十二の鐘が鳴る前の3
ネイを殺した男は中央官憲の捜査官だった。
厳密には違うのだが裏の事情など知らないシュリは同じ中央官憲なのだからマーガスも関わっているのではと判断した。
マーガス自身も関与を仄めかす発言をしたのでシュリが報復の一撃を下そうとするのも無理はない。
しかしシェザードはシュリを止めた。
化身装甲の腕力だからこそ止めることが出来たがユグナ族の怪力は凄まじく油断すると振りほどかれてしまいそうだった。
ただし力を込めすぎると少女のような細身を砕いてしまいそうで加減が難しい。
シェザードは細心の注意を払いながらマーガスを見、次いでリオンを見つめた。
自分が見つめられていることに気付いたリオンだったが目を合わせてくることはなかった。
『……入れよ』
「え?」
暫く続いた沈黙の後にぽつりと呟いたのはシェザードだった。
責められるとばかり思っていたリオンは驚いて顔を上げた。
シュリも戸惑いの表情を見せる中、シェザードは石棺の周囲を見回して魔力の流れを注視した。
よく見れば流れの向きは分かるものの、やはり仕組みの理解には至らないので色々調べたであろうマーガスに向き直った。
『おい、どうやって動かすんだこれ?』
「シェザード!?」
『落ち着けよシュリ。いや、まあ落ち着けるわけもないか。お前はネイの遺志を継いでリオンをアシュバルに連れていきたいんだもんな。たとえ王家の末裔じゃなかったとしても、これだけ魔力があるなら役に立つかもしれないし。ここまで来て無駄骨じゃあ、ネイが死んだ意味がなくなっちまうもんな』
「そうだよ! 分かってるなら放してよ! リオン、君もそんなのは身勝手だと思わないのかい!? ネイが死んだ時、君もあんなに泣いていたじゃないか! そんな、ネイを殺した奴と同じ組織の奴に、どうして君は身を委ねることが出来るんだ! その涙は一体なんなんだ!?」
「ご、ごめんなさい……!」
『身勝手は俺たちだよ、シュリ』
「なんだって!?」
『悪い、俺口悪いからはっきり言っちまうけどさ、俺たちがやろうとしていた事ってリオンを使って自分の望みを叶えようとしていたって事なんだよな』
「……え?」
『だろ? ネイはアシュバル人の為にリオンを連れて帰ろうとした。お前は惚れた女の役に立ちたかった。俺もさ、一緒に行けば空の国の謎が国外でも研究出来るかもしれないなんて考えだった。な? 誰もリオンの気持ちを確認してなかったんだ。でもマーガスはどうだ。そいつは何の得にもならねえのにリオンを先の時代に送ろうとしてるんだぜ。きっと今よりはリオンが利用されないで済むような未来にさ』
「そ、それは」
「……大きすぎる力は誰が持っても不幸になる。だから秘匿し、問題を先送りにするだけだ」
『なら殺せばよかったじゃん。リオンが死んだら空の国が落ちてくるってわけじゃなくて、魔法を使うと、なんだろ? 今までいろんな人の人生容赦なく終わらせてきたくせにさ、リオンにだけ温情かけるなんて、おかしいよな。未成年だから官憲様は裁けないってか? なら俺も未成年だぜ? でもお前、俺の事なんか早々に指名手配犯に仕立て上げただろ。お前あれは俺許してねえからな』
「死んでも落ちて来るかもしれない。確証がない。だから殺すことに抵抗があっただけだ」
『違うだろ?』
言葉には出さなかったがシェザードはマーガスの本心を見抜いていた。
彼は目的の為に創られた自分自身の生い立ちを少女の中に感じていたのだ。
要は同情してしまったのだろう。
だからこそ己の因縁であるアシュバルに関わって欲しくなかったのだ。
王家の末裔は存在を確認しつつも本国に知らせず、強大な魔力を持つリオンを関わらせることなく。
自分は魔力を隠してただただゆっくりと祖国が衰え滅びていく様子を見守る事が彼なりの復讐だった。
あるいは本当に二度と関わり合いになりたくなかっただけかもしれないがそれは彼にしか分からないことだ。
大事なのは、その意志が他の誰よりもリオンに望みに沿っているということだった。
『なあリオン。お前が何も言わずにそいつに付いたのは罪悪感があったからだろ? お前は今まで俺たちを騙してた。いや、悪い、俺たちが勝手に勘違いしていたんだ。そんでお前も勘違いがそのまま続くことを願った。魔導兵器とお姫様じゃあ雲泥の差だもんな。気持ちはまあ……分からなくもねえよ。まあでも、共感するとは言わねえよ。百年前さ、お前がどんな目に合ってたのかなんて、なんとなく想像は出来るかもしれねえけどやっぱ完全に理解することなんか出来ねえし。だからさ、お前が俺たちをあっさり見限ってそいつの提案に乗ったのはさ、やっぱちょっとむかつくわ。今まで一緒に過ごして来たのは何だったんだよってさ。これでもあれだって思ってたんだぜ、その……友達、とかさ』
「…………!」
『でも……お前も言い出せなかったんだよな。期待されてたもんな。必要とされてるって分かって、でもそれは魔導人形としてじゃなくてさ。すげえ力を持った魔法使いだってんで魔法使いの国に受け入れて貰えると思って、お前、嬉しかったんだろ。でも魔力を見ることが出来る奴がいるって聞いて、お前は逃げた。ばれるのが怖かったんだよな。本当のことを言い出せなかったのは俺たちの失望する顔を見るのが怖かったからだろ。だから俺たちの前から消えようとした』
「あ……うう……」
『遠くへ逃がしてくれ、か……。この国から一番遠いのはアシュバルだけど、別にそういう意味じゃなかったわけだ。考えてもみりゃあ、フリーダンはアシュバルとは全く関係ねえし。全部俺たちが手前の都合の良いように誤解しちまってただけだったってこった。フリーダンのあの言葉はそのまんまの意味だったんだ。あいつはお前の護衛者としてずっとお前の傍にいて、ただただ贖罪も込めてお前にただのリオンとして生きて欲しかっただけなんだ。だから俺に託したんだ。マーガスでもなくて、ネイでもなくて、なんのしがらみもねえ、一般人の俺だったんだ』
フリーダンもまた間違いを犯していた。
託す相手を間違えたことだ。
彼が最初にマーガスに出会っていればこんなに大きな問題にはなっていなかっただろう。
惜しむらくはマーガスがセレスティニア側の人間であるフリーダンとは敵の立場にいたことと、他に仕事があったのだろうが自ら地下迷宮に潜ることなく調査隊を派遣してしまっていたことだろうか。
もしもの話は生産性がないがそれでも考えてしまう。
もしも自分が遺跡で勝手な事をしてオルフェンスに出会っていなかったら自分はフリーダンと出会うことはなかったし、フリーダンと出会わなければリオンも眠りから覚めることはなかった。
その前に自分は官憲に家宅捜査に来られることもなく指名手配犯になることもなかった。
その間にマーガスとフリーダンが出会ってくれさえしていれば、シェザードは校外学習の数日後に一度だけ接点のあった用心棒の二人が事故死したという新聞記事を見つけたアレックスとその話題で少しだけ会話していたことだろう。
そして何気ないいつも通りの毎日を過ごし続け、研究者となり、地方の遺跡に配属され中央の監視の下で報われない研究に精を出しそのまま晩年を迎えたに違いない。
無難な人生だ。
だが今だからこそ言えるが研究者になってしまっていたら空の大陸が精隷石で浮かんでいることや魔法という存在が関係してくることなど知り得なかっただろう。
夢を基準にするなら今が一番謎に近づいている。
だとすれば、今が一番幸せなのかもしれなかった。
『シュリ。リオンには遠い未来まで眠りについてもらおう。俺たちの都合で戦争の延長だの国家のなんとかだの、糞みてえな事の生贄にするのは良くねえよ。たまたまちょっとだけ接点があった、その程度の関係なんだ、俺たちは。そんな奴に自分の人生背負わせちゃならねえよ』
「でも……」
『ネイの願いを叶えたところでアシュバルにとっちゃ知らねえ奴が勝手にお節介焼いてきたって感じにしかならないぜ』
「リオンは、リオンはそれでいいのかい? 今回はたまたま目覚めることが出来た。でも未来に目覚めることが出来る保証はあるの? それに……君のその力はいつの時代だって利用されるよ。現在から逃げても、ずっと!」
『いや、大丈夫だろ』
「何が! そんな適当なことを言って」
『俺の仮説だけど。未来にはリオンの力は役に立たなくなってると思うんだ。ほら、遺跡ってあるだろ。空から落ちてくる。俺考えたんだ。あれって精隷石の効果が弱まった空の大地の一部が結合力を失って落ちて来てるんじゃないかって。で、精隷石は暫く放っておくと周囲の魔力を取り込んで復活する。その時近くにあった事で魔力が移って動き出してたのが自律駆動なんじゃないかってさ』
「……ほう」
『だから空の大陸は段階を踏んで落ちてくる。その下にあるこの国にとっちゃたまったもんじゃねえけど、それでも一度に全部が落ちて来るよりは被害は少ないはずだ。そんなわけで未来にはきっとこの国の空にも青空が広がってるだろう。だから未来にはリオンの力は意味がねえものになってるだろうさ。で、どうやって目覚めるかだけど。さっきこの空間の魔力を見てみたけど、潤滑に巡っている魔力が途絶えると石棺が開く設計みたいだ。だから物理的に開けても目覚める事は出来るよ。その使命は……シュリ、あんたがやってくれよ』
「僕が?」
『ユグナ族って長命なんだろ? いいじゃねえか。この国はもうエルシカたちがなんとかするだろうし、そうなったらマーガスが俺たちのことを指名手配犯にしたのも無しになる。大手を振って歩けるようになるよ。そうしたらエルシカにこの事を説明して、お前が番人になるんだ。それこそがネイの為にもなるって、俺は思う』
「またそんな事を言って! 君にネイの何が分かるんだ」
『大きすぎる使命背負ってる女を手助けして使命果たさせて、ただの女にしてやることをお前は望んでたんじゃないのかよ。そいつは救いだって言ったけど、あれはあながち挑発でもねえと俺は思った。ネイはアシュバルから解放されたんだ。そのアシュバルに、お前は別の女をあてがおうってのか』
「……そ……」
『なあ、一週間くらいだったけどさ、俺たち、楽しかっただろ。俺は楽しかったぜ。友達が……たくさん出来たみたいでさ。だから友達の頼みくらい聞いてくれよ』
「シェザード?」
声色を変えていくシェザード。
腕を掴む力が弱まっていくことを感じてシュリに緊張が走った。
なんとか立ち上がったマーガスの目にもそれはありありと見えていた。
長期稼働に向かない化身装甲が終わりを迎えようとしていた。
「話は済んだか? おい、さっさと棺に入れ。石棺の封印にはそいつの魔力を使う。なくなってしまってからでは遅い」
「シェザード!? 君……君は……?」
『悪いシュリ。俺な、本当はもう死……駄目なんだ。でも、ネイが少しだけ力を貸してくれてさ。思うようにやったらこういう結末になった。ってことは、ネイもこれを望んでいるんだと思う。分かんねえけど、そんな気がするんだ。だから……』
「分かった……分かったよ。……リオン!」
「ごめんなさい……わたし……」
『元気でな』
シェザードの死期を悟ったシュリは一転して彼を支えた。
リオンは無言だったが膝をついたシェザードが弱々しく見上げると走り寄ってその顔を抱いた。
何が正しいのか、どうすれば良いのか誰にも分からなかった。
だが二人は自分たちと共に歩んだ少年のためにそれぞれの迷いを断ち切っていた。
服を脱いだリオンが棺に入る。
シュリに肩を支えられたシェザードがなんとか棺の傍に寄る。
マーガスは片手を化身装甲に、もう片手は石棺へと置き二つを繋げる魔法を唱え始めた。
周囲の壁の隙間を走っていた青白い光が活性し、石棺の周囲が輝きだした。
「シェザード、シュリ……ありがとう」
石棺の中に液体が満ちていく。
思えば石棺には蓋がなく、最初はこれが蝋のように固まり満ちていた。
リオンの顔が見えなくなると少しずつ液体が凝固していく。
それを見守りながらシェザードは静かに崩れ落ちた。
自分の魔力を使わないとはいえ高度な術式を使った事により重傷を負っていたマーガスも深いため息と共に膝をつく。
ともあれこれで全てが終わるのだ。
シュリは涙を拭い、これで良かったのかと初恋の人を想い天井を見上げた。
そして凍り付いた。
室内だというのに雷が落ちシュリとマーガスは吹き飛ばされ壁に激突した。
それは誰も気付かないほどに魔力を潜めながら、イカルが咄嗟に魔法を使ってしまった時から様子見をしていたのだ。
天井に存在していた小さな目が空間を歪ませて降りて来る。
床に足が着くころにはそれは重厚な法衣をまとった老人の姿となっていた。
「仔細は上で聞いていた。イカルよ。長きに渡る使命、大義であった」
「ぐっ……な、なに? 何が起きたの?」
「くそ……やはり来てしまったか。翁社護……!」
懸念が現実となった。
ついに来てしまった。
アシュバルの長、翁社護。
その顔には不気味なほどに満面の笑みが湛えられていた。




