拙者
拙者が刀を抜いたところを見たものはいない。すでにあれらは無残無残と死んでしまっているからである。されども生きているあれらはよくもまぁ、拙者を力無し腰抜けと吐き垂れやがりますので、切り伏せるところを見せてやりたいものですが、それもそれで子供っぽく情けないのでと、日々喧しい辺りに辛抱するばかりである。
昼は面倒を食らい、夜は暗いを喰らい、だんだんと名が上がってきました、あれら文句も大きな噂になってまいりました。そのせいで拙者を恨む者も目立ちだしましたが、一方では拙者に寄ってくるのも現れ出しました。実に愉快なもので、拙者は喜んで彼らに教えることにした。
「先生先生、それでその刀は何色なのでしょうか」
「それは当たり前だが、虹色やつまらぬ色ではない。それはそれは美しい色である」
弟子は期待の眼差しを拙者に向けながら想像を膨らます。
「先生先生、ならばその剣術はどんな由来でしょうか」
「おかしなことを聞く。由来などない。拙者がそうである」
弟子はヒーローを見上げる子供のような顔をする。
「では先生先生、どうして先生は独身なのですか」
「……」
拙者はその夜、誰かを殺めた。見事な手腕であったと自負している。
実を言うと拙者のこの力は到底あれらにはわかるはずもない。なぜなら拙者は他所の言葉がわかる力があるからだ。ほら、わかるはずもない。
ある日、蔵に捨ててあった適当な書物を漁っていた。けして雑用で掃除など不名誉なことではない。進んで漁っていたのだ。すると偶然、天井から落ちてきた蜘蛛が顔に乗って、さらに落ちてきた書物がそれを潰した。痛い痛い、臭い苦い。鼻血と知らぬ粘液が混ざり、それが目に入って、それを目に入れた。書物である、その書物である。不思議な剣術が載っていた、蛇のうねるような字の物は。私はあれを読んで以来、拙者になった。
このことは誰にも語らない。剣術も誰にも教えない。拙者が拙者たる由来を奪われてなるものか。拙者だけの力、拙者だけの地位なのだ。これからも拙者はあれを使って古今東西、古今無双となる。なったように見せつけるのだ。
だいぶ月日は経った。資産は増え、結婚もした。子供もできた。もはや拙者ですら刀の色を見る機会も無くなった。やはり滑稽なものだ。幸福とは容易く得られる、選ばれし者は。拙者が何であるか、知るものはついに居ない。当たり前だろう、当たり前だろう、書物の主は当の昔なのだから。そうだろう、仮に居たとしても今の拙者の地位があれば封殺できる。ああ、適当に真似をしただけで楽に生きられるのならこれほど嬉しいことはないな。
チリンチリン、チャイムが鳴った。偶然召使いもいないので、私が出た。その髭の爺さんは物怖じしなかった。
「あなたの刀の色は透明ですね?」
バレた。
拙者は袋田叩きにされ、自ら首を切った。