奪われたので、奪い返すことにしました――婚約破棄された悪役令嬢は、美人な親友と一緒に幸せを奪い返してみせます!――
「すまない、スピカ。地味で真面目で面白味がなくて、ガチガチに黒髪をまとめて眼鏡をしている、教育ママのようなスピカを、どうしても女として見れないんだ」
婚約者だったデネヴが、別れ際に言ってきた言葉だ。
彼の屋敷に遊びに行ったところ、なんと部屋に別の女を連れ込んでいた。あげく、裸で交わりあっている姿を見せつけられたのだ。
精神的苦痛はすさまじかった。
親同士の決めた政略結婚だったとは言え、少なからずデネヴとの幸せな結婚生活を夢見ていたわたしは、とてもショックで数日間寝込んでしまった。
デネブと浮気相手の家格は、わたしの家よりも高く泣き寝入り。友人達にまで距離を置かれ、悪役令嬢のように扱われる始末だ。
なんだか自暴自棄になっていたのだが、気分を取り直そうと街で評判の髪結いの元へと向かうことにする。
一応、伯爵令嬢であるため、髪結いを屋敷に呼び出しても良かったのだが、とにかく気分を変えたかった。
「もうばっさり切ってください、お願いします!」
わたしの髪を切る担当になったのは、とても艶やかな白金色の長い髪に蒼い瞳をした、この世の者とは到底思えない、とても綺麗な女性だった。
「スピカ様でしたね? 何があったのですか?」
何があったのか尋ねられ、街で噂になるのも憚らず愚痴をこぼしてしまう。
婚約者に振られたこと、父の爵位は伯爵だが、婚約者だったデネブは侯爵だったこと、そのせいで、特に相手にダメージなどなく婚約破棄を受け入れなければなかなかったこと……。
「でも、わたしが悪いんです。わたしが彼の望むような派手な美人になれなかったから……」
元婚約者と寝ていた女性のことを思い出した。
豊満なバストにくびれたウエスト……妖艶な笑みを浮かべた魅力的な金髪碧眼の彼女は、大層美人だった。しかも、わたしの家よりも位の高い侯爵の父を持っている。
とは言え、目の前にいる髪結いの女性の方が、寝取ってきた女性以上……いいや、この世の者とは思えないほどに美しいのだが……。
自分とは正反対な彼女達と自分を比較してしまい、ぽろぽろと涙が零れてしまう。
そんなわたしに、目の前の髪結いが優しく声をかけてくれる。
「スピカ様、スピカ様にはスピカ様の良さがございます」
わたしの髪を壊れ物のように丁寧に、彼女は扱ってくれた。
鏡の前に映るわたしの黒髪は、肩先で切りそろえられていた。
(まるで別人のように可愛らしくなってる)
新しく生まれ変わった自分を見て、自分でドキドキしてしまう。
「やはり、貴女は原石のような方でしたね。そうだ、ねえ、スピカ様」
老若男女、全ての人を蕩かしそうな笑顔で、鏡越しに彼女が声をかけてきた。
「奪われたのなら、奪い返すことにしましょう?」
その日から、彼女とわたしの奇妙な友人関係が始まったのだった。
※※※
彼女はシーリンと名乗った。
「不思議な名前ね」
わたしがそう言うと、彼女は首を傾げて微笑んだ。
「よく言われます」
(本当に綺麗な女の子だわ)
シーリンも貴族の令嬢らしいのだけれど、髪結いをしていたことなんかも含めて、詳しいことは教えてくれなかった。
彼女はわたしの愚痴を聞きながら、最先端のネイルやメイク、立ち居振舞い、礼儀作法に流行りのファッション……女性なら知っておいて損はない情報を教えてくれる。
――気づけば、わたしは別人のように綺麗な令嬢に生まれ変わっていた。
(本当に私……?)
艶やかな黒髪に、白い陶器のような肌、薔薇色の頬に桜色の唇。
流行の桃色のドレスに身を包んだわたしは、童話に出てくる花の妖精のようだった。
「ありがとう、シーリン! こんなに別人のように生まれ変われるなんて……! すごく嬉しいわ……!」
お礼を言いながら、彼女の元に向かおうとしたところ――。
「きゃっ……!」
ドレスの裾を靴で踏んでしまい、わたしは前のめりに倒れてしまった。
そんなわたしの身体を、シーリンは受け止める。
彼女に抱き着く格好になってしまったわたしが、彼女の顔を見上げると、深い海のように煌めく蒼い瞳と出会った。
なぜだか、わたしの心臓がどきんと跳ねる。
「スピカは、相変わらずおっちょこちょいだね。うっかり変な男に騙されるぐらい、とても純粋で可愛らしい。奪い返そうとは言ったけれど、元婚約者の侯爵に手渡すのはなんだか癪だな」
シーリンの言い方がなぜだか、男らしく聞こえてしまった。
(わたしったら、女性相手に胸がドキドキしてしまうなんて……)
「シーリンに相談するし、もう変な男には騙されたりはしません」
「本当かな?」
そう言いながら、彼女はわたしの耳にちゅっと口づけてきた。
男女問わず、初めてそんなことをされてしまい、どんどん心臓の音がうるさくなる。
そんな胸の内をごまかすように、わたしは彼女に向かって話しかけた。
「もし、シーリンが男性だったら、話しやすくて優しくて……恋をしてしまっていたかもしれないわ」
わたしがそんな軽口を叩くと、彼女はふんわりと笑った。
「それは良いことを聞いた。嬉しいよ、スピカ」
彼女の微笑みに、心臓が落ち着く暇もない。
「ああ、スピカ、そう言えば――」
そうして彼女はにっこりと微笑みながら、わたしに告げる。
「今度、私の親戚の屋敷で舞踏会があって、そこにデネブ侯と件のご令嬢も来るんだけど……一緒に奪い返しに行こうか――?」
こうして、わたしはシーリンと一緒に、デネブを取り返しに向かうことになったのだった。
※※※
舞踏会当日、わたしはシーリンと共にセレーネ公爵家に来ていた。
どうやら次期当主の婚約発表もあるらしく、会場は大層にぎわっている。
「まさか、シーリンがセレーネ公爵家に所縁のある人だったなんて……」
セレーネ家と言えば、オルビス・クラシオン王国の二大筆頭貴族だ。白金色の髪に蒼い瞳を特徴に持っていて、とても見目麗しい家系の人々である。歴代の宰相も、このセレーネ家から排出されるのだ。
(でもまさか……そんな二大貴族の一員が、髪結いをしているなんて思わないじゃない)
すごい人物が友人だったのだと、なんだかすごく落ち着かない。
舞踏会の会場には、たくさんの貴族が来ていて、わたしはすごく緊張してしまった。
しかも、やたらとじろじろと視線を向けられている気がする。
ドキドキするわたしに、シーリンが耳元で囁いてきた。
「スピカ、大丈夫だよ。私が一緒なんだから」
彼女にそう言われると、不思議と心が落ち着いてくる。
(本当に……シーリンが男性だったら良かったのに……)
そんなことを思ってしまう。
(ありえない、夢物語だわ……)
そうして気を取り直して、二人できゃっきゃっと話していると、すっと人影が伸びてきた。
「スピカ」
声を掛けてきたのは、元婚約者のデネブだった。
「デネブ……」
「こちらに来てくれないか、スピカ?」
「あ、スピカ!」
そうしてシーリンの元から奪われるようにして、デネブに裏庭へと連れて行かれたのだった。
※※※
夜闇の中、裏庭の東屋に連れてこられたわたしは、突然デネブに抱きしめられる。
「きゃっ! やめて、デネブ!」
なぜだか、シーリンに抱きしめられた時のことを思い出してしまい、デネブへの拒絶が強まる。
「スピカ、俺が悪かったんだ。俺のために綺麗になってくれたんだろう? あの派手な身持ちの悪い女とは別れるよ。だからよりを戻そう」
よりを戻すも何も、婚約していただけで、デネブとは男女の関係なんかではなかった。
そんな彼に抱きしめられて、昔の自分なら嬉しかったのかもしれないが、なぜだか嫌悪感が沸く。
「デネブ、そんなつもりは、わたしにはないわ! 離してちょうだい!」
だが、彼は制止も聞かず、わたしに口づけようとしてくる。
(いやっ……誰か助けて! シーリン――!)
その時――。
「女性を表面的な美しさからしか見られない男性は、私は嫌いだな」
大好きな友人の声。
デネブの身体から引き離されて――。
「大丈夫? 私の大事なスピカ」
――気づけば、わたしはシーリンの腕の中にいた。
デネブが声を荒げる。
「スピカと一緒にいたセレーネ家所縁のご令嬢、僕はスピカの婚約者だ。邪魔をしないでもらおうか?」
そんな彼に対して、シーリンは悠然と微笑む。
「元婚約者でしょう? ねえ、私の大切なスピカ」
すると、突然、わたしの唇に柔らかいものが触れた。
(え――!?)
何が起こっているのか理解するのに時間がかかった。
(わたし、シーリンにキスされてる)
まさか初めての口づけが、女性相手になるとは思いもしない。
衝撃を受けたらしいデネブが嘆く。
「君たち、女性同士だというのに!」
そんな彼に向かって、シーリンは微笑んだ。
「私の格好をよく見て、ロード・デネブ」
デネブの視線が、シーリンの着ている服へと移る。
「ま、まさか――あなたは――!」
元婚約者の声が震えた。
わたしも追って、シーリンの格好に目をやる。
(え――? そんな……嘘でしょう――?)
なんと、シーリンは白いフロックコートに青いクラヴァットを身に着けていたのだ。
震えるデネブに、シーリンは蕩けるような笑顔を向け、こう言った。
「そう、ご名答。私は、セレーネ家次期当主――シリウス・セレーネ。正真正銘、女性じゃなくて男だよ」
わたしは声にならない声をあげた。
(シーリンが男性だったなんて!)
「そ、そんな……そんな……」
シーリンと対峙しているデネブは、混乱しているようだった。
「ねえ、ロード・デネブ。今日は私の婚約者の発表だったよね? さて、その婚約者は誰だと思う?」
(そう言えば、そういう話だった気がする。セレーネ家のご子息の婚約会見)
「ま、まさか――!」
デネブが情けない声をあげた。
「そう、そのまさか。私の婚約者はスピカだよ、元婚約者さん」
(え、え~~!!!!?)
またしても衝撃的な事実をシーリンは口にした後、デネブに続けた。
「スピカから話は聞いているよ。なんでもロード・デネブは彼女へ酷い振り方をしたらしいね。さて、どうしたものか?」
「ひっ――!」
シーリンはいったいどんな顔を浮かべていたのだろうか?
半泣きになりながら、デネブは慌ててその場を立ち去ったのだった。
(さようなら、デネブ)
もう自分は彼に全く未練がないことに気づいてしまう。
「パーティの会場で、ロード・デネブが私のスピカを連れて行ってしまった。だから、ね――」
シーリン――いいやシリウス公爵令息が、わたしに向かって手を差し伸ばしてきた。
「――奪われたから、奪い返すことにしたんだ」
※※※
女だと思っていた友人が男だったなんて、しかも新しい婚約者になるなんて、誰がそんなことを予想しただろうか。
つつがなく婚約発表が終わり、わたしはシーリンの部屋にお姫様抱っこで運ばれてきたところだった。
最初に出会った時のように――まるで壊れ物のように、彼はわたしを扱ってくる。
「スピカ、私が男だって打ち明けなかったこと、怒っている?」
「どうして教えてくれなかったの?」
「最初は気づいてなさそうだなって、面白がってたんだけど……だんだん言い出せなくってね。黙っていて、本当にごめん」
真剣な瞳でシーリンが謝罪してきた。
だからわたしは首を横に振る。
「あなたにドキドキしていたから、男だってわかって安心しちゃった。むしろ綺麗な顔だからって、シーリンを女性だと決めつけたわたしが悪かったの……あなたの表面的な美しさしか見てなくって、デネブと何も変わらない」
そう言うと、彼はくすりと笑った。
「君のそういう反省できる素直な点が美徳だよ。ねえ、スピカ改めて聞くけど――」
私の黒髪を撫でながら、彼は問いかけてくる。
「私が男だったら、スピカは好きになりそうだって言ってくれたよね? ねえ――」
彼の蒼い瞳が熱っぽい。
「――私と結婚してくれる?」
わたしはこくんと頷いた。
「――喜んで」
彼が私の黒髪を撫でてくる。
「私の言った通りに手入れをしてくれてるんだね。すごく綺麗だよ、スピカ。君が真面目な女性で本当に良かった。僕はすごく幸せだよ」
そうして彼が私の身体を抱き寄せてきた。
逞しい胸板に、なぜ今まで異性だと気づかなかったのだろうかと不思議に思う。
(美人な顔とのギャップがすごい……)
ドキドキしているわたしに向かって、シーリンはくすりと笑う。
「医師に上半身を診てもらった時に、君と似たような反応をした者がいたね。将来的には宰相だけど、騎士になるために騎士学校に通って鍛えてたから、体つきは結構男らしいんだ」
綺麗な蒼い瞳でこちらを覗いてくる。
「スピカ……ずっと女性だと思われていたから、君に断られるんじゃないかってずっと不安だったけど――君が受け入れてくれて、本当に良かった」
すごく幸せそうに彼は語り掛けてくる。
「シーリン……いいえ、シリウス」
女性みたいな顔立ちなのに、シーリンはどんな男性よりも男性らしかった。
だけどいつものように、とことんまで優しい手つき。
わたしを抱きしめ、愛おしそうにシーリンが告げてくる。
「心優しい君が僕の手でどんどん綺麗になっていって、すごく嬉しかったんだ。これからも大切にするよ、私の輝ける星スピカ」
※※※
その後、無事にシーリンもといシリウスと結婚したわたしは、宰相になった彼の隣で、公爵夫人として生きていくことになる。
どんな時でもわたしを愛してくれるシリウス。
対照的に、どんどんデネブは落ちぶれていった。彼と浮気をしていた女性はずっと色んな男を相手にしていき、気づけば娼婦になっていたそうだ。
距離をとって悪口を言ってきた友人達の家も、次第に政界には顔を出さなくなっていった。
「もしかしたら、女友達として出会って信頼関係を築いたうえでの婚約だったから、良かったのかもしれないね」
時々、シリウスはそんなことを言う。
女性みたいな顔立ちなのに、誰よりも男らしい。
だけど、女性みたいに、話を聞いて励ましてくれる――友だちの役割も果たす――シリウスは、そんな素敵な旦那様で、わたしはすごく幸せ。
まさか地味だって言われて婚約破棄までされて悪役令嬢呼ばわりされてしまった伯爵令嬢のわたし――これは、幸せを奪われたわたしが、幸せを奪い返して幸せな結婚をすることが出来た――そんなお話だったのでした。
お読みいただきありがとうございます。
久しぶりのなろうなので、すごく緊張しています。
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