始動8
夜。
普段なら照明代の節約のために寝ている時間にも関わらずシェザードは起きていた。
謎の大男たちと密会する。
恐らく遺跡や百年前の戦争、ひいては空に揺蕩う玉虫色の靄の秘密を知ることが出来る好機に少年の胸は高鳴っていた。
迎えに来るのはおそらく四つ足の自律駆動であるオルフェンスだろう。
案内されるのは首都全体の足元に広がる地下の大迷宮だ。
未だに政府の人間でさえ全貌を掴めていない謎に自分のようなただの学生が触れることが出来る。
しかも正解を知っている者に導かれるという夢のような状況だった。
シェザードは学校卒業後は研究者の道に進みこの国の謎を解き明かしたいと思っていた。
たった百年前の事だというのに誰も暴くことのできない不思議な事象の数々を紐解き歴史に名を残すのは自分だと夢想してきた。
待ちきれずに部屋の中をうろつき何度も窓の外を眺める。
暫くすると寝静まった街に人が溢れる気配を感じた。
「なんだ……?」
通りの向こうに感じる違和感に目を細めていると扉が小さく叩かれ自分の名を呼ぶ声が聞こえた。
小屋の二階を自分に貸してくれている大家の老人の声だ。
驚いたシェザードは少しだけ待機して起きたふりをして扉を開ける。
そこには真剣な顔をしたデリック爺が立っていた。
「どうしたんだよ、こんな夜中に」
「官憲がお前さんを逮捕しに来た。何をした、これのせいか」
「なんだって!?」
手に持っていたのは昼間にお土産として渡した良質な鉄屑だ。
遺跡に転がっている空から落ちてくる鉱物はこの貧民窟で生成されるものに比べて格段に良質であるため良い金になると聞いていたので持ってきてあげたものである。
確かにそれは違法なことではあるがわざわざ深夜に官憲が家を訪ねてくるようなことではない。
まさかとは思うがフリーダンらとの出会いがばれたとでも言うのだろうか。
「な、なんで俺が逮捕されなきゃなんないんだよ。盗みはばれてないはずだよ」
「わからん。わからんからとにかく逃げるぞ。今は入口に住んでる若い奴らが足止めしてくれているからその隙にだ。連中め、いくら我々が相手だろうと聞かれたら逮捕の理由を話さなければならんのに言おうとせん。その時点でまともじゃない。だから素直に捕まってやる義理なんかないぞ。奴らは捕まえた後で適当に罪をでっちあげることが出来るからな」
「わけわかんねえ……どこに逃げたらいいんだよ」
「少し先に暗渠の入口がある。そこに行こう」
「安全なの?」
「ああ。奥はまだ未調査だがある程度は地図も作ってある。貸してやるから暫く隠れているんだ。さあ出発するぞ」
「で、でも……」
「急ぐんだ!」
シェザードはまごついていた。
いくつか思い当たる節はあるもののいざ自分が逮捕されるかもしれないと聞いてすぐに受け入れることなど出来るわけがない。
それにここにはオルフェンスが来る予定だ。
動いている自律駆動が首都に出現していることが発覚すれば問題は更に大きくなってしまうだろう。
促されるままに階下に降りるとファビオ爺が簡易的な自給生活の準備を整えてくれていた。
数日分の食料や寝具の入った鞄を背負い外に出ると争う音が顕著に聞こえる。
自分たちの聖域に踏み込まれた不法居住民たちが公僕の介入に抵抗している音だ。
決してシェザードの為ではないのだろうがそれでも罪悪感を感じ少年は心の中で謝りつつ遮蔽物に身を隠しながら進むデリックの後を追った。
着いたのは腐敗臭ただよう排水が流れ出てくる人工的な洞窟だった。
シェザードも場所は知っていたが好んでくるようなところではない。
「この中に入るのかよ……臭くて一時間と持たないよ」
「安心しなさい。中には分岐がいくつもある。枝道に入っちまえば臭いは気にならなくなるだろう。ただし奥には行きすぎるなよ。戻ってこれんくなるからね。なにせここは政府の連中も知らん地下迷宮の出入り口の一つだから」
「えっ、迷宮!?」
「話はまた今度聞かせてやるから。地図にある丸の位置が部屋になっておるからそこにいるといい。時々近況を聞かせに来るがわしら以外の声がしたらすぐに逃げなさい。いいね」
「あ、ああ。ありがとう……デリックさん」
シェザードは意を決して暗渠の中に入って行った。
むせ返るような悪臭と湿度が全身を包んでいった。
「これだけの人員を投入するなんて……何を考えているんですか」
貧民窟の入口にて着々と準備を整える中央官憲に交じり地方官憲であるオブゲンとグレッグは所在なさげに立っていた。
生徒一人に話を聞くというだけで何故これほどにまで物騒になってしまうのだろう。
オブゲンも普段の柔和な笑顔を曇らせて額に皺を寄せている。
グレッグの吐き捨てる呟きが聞こえたのか陣頭指揮をとっていたマーガスが振り返った。
「想像も出来ないのか? ここは外部との接触を極端に嫌う獣以下の屑の掃きだめだ。小僧がどうやって受け入れられたのかは知らんが一度受け入れた者に対してはくだらん仲間意識を持つ。抵抗には備えておいたほうがいい。それに奴らがいる可能性も高い」
「奴ら……」
グレッグは思い出す。
あの可憐な少女たちが凶悪な犯罪者だとはどうしても思えなかった。
遺跡から首都に戻る駆動四輪の中でグレッグたちはマーガスに郊外学習に来た学校関係者の資料を提出していた。
そこで凄腕の捜査官が着目したのは当の行方不明になった生徒ではなく用心棒のほうであった。
「お前たちは確認したのか?」
「ええ、その、まあ」
「ちゃんと傭兵商会を通してある正規の用心棒でしたよ」
「正気で言っているのか。商会への傭兵登録など金さえ積めば誰でも出来ることだ。経歴だっていくらでも詐称できる」
「伝手と実力で成り立っている世界なんですからそんな事をしても無意味でしょう」
何故嫌味を言われているのか分からないグレッグは宥めるオブゲンを振り払ってマーガスに噛みついていた。
研究所の所長が問答無用で逮捕された時には恥ずかしくも気後れしてしまったがこのような暴挙は許されて良いはずがない。
捜査官のほうが役職は上とはいえ、オブゲンに対する態度の悪さが若い官憲の正義感に火をつけていた。
その熱意をまるで感じていないようにマーガスは涼し気な顔で足を組み替える。
「でかい仕事を得ようと思えばな。貨物列車の護衛や要人警護なんかはそうだ。だが学生の護衛など儲からんし対して武勇を誇ることも出来ん。公職に取り入ることが目的だったとしても接するのはお前らのような末端だから無駄な努力だ」
「何が言いたいんです」
「目的はそれらではなかったということだ。真の目的は遺跡にあった。多少の経歴があり悪い評価さえ付いていなければ学校など流れ作業で採用する。きちんと確認をするべきはお前らだったのに、お前らはそれを怠った」
「だから何が」
「この女のことだ」
マーガスは持っていた資料をオブゲンの足元に投げた。
睨みつけながらグレッグが拾い上げる。
遺跡への出入りを許可する登録書には教師も生徒も名前と簡単な特徴、住所くらいしか載っていないが用心棒は異なる。
用心棒の登録書には最新の技術である光画が添付されていた。
光画とは光を利用して紙面に映像を焼き付け可視化させたもののことだ。
今までは似せ絵の画家によって人相がかなり異なってしまっていた人物像をほぼ当人のままに再現できる技術である。
用心棒は脛に傷を持つ人間がなることも多く保安のために顔の登録が導入されるのが早かった。
何かあった場合、すぐにでも指名手配犯として手配できるからである。
登録書には白黒で若干ぼやけていてもその整った顔立ちが分かる女性が正面を向いて移っていた。
ネイ・アリューシャン。北の大陸の辺境の町生まれの19歳である。
確かに顔には刺青をし、耳にはいくつも耳飾りをつけており露出も高いので出自に癖はありそうだがだから何だと言うのだろう。
マーガス本人が言ったように用心棒の中には多少素行の良くない者などごまんといるものだ。
「顔の刺青は模様ではなく文字だ。アシュバル古語。こいつはアシュバル人だ」
「アシュバル人? ……まさか捜査官、貴方はアシュバル人は皆犯罪者だとか、その手の偏見を信じて動いていらっしゃったんですか?」
「そろそろお前はうるさいな。黙ってろ」
「答えてください!」
「ハンマヘッド君落ち着いて。とりあえず、生徒に事情聴取しに行った時にその娘が邪魔しにくるかもしれないから用心しろということですな」
「オブゲンさん……!」
「そうだ。聞けば自律駆動の集団暴走があった時に最初に応戦していたのは用心棒たちだったというじゃないか。担当の官憲でさえいなかったのに何故奴らはそこにいたのか。それまではずっと生徒やお前の部下どもに囲まれていたはずなのに。取り巻きを振り切ってまで得た空白の時間。その直後に集団で暴走した自律駆動。一時的に行方不明になった生徒。おそらく生徒は何かを見たはずだ。だから保護してやろうというのは人道に基づいた行動だろう?」
「何を隠していらっしゃるのかさえ分かればお答えできるのですが」
「ふっ……お前らには知る必要のないことだ。黙って従っていればいい」
オブゲンが深々と頭を下げたのでグレッグはそれ以上反抗することが出来ない。
確かにアシュバル人は小さな国土に少ない人民のわりには世界中で問題行動を起こしている。
だが実際に接してみてグレッグはあの人当たりの良い朗らかな女の子が生粋の悪人だとはどうしても思えなかった。
燻った疑問を抱えるグレッグの感情を置き去りにして時間は過ぎていった。