始動9
腐敗臭の充満した地下水路は耐え難かったものの、老人のいうとおりにわき道に逸れたら臭いはしなくなった。
どうやらこの地下迷宮には空気の流れがあるらしい。
シェザードは地図を照明で照らしつつ歩き小部屋に辿り着いた。
小部屋といっても扉などの仕切りがあるわけではなく通路より若干広くなっているといった程度の場所である。
おそらく逃げ道のない通路での交戦を想定し敵から体を隠すために設けられたのだろう。
腰を下ろして大きく溜め息をつくと静寂が襲い掛かって来た。
脳裏をよぎるのは何故こんな目に会うのかということばかりである。
何故自分が官憲に追われなくてはならないのか。
政府の管理下にある遺跡から屑鉄を持ち出すことは厳密には窃盗に当たるが持ち出した鉄屑は何の使い道もなさそうな壊れた部品の類である。
鞄に入れているところを見られてはいないはずだしそもそもあの面倒くさがり屋の田舎官憲たちがそんなことで中央官憲に報告するとは思えない。
となれば、やはり自律駆動が集団で動き出したという珍事の瞬間に立ち会った可能性があるということが原因なのだろうか。
だとすれば逮捕ではなく事情聴取ではないのか。
何か都合が悪い事でもあるのか。
そうとしか思えない過剰反応に少年は己の考えを改めていた。
研究者になって大きな発見をするんだとという夢を持ったことがある者はなにも自分だけではないはずだ。
それでもこの界隈の研究が遅々として進まないのは、研究が進むことによって明るみになると不味いことがある人々がいるからではないか。
「…………なんだ?」
俯いて顔を覆っていると耳が何かを感じた。
自分が来たほうからだ。
聞き間違いだと思いたかったが楽観的憶測は禁物である。
何かがこちらに向かってきている。
もう所在が発覚してしまったというのか。
焦りつつもゆっくりと立ち上がり息を殺す。
奥に逃げなくてはまずい。
しかし闇雲に逃げて地図にない場所に紛れ込んでしまったらと思うと足が動かなくなる。
そもそも灯りを消さなくては自分の居場所を教えているようなものだ。
そうは思っても出来なかった。
灯りを消したら完全な闇である。
そんな状況になど何の訓練もしていない学生が耐えられるわけがなかった。
そうこうしているうちにも着実に近づいてきている何か。
にも関わらず相手方の灯りが見えないことが不気味だ。
幽霊などの存在は信じていないシェザードだったが流石に得体の知れない者が接近してくる様子は恐怖以外のなにものでもなかった。
息は意図的に殺していたというよりは無意識のうちに出来なくなっていたのかもしれない。
かしゃん、と乾いた音を立てて照明の光が届く範囲に何かが見えた。
その瞬間シェザードは腰の力が抜けてその場に座り込んでしまった。
絶望したからではない。
まさかの相手に安堵してしまったからであった。
「オルフェンス……!」
現れたのは無機質な四つ足の自律駆動だった。
普通の人間ならばこのような暗闇の中で犬ほどの大きさのある四つ足の機械に遭遇したら発狂ものであろう。
ただしシェザードにとって彼は知人である。
機械も足をじたばたとさせて再会を喜んでいるように見えた。
「どうして俺がここにいることが分かったんだよ?」
待ち合わせ場所として伝えた住所は自分が借りているあばら家だったはずだ。
逮捕しに来た官憲たちにオルフェンスが鉢合わせしなくて良かったと思いつつも何故自分を追いかけて来れたのか不思議である。
機械は何回か跳ねると足元に寄ってきて衣服の裾を引っ張り奥へと連れて行こうとする。
一瞬抵抗を感じたシェザードだったが、気づいた。
「そっか。お前らが俺を連れてこようとしていた場所って元々ここだったもんな。地下迷宮の出入り口は沢山あるから、奥に進めばフリーダンにも会えるってわけか」
オルフェンスが自分の体を震わせる仕草はきっと肯定を表しているのだろう。
何を言いたいのかは分からなくもないが会話出来ないのはやはり不便だ。
そういえばフリーダンはどういうわけかまるでオルフェンスと会話しているかのような言動を見せていた気がする。
彼と合流すればこの些細な謎もきっと解明するだろう。
闇の中を臆せずに先導する自律駆動に着いて行く。
一応地図も書き足していくが分岐が多くて途中から訳が分からなくなってしまった。
このような場所が大都市の下に網目のように広がっているとは思いもしなかった。
これも触れてはならない謎の一つなのだろうか。
「フリーダン!」
『シェザード。来てくれて嬉しいです』
しばらく歩いていると明かりが見えて広い空間に出た。
灯りを持ち立っていたのはぼろぼろの神官服を着た大男だった。
フリーダンは予想とは別の方向から来た二人に少し意外そうな反応を見せたがオルフェンスの無言の説明を受けて納得する。
同時にシェザードも彼がどうやって自分を探し当てたのかを知ることが出来た。
官憲たちが貧民窟に押し入っている中でこっそりあばら家に辿り着いたオルフェンスはそこで老人たちの会話を聞いたと言うのだ。
暗渠という言葉でここが連想できたのだという。
老人たちが心配であったが、彼らとシェザードの関係を知らない官憲たちはシェザードの部屋は荒らしても彼らに危害を加えることはなかったようだ。
安心しつつも知らない人に自分の私的な空間に立ち入られたことには衝撃を隠せない思春期のシェザードであった。
「ん? それにしても……なんでオルフェンスはここに詳しいんだ?」
『どういうことですか?』
「だって、こいつはあの遺跡でずっと眠っていたわけだろ? その前は……空の上にいたはずだ。なのに迷いもせずにあんたと合流できた。ここは政府の人間でさえあんまり調査が進められていないはずなのに」
フリーダンが覚えさせたのかもしれないと思ったが自動鍵盤ではあるまいし、しかもそんな高度な内容を記録させられるとは思えなかった。
思い返せば老人たちの会話を盗み聞きして自分の居場所を特定するなどといった行動も驚くべきことである。
はたして機械にそんな臨機応変な対応が出来るものなのか。
性能で言えば驚くべきほどに進んだ技術によって作られているのは間違いないだろうが所詮は機械だろうに。
『その答えはあちらでお話しましょう。ついてきてくださいますか?』
「あっちに何かあるのか?」
『昼間にも少しだけお話しましたが会わせたい方がおります。そこでまとめてお話したほうがご理解いただけると思います』
未だ意味不明な状況だったが同じ意味不明でも官憲に追われている状況よりは比べ物にならないほどましだ。
シェザードが頷くとフリーダンは感謝を示して一礼をし歩いて行った。
なんとなく地図に目を落としてみたがやはり自分が今どこにいるのかはさっぱり分からない。
少年は並んで歩く大男と自律駆動の後を追い迷宮の更に奥へと進んでいった。