十二の鐘が鳴る前の6
王族の抜け穴にセレスティニア人の魔法化学が加わった石造りの壁にひびが入っていく。
戦いの代償は思ったよりも早く訪れたようだ。
遥か昔に造られた先人の叡智が音を立てて崩れていく。
首都の地下に網目のように張り巡らされている空洞が連鎖して陥没する恐れがある今、脱出は勿論のこと地上の人々に危険を伝えなければならない火急の事態となっていた。
リオンが服を着ている間にシュリはシェザードの亡骸をどうにかして運び出そうと手を尽くしてみたが駄目だった。
雷導と呼ばれる火花放電が終わった後でも暫くは内圧により着装者は身体が膨張した状態になっており、それを知らずとも装甲をめくろうとした時に感じた噴出の気配がシュリの手を止めさせた。
甲冑を脱がせることは出来ず、かといって流石の怪力のユグナ族でも仰向けに寝させるだけで精一杯だ。
その努力を傍目に見ながらリオンは袖に手を通しつつ涙を拭った。
「遅くなってごめんなさい! 準備できたよ!」
「うん、こっちは……ごめん。シェザを連れて外に出ることは出来なそうだ」
「……しょうがないよ。それよりもシュリ、おじさんに肩を貸してあげられる?」
「マーガスだ。人の名前くらい覚えておけ」
「あなただって私のこと、ずっと娘、娘って言ってたじゃない」
「小言を言う元気があるならまだ大丈夫だね」
「やめろ。俺はここでいい」
愛用の斧を置いたシュリが腕を掴むとマーガスは鬱陶しそうに振り払った。
救助を拒否するのは予想していた。
おそらく地上では既にバルドーとメドネアの星が首都を掌握しつつあるだろう。
マーガスは現政府側の人間でありメドネア市民大量虐殺の首謀者であるので極刑は免れないし、その前に星の人々によって私刑に処せられるかもしれないので生きて地上に戻っても未来などないのだ。
「早く行け」
「駄目だ。お前は僕たちを指名手配犯にしたり、色々やったんだから」
「自分たちこそが正義だと喧伝する生贄がほしいか。ふん……アシュバル人を指名手配にしたのは我ながら良策だと思ったがな。既に記者どもによって悪しきアシュバル人の野望は世界を駆け巡っている。奴が……翁社護が今から行動を起こしても世界は既に制裁に向けて動き出しているだろう。あとはお前らが好きに話を創るがいい。死人に口なしだ」
「いいや、お前の口から全部真実を喋ってもらう!」
「そうか。あくまでも俺に生き恥をかかせたいというのなら抵抗してやる。上の奴らに危機を知らせる時間を奪ってやるくらいなら出来るだろうな。どうだ」
「お前……」
「シュリ、行こう」
「……くそっ。誰かに何か伝えたい事はある?」
「謝罪でもしろと?」
「違うよ……! 家族はいるのかって聞いてるんだ」
「愚問だな」
「……そうかよ。分かった。リオン、行こう」
「うん。……ありがとう、マーガス」
マーガスは目を瞑って何も答えなかった。
リオンとシュリは部屋を出る前に一度だけ振り返ったが意を決して走り出した。
光の届かない地下迷宮は松明だけが頼りだ。
シェザードが残した破壊の後を辿って行けば迷わずに脱出は出来るだろうが崩落の余波が何処に現れているか分からないので一目散に駆けるのは危険だった。
だが不自然にも崩落はなかなか進まなかった。
その原因である男はシェザードによって千切られた手ともう一方の手を震わせながら頭上に掲げ、気脈から土の魔力を探り出し己の魔力に変えて最期の魔法を唱えていた。
そしていよいよ力尽きると土壌を支えていた植物の根が急速に老い枯れていき空間を構成する気脈の流れが変わっていく。
これでもうアシュバルの亡霊がやってくることはないだろう。
目的はこの地の気脈の構成を変えることで時間を稼いで二人を助けたのはついでだったのかもしれない。
マーガスは大きく溜め息をつくと石棺を背にして空を見上げた。
そこには天井しかないが男には遥か先が見えていた。
玉虫色の靄を越え、中空に浮かぶ大陸で生きる者の上に広がる懐かしの青空が鮮明に見えていた。
「渡り鳥、か……自由を求めて行きついた先が穴ぐらとはな。なかなか皮肉が効いていて良いじゃないか、なあ? 結局は鳥かごの中ってことだ」
仰向けに寝かされ手を胸の上で組まされた物言わぬ化身装甲に話しかける。
今思えばこの少年を巻き込まなければこの結末にはならなかった気がする。
ただ純粋に空の謎に興味を持っていた、どこにでもいるような少年が瞬く間に重要人物たちと繋がっていくとは誰が思うだろうか。
人の縁とは思わぬところで繋がっているものだ。
「だけど……少しだけ自分の意思で飛べた気がする」
高い天井が割れ二人の上に降り注いだ。
轟音が鳴り響くと地上では政庁として利用されていた王城が瞬く間に沈んでいった。
間一髪、地上に出る事が出来たリオンたちは目の前の惨状に蒼白になったがすぐに誰も巻き込まれていなかった事を知る。
もともと出仕前の早朝で人がいなかった政の中枢は東区の陽動や政治家の逃亡などでほぼ無人と化しており、更に急に意志を持ったかのように動き出した樹木に異様なものを感じたエルシカやバルドーの采配で全員が避難を完了していたのだ。
合流したシュリのぼろぼろの有様を見てエルシカは驚き、シェザードがいないことを不審に思って尋ねると、地上の人々が無事だったことで緊張の糸が切れていたリオンは言葉を発しようとして叶わず代わりに声を上げて泣き崩れた。
シュリが説明をすると反乱の陰でそのような大事が起きていたことなど露ほども知らなかったエルシカたちは絶句した。
だが全てを皆に理解させるにはリオンの素性を地方出身の学生と偽っていたことから訂正していかないといけない。
戦闘もまだ部分的には終わってはおらず、長い一日は始まったばかりだった。




