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癒し系幼なじみと過ごす日々

ふわふわ多めの日

作者:

 本日、日曜日。由布とふたりで出掛けることになった。予定を立てていたわけではなく、ついさっき決まった。

 俺の家で映画について話していたときのことだ。由布が見たい映画があるというので、ふたりパソコンの前で頭を寄せ合い、サブスクの映画一覧を見ていた。


「モノクロ映画だっけ? この中にはないのか?」

「ないねえ。他の配信サイトでも見つからなかったよー」

 由布が口にした映画のタイトルに聞き覚えがあったので、俺は図書館のサイトを開き、検索をしてみた。

「由布、その映画、県立図書館にあるぞ」

「えっ、図書館ってDVD借りられたっけ?」

「俺もこないだ行ったとき、初めて知った。普段行かないところをうろうろしてたら、結構でかいCDとDVDコーナーがあってさ」

「へえー!」


 由布の目は期待で輝いている。鉄は熱いうちに打て。由布の好奇心を消さないうちに動け。ということか。

「どうする?」

「行くー! 今すぐ行きたい」

 さらに笑みを大きく広げた由布を見て、俺の胸中はなぜか満足感であふれていた。まだ何もしていないのに。玄関のドアを開けてすらいないのに。

 何かをするのは、ふたりで楽しむのは、これからだ。


 手早く準備を済ませ、駅前のバスターミナルへ向かう。図書館行きのバスの時刻表を見て、待ち時間は長いが直通で行ける便に乗ることになった。

 ベンチでバスを待っていると、ふとパン屋のウィンドウが目に入った。透明な窓硝子の向こうでは、店員が焼きたてのパンを並べている。


「焼きたてかあ……」

「焼きたてだな……」

 思わずごくりと唾を飲み込んでしまった。由布も、いつものぽわん顔でパンを見ている。

「バス、まだ時間あるよね」

「ああ。十五分はある」

 俺たちは一瞬見つめ合うと、無言でこくりとうなずいた。間を置かず、同時に立ち上がり、できる限りの早足でパン屋の玄関をくぐる。


 普段はふらふらした歩き方の由布も、流れるような動きでトレイとトングを持つ。ウィンドウ越しに商品を見ていたから、パンを選ぶのもあっという間だ。ものの三分でレジを終え、店を出た。

 ベンチに戻った俺たちは、早速パンにかぶりつく。俺はベーコンポテトパンを選んだ。カリッとしたベーコンの歯ごたえと、ほくほくのジャガイモの取り合わせが最高だ。

 隣の由布はバターロールをじっくりと味わっていた……ところ、いきなり目を見開き、すごい勢いで首を動かし、俺を見た。


「ふわふわ! このパン、すっごいふわふわだよ然くん!」

 何を食べても幸せそうに見える由布だが、これは相当うまいんだろう。近年見ない反応だ。うまさを五段階レベルで表現するなら、六か、いや七か……?

「そんなに語彙を失うほどおい……」

 俺が言い終える前に、由布はバターロールを少しちぎって俺の口に放り込んだ。

「おい、まだ喋ってる途中……って、これマジでふわふわだな?」

「でしょ?」


 飲み込んだあとも、味の余韻を忘れたくない。そんなパンだった。

 俺と由布はしばらく交互に「ふわふわ」と口の中で言っていた。知り合いが聞いていたら「おまえら大丈夫か」と心配されそうなレベルで。

 それはバスに乗ってからも続いた。

「ふわふわだったね……」

「さっきからそれしか言ってないな。まあ、語彙力をなくしても仕方ないくらいふわふわではあったな」

「ね、本当に! 焼きたてパン買っても、普段は持って帰って食べるから、あれが本当に本当の焼きたてパンだったんだね。すごい威力だよー」


 パンのうまさに興奮しているうちに、目的地に着いた。バスのステップを降りると、由布は両腕を広げて深呼吸をした。

「あー、やっぱり空気が違うねえ。木とか草の香りかな?」

「そうだなあ。前来たときより、緑の色が濃い気がするな」

 図書館は自然公園の中に建っていて、ピクニック気分でやってくる家族連れも多い。俺と由布が小さいころ、家族で遊びに来たこともあった。自然の木々と人工物がうまく混じり合っている、不思議で居心地の良い場所だ。

 公園にある遺跡のようなオブジェに想像力を刺激され、由布と「異世界に迷い込んでしまったごっこ」をやった記憶がある。


「桜が咲いてる!」

 由布が嬉しそうな声を上げた。指さす先を目で追うと、図書館へと伸びる遊歩道沿いに、ピンク色の花をつけている樹木があった。そばに木の名前が書かれたプレートがある。

「八重桜……だって。ああ、これがそうか。ソメイヨシノより咲くの遅いんだっけな」

「ああ、よく聞く名前だ、八重桜さん。来年になる前に、また然くんと桜見られるなんて、得しちゃったなあ」

「……そうだな」


 コインランドリー横のベンチで、由布とふたり桜を見上げたのを思い出す。

 由布に感じた不思議な感情。言語化できなかったそれは、今も心でうずくまってる。

 今の自分の心も「ふわふわ」なのかもしれないな。不確かな、雲みたいなもの。手に取って眺めることもできない、計算機で答えが出るわけでもない、不安を煽るもの。

 俺が少しだけ物思いにふけっている間にも、由布はスマホで八重桜をあちこちから撮影していた。


「花、すごいボリュームがあるっていうか、ふわっふわだねえ」

「また、ふわふわだな。パンに続いて」

「ふふ、そうだね。今日はふわふわ祭りなのかな?」

「まだふたつ目なのに、もう祭りなのか」

 俺の心の中身も入れたら三つ目だけど。そんなのは当然、言えるわけもない。

「じゃあもっと探そうよ、ふわふわ!」

 そう言って公園へと足を踏み出す由布を、あわてて引き留める。

「先にDVD借りに行かないか。このままだと忘れて帰りそうだから」

「あっ、そうだったー」

 由布は両手を広げて回れ右をすると、ちょこちょことこちらへ戻ってきた。すでに目的を忘れかけていたらしい。声をかけてよかった。


 図書館では、すぐに目当てのDVDを見つけることができた。

「やったあ、あった!」

 と由布がはしゃいでいると、白髪の老婦人に話しかけられた。

「若いなのに、古い映画見るのねえ。わたしもその作品好きだから、嬉しいわ」

「本当ですか! わたし、テレビで同じ俳優さんが出てる別の映画を見て、この映画も面白そうって気になってたんです」

「ああ、別の映画ってもしかして……」


 初対面の相手とめちゃくちゃ盛り上がってる。

 俺にはできないなと感心しつつ、そこまで盛り上がれるくらい面白い映画なら、俺もその映画を見せてもらおうかな、なんて考えていた。

 老婦人との会話を終え、貸し出し手続きも済ませたあと、由布は俺に耳打ちをしてきた。

「三つ目、見つかったね」

「ん? 何が……って、ふわふわか? どこにあった?」

「さっきのご婦人の髪の毛!」

「ああー」

 そういえば、老婦人の真っ白な髪はパーマがかけられていて、綿あめのようにふわふわしていたな。


「こう、すんなり見つかっちゃうと、他にも見つけたくなるねえ」

「用事終わったし、新たなふわふわ探しといくか」

「行こう行こう!」

 話しながら意気揚々と図書館を出た俺たちは、同時に「えっ」と声を上げた。

 探しものが向こうからやってきてくれたからだ。目の前に「ふわふわ」があった。

 毛玉だ。茶色くて毛が長い。ふわふわの毛玉。その毛玉から伸びた赤いリードを、男性が持っている。つまりあれは犬か。

 犬は何かの植物が気になっているらしく、俺たちから見て後ろ向きに立ち止まっている。

 その形状は風が吹けばころころと転がってしまうのではないかと心配になるくらい、見事な球体だった。とても犬には見えない。


「……まんまるで、ふわふわだね」

「ポメラニアン、か……? あまりにもふわふわだな」

 俺たちの感嘆の声が聞こえたのか、男性がこちらを見た。

「あ、すみません……」

 なんとなく謝ってしまう。じろじろ見ていた上に、好き勝手なことを言ってたから。三十代だろうと思われる飼い主の男性は、「いえいえ」と首を振って笑ってくれた。


「見た目、丸いですよねー、この子。ボール遊びしてるとどっちがボールかわからないってよく言われます」

「あはは」

「撫でてみます?」

 うずうずとしている由布が、あまりにも触りたそうに見えたからだろう、男性はそう尋ねてくれた。

「えっ、いいんですか? ぜ、ぜひ!」

 由布はそうっとポメラニアンの鼻先に手を近づけた。そうしてしばらくにおいを嗅がせてから、顎の下を優しく撫ではじめる。

 最初は不思議そうにしていたポメラニアンも、だんだんと気持ちよくなってきたらしい。

しっぽを振りながら由布の膝に前足を乗せてきた。


 由布はペットを飼ったことはないが、「いつ飼うことになってもいいように」とよく動画を見てシミュレーションをしているらしい。この間、由布が何もない空間を撫でているのを見かけたときは、正直ちょっと怖かった。しかも、にやにや顔だったからな。あれはぽわん顔の上をいくインパクトがあった。

 そんな由布の今の表情は、にやにやとは違って、とろけそうな優しい笑顔だった。やっぱりシミュレーションだけでは味わえない喜びがあるんだろうか。

 たとえば、撫でてるのが俺でも、由布はそんな顔するのかな。

 ……ん? 俺、妙なこと考えてないか? 恥ずかしくなってきて、慌てて思考を霧散させる。

 ポメラニアンはもっと撫でて、と由布にせがんでいる。俺も少し撫でさせてもらってから、飼い主にお礼を言って別れた。


「かわいかったね、ワンちゃん……ふわふわだし、ふわふわ……」

 まるで雲の上を歩いているような足取りで、由布は何度も繰り返した。

「良かったな。シミュレーション上手くいって」

「うん! 本当に……っ?」

 話している途中、由布はいきなりガクンとよろめいた。慌てて手を伸ばし、由布の二の腕をつかんで支える。


「あぶなかった、な……」

 俺はそう言って、大きく息を吐いた。

 由布の足下を見ると、アスファルトの地面に、ちょうど足がすっぽり入りそうな穴が空いていた。

「ありがとう、然くん……。穴に気づいてなくって、びっくりしちゃった」

 由布も、体がしぼみそうなくらい大きく息を吐き出している。

「俺も気づいてなかった。舗装されてる道は安全だって、思い込みがあるのかもな」

「然くんのおかげでコケなかったよ。本当にありがとうね」

 話しながら、俺が由布の腕をつかんだままであることに気づいて、その感触に今さら気づき、驚愕した。


 なんだ、この柔らかさは。なんだこれ、意味が分からない。人智の及ばない存在に触れてしまったみたいだ。

 自分の反応にも驚く。由布とは長年つるんでるんだし、遊んでるときに腕に触ったことだって、きっとあったはず。なのになんで俺、こんなにうろたえてるんだ?

 驚き混乱のあと、恥ずかしさが一気にやってきた。顔が超熱い。

 急に振りほどいたりしたら傷つけてしまう気がして怖くて、俺はそっと由布の腕から手を離した。


「足、ひねったりしてないか?」

「平気!」

 尋ねた俺に、由布は大きく足踏みをして、元気いっぱいアピールをしてきた。虚勢を張っているわけじゃないらしい。安心した。

「それなら良かった。結局、一番ふわふわしてるのは由布だったなー」

「えへへ、ふわふわ探しすぎてわたしの頭までふわふわになっちゃったねー」

「由布はしょっちゅう、うわの空だしな」

「然くん、うまいこと言うー」


 由布のふわふわしている部分。もちろん、「頭の中」ってことで間違いない。俺もそういうつもりで話を振った。

 だけど、由布の、「二の腕」も、なかなか……。

 感触が忘れられそうにない。罪深い由布の上腕部。


「楽しかったー。帰るの寂しいなあ」

 帰りのバスの中、消えていく自然公園の景色を振り返りながら、由布が言った。

「また来るだろ? DVD返却しに」

 そう答えると、由布の表情がぱあっと明るくなる。

「あっ、そうだった!」

「まさか、忘れてたか? ちゃんと返却しないと駄目だぞー」

「覚えてる、覚えてるよー!」

 慌てて弁解をしている由布に笑いつつ、


「次は早めにバス停行こう。他のパンも試してみたいだろ」

 と言ってみた。

 由布は一瞬目を丸くしてから、大きくうなずいた。

「……うん!」

 こんな風にどこかに出掛けた帰り、いつもだったら、行きたいと言うのは由布の係だった。俺はなぜか気恥ずかしくて、「どうする?」なんて由布の意向を伺ってばかりだった。

 だけどこれからは、本当の意見を出していきたいと思ったんだ。小出しでもいいから。

 由布とこれからも一緒にいたい、って気持ちを。

 さっきみたいな「ふわふわ」祭りなら、もちろん楽しいし一緒にやりたい。それでも、自分の心の中の「ふわふわ」は……由布に感じる不確かな、もどかしい気持ちは正直ちょっと不安がある。自分の内側に踏み込むには、まだちょっと時間がかかりそうだ。


 ただ、手放したりはしない。これからも変わらず由布といるためには、今の変わっていく感情が、必要なものだと思うから。

 全部持ったまま、一緒にいる。そう決めた。

「今度は八重桜だけじゃなくて、他の花も見ようね、然くん」

「そうだな。公園一周してみるのもいいか」

「それならお弁当作るよー」

「お、いいな。おにぎりは何味だ?」

「えっとね、鮭と、かつおとー……」

 近い未来の予定に、花が咲く。

 十年一緒にいたって、由布と行きたいところ、やりたいこと、まだまだたくさんあるんだ。


 ……まあ、一番手放したくない「ふわふわ」は、あれなんだけど。

 俺は由布の柔らかい二の腕の感触を、必死で脳に叩き込もうとしていた。

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