた私がそこにいる。四六時中そればかりだ。

 私たちは誰かに自分の理想を押し付けている。その理想が自分自身となって、逆になっても苦しいのは同じだった。きっとあれは暇つぶし。それでも最近はよくお金が絡むようになって、ままならない。誰かを批判するうちに私たちもその誰かと同じ身分に近しいと気づかされる。だから警戒され始めた。暇つぶしが、暇そのものを滅殺するようになった。

 今になって『ああしろ』という言葉を今度は私が言っている。私がルールを弄る。弄られている。お人形さんみたいになって、吊られている。吊られなければ吊られる。向けられる目はどれも意味がある。憧れだってあったけど、だいたいは色と金だった。興味のない視線ほど私が今、向けられたい視線は無くなっていた。誰かが悪魔と契約したとこぼした意味が、私の喉を通ってわかった。無理やり食わされた肉蛇を画面の前に吐き出している。

 そうやって私が言ったと何かを買ったり売ったり、けど本当のところは、私は他人の人生には興味がない。憧れたのも、恨んだのも、自分を比べ自分に興味があったからだろう。だから誰かが私のようになりたいというのなら、そんなのは知るものか。私たちは勝手に色んな目を向けられる存在なだけだ。囮なのだ。檻の中にいる囮だ。


 いくつかの春夏秋冬が過ぎた。私の髪型と同じように色は良く変わる。辞めたいという気持ちが埋没するほど私も変わった。私を演じた私で誰かを演じる。私の正体が立派なピエロや催眠術師だと気づいた。

 毎日の移り変わりがつまらないからこの世界に来た気がした。特別感に憧れた気がしたが、長くいればどこでも同じ風が吹くものだ。いつかのどこかの夕の終わり、ある彼が私に挨拶してきた。


 「あなたと仕事ができて光栄です。よければこのあとどうですか」


 彼は素っ気ない目をしていた。まるで私などどうでもいいような目だ。なのに私を誘うものだから面白くなって、暇つぶしに彼の車に乗ることにした。

 でも違った。全く違った。彼は誰よりも私に興味があった。彼は私とは比べ物にならないくらい演じるのが上手だったのだ。そう気づいたのは私と彼が結婚した後のことだった。

 あの時、彼とそういう風になるとは思わなかった。何かの上映会でもなく、披露宴でもなく、特番や誕生日でもなかった。どこにでもある何千日目かだったから。そんな彼はよく笑う。


 「あなたに憧れていたからこうやって傍に居られて幸せだなぁ」


 彼は私の嫌いな私にすら憧れる変態なのだ。最近はそういう彼に角に追い詰められた猫のような気分にさせられる毎日である。

 私は誰かの理想の固まりだった。私が彼女に憧れた日から。彼は正真正銘私たちの理想だった、結婚が報じられたときから。こうして過ごす毎日も。だからいくらか広くなった部屋に私の声が流れても、今は笑っている。

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