十二の鐘が鳴る前の7
世界を半周した海の果て、深夜のアシュバルは翁社護の邸宅に設けられた御堂より獣のような叫び声が轟いた。
北の大陸で気脈を揺るがす魔力の異常が感じられた時から昼夜堂内に籠り、鎮護国家の勤行と嘯いて次の合図に備えていた男の只ならぬ様子に庭を警護していた僧兵たちが血相を変えて堂に飛び込んだ。
堂内では結界符を巡らし無数の燭台で照らされた中央で一人老人が顔を抑えてうずくまっていた。
気色ばんだ僧兵たちが何事があったかと訊ねると老人は憤怒の表情で叫んだ。
「小賢しい……小賢しいっ!」
僧兵たちはあっと驚いた。
その顔はまるで誰かに殴られたかのようにひしゃげ、眼窩と鼻柱が折れて血を噴いていたからだ。
シェザードによる一撃が気脈を辿って本体にも影響を及ぼしていたのである。
老人は痛みと恥辱に顔を歪ませながら僧兵たちに下知した。
「民を集めよ! やはり彼の地に全てがあった……。今こそ、我らの宿願が果たされる時が来た!」
宵闇に鐘が鳴り渡り大勢の灯りが一か所に参じて行った。
その異様な光景は駐在する諸国の官民の不安を煽った。
何か大事が起きようとしている。
その予感はすぐに現実のものとなった。
かつての勢いは衰えたとはいえ大国のロデスティニアで革命が起こり首都が占拠させる事態となった衝撃はすぐさま世界を駆け巡った。
革命発生時に即時首都を脱出して西の都市に機能を移した現政府は流石であるとの賞賛の声もあがる中、相対する勢力の指導者が再起を図る革命三剣士の子孫スタン・バルドーであるとの噂もあり諸国は動向を見守る姿勢に入った。
勝敗以前に人々の関心を引いていたのは直前に報じられていたアシュバル人の関与だ。
世界中で暗躍した過去を反省するとして自らその顔に咎の刺青を掘り国外へ出る際には報告の義務を科していたアシュバル人が、いつの間にか世界で一番遠い国に現れその直後に革命が起きたとあれば人々は平和を脅かす悪魔が再び何かを画策しているのだと考えても不思議ではなかった。
どちらが手を組んだのか。
存在を明らかにしたのは政府側であるので、ならばバルドーがアシュバルと与したか。
しかし正義の人と謳われた男の行動としては甚だ疑問だ。
それが分からないうちから介入するのは危険であり、対岸の人々は今後の動向を見守る以外になかった。
この反応はアシュバル人にとって追い風となる。
ネイを指名手配にして世界に拡散すればどこかが本国への制裁に動くだろうと考えたマーガスの期待は不発に終わった。
更に翁社護は自身の重傷を利用し何者かに襲撃され命の危険を負ったと噂を広めた。
諸国はアシュバルに密偵を送り込むとこの事実を確認し、民衆が真夜中の邸宅に集った事を結び付けて憶測を巡らした。
巷ではアシュバル人の主権において慎重派の姿勢を貫く翁社護に不満を持つ勢力が暗殺に及んだのだという風説が瞬く間に広がっていった。
現翁社護を除かんとする鷹派勢力の台頭は世界の安全保障を脅かすとして危機に備えんがため諸国は軍備を入念に整えていった。
世界を巻き込んだ大きな戦争がなくなってまだ百年足らずだというのに。
人々は再び歴史が繰り返されるかどうかの瀬戸際に立たされていた。
一方ロデスティニアの首都ベインファノスでは仮初の戦勝祝いが成されていた。
銃撃戦も行われたというのにほとんど死者が出なかったのは奇跡的なことだった。
人々は地下空洞の崩落によって偶然にも崩れ落ちた政庁舎を囲みこれは神罰だと興奮気味に語り合う。
意外なことにその中には勝手に戦場にされた市民たちも交じっていた。
群衆が易々と事態を受け入れたのにはいくつか理由があった。
一つには政治家たちが自分たちを見捨ててあっという間に逃亡してしまったことだ。
現在政治の中枢にいる政治家たちはかつてのバルドーの乱の時の新米政治家でありその時に培った危機管理能力が逆に裏目に出てしまったといっても過言ではない。
政府さえ機能していれば彼らはまだ負けたことにはならないがそれを首都の市民が納得するかはまた別の話であった。
もう一つは軍や官憲の士気が低かったことだ。
彼らは直前にクロフォードという脱走兵とシェザードたち政治犯をそれぞれ捕まえることが出来なかったことで上長が責任を取って辞任したばかりであり、今回の防衛任務には急造された新組織で当たらねばならなかった。
そこへ命令権を持った政府の逃走が加わった。
現場の指揮官だけでは本来ならば市街地での発砲許可も下せない中で彼らは自身の進退を顧みずによく戦ったが、それでも迷いがあったことが死者の出る激戦を回避できた要因と言えるだろう。
メドネアの星の急襲からたった半日、軍や官憲たちは状況を認識するやいなや政府の後を追って撤退する勢力と投降する勢力に分かれて瓦解した。
去る者は追わず、投降する者には誠意をもって接するメドネアの星の姿は市民を考えさせた。
彼らは飛行船を使って空爆することも出来たのにそれをせず民間人を襲う姿さえまったく見なかったのに、一方では貧民街や学校を襲って多数の死傷者を出したという話も聞こえてくる。
自分で見た様子と聞こえてくる情報の乖離は安全を確信した人間の好奇心をくすぐることになった。
最後はバルドーの存在が大きかった。
彼は長らく収監されていたことにより一般市民の間でも神格化されつつあった。
そんな彼が堂々と君臨し、反乱組織をまとめあげ騒動をあっという間に鎮圧してしまった。
その後に集まった民衆の前で事件裏のからくりについて演説したのだから効果は絶大だった。
バルドーはミゲルとマーガスの計画を白日の下に晒した。
難癖をつけて軍と官憲の長官を自分たちの息のかかった者にすげ替え、地方の人々を挑発して首都を襲わせ、混乱に乗じて悪と定めた社会的弱者を掃討するという計画には誰もが耳を疑った。
だが再逮捕された囚人がミゲルの手引きで脱獄し約束通り学校を襲ったことなどを白状すると人々はバルドーの言葉を完全に信じた。
このような計画は一介の刑務官と捜査官風情では練りようがなく、恐らくは逃げた政治家の中に自分の更なる権力を獲得しようとして二人を援助していた黒幕が存在するはずだとバルドーが指摘すると人々は声を上げて怒りを表明した。
「あーあ、バルドーバルドーて。ここまで持ってぎたんはエルスカでねえか」
怒りの声を扇動するバルドーを尻目に生傷だらけの女性が毒を吐いた。
自分たちメドネアの星はいつの間にかバルドーの手下ということにされておりそれが気に入らないのだ。
確かにエルシカが決起し命がけでバルドーを迎えに行かなければ彼の現在はないだろう。
それでも若き革命家は苦笑するにとどめていた。
「いいんだよ、リッキー」
「いぐねえよお! あの爺も爺だ、全部てめえで成し遂げだみでな演説しぐさっでがらに」
「私じゃあ民衆は耳を傾けないさ。それにあの人はああやることで私に向くであろう非難を一身で受け止めてくれているんだ。机上の策士かと思ってたけど戦後処理まで完璧とはね。大した英雄だよ」
「なんがむかつく。釈然としねえ」
かつて空の謎を知ろうとして殺されたエルシカの両親のため、自分たちを焚きつけるために殺された仲間の家族の無念を晴らすため、決死の想いで首都襲撃に乗り出したメドネアの星の面々には面白くない状況だ。
だがエルシカはこれを宥めてまわった。
首都を占拠しただけで革命が成功したわけではない中で民衆の支持を得ておくのは最重要事項だ。
これは一時的な勝利に過ぎずまだ闘争は始まったばかりなのだから。
「それに……ここまで持ってきたのは私じゃない。わが生涯の友、シェザードさ」
演説会場となった政府庁舎の広場の片隅に目をやるエルシカ。
夏の昼間だというのに疲労と緊張から寒さを訴えて毛布を被り小さく座り込んでいる少女とそれに寄り添う白髪の美人の姿がある。
本当の功労者という者は理解されないことが多い。
しかし彼らには拍手喝采よりも今は休息を与えるべきだった。
その後、報道によってシェザードは一転してバルドーとメドネアの星の間を仲介していた革命家の一人として正式に讃えらえることとなる。
では一緒にいたアシュバル人とはいったい何だったのかという話題も再燃したが、革命軍はそれを若者の刺青を誇大解釈して不安を煽ろうとした政府側の陰謀だったと発表した。
発表によりネイ・アリューシャンというアシュバル人の少女は北の大陸の架空の少女として存在そのものが世界から消えてしまうことになるがシュリは承諾した。
彼女のことは自分さえ理解していれば良いのだと言って。
メドネアの星改めバルドー派の戦いはこれから始まる。
だがシュリはリオンを連れて故郷に帰ると申し出た。
リオンの正体を聞いたエルシカはそれを他言しないと約束し共闘出来ないことを惜しみつつも友のこれからを祈った。
こうしてロデスティニアで起きた革命の長い一日は暮れていった。




