十二の鐘が鳴る前の2
『シュリ!? 待て!』
後ろから現れた者がシュリであると気づいた時には彼は既に巨大な鉄の刃を振り下ろしていた。
広い天井にリオンの悲鳴が響き渡った。
思わぬ人物から名前を呼ばれたことに驚いたのか渾身の一撃が若干弱まる。
しかし斧はマーガスの鎖骨を断ち胸を切り裂いた。
それは一瞬の出来事だった。
マーガスは後ろに飛び退きつつ咄嗟に手を前に出したがその手には銃が握られているわけでもなく空振りに終わった。
仰向けに倒れた中年の服が真っ赤に染まっていくと棺から出たリオンがその傷を手で覆う。
敵を庇う姿のリオンを見てシュリはますます混乱した顔をしていた。
「リオン……! そいつはあの時の中央官憲だろ!? 君を攫って……そうなんだろ!?」
『シュリ、落ち着いて聞いてくれ。そいつにはまだ聞きたいことがあるんだ』
「あなたはあの時の……。でもその声は……シェザード?」
『簡単に説明するとこれは化身装甲だ。あの人から引き継いだんだよ。……おい! 大丈夫か!?』
マーガスもフリーダンも、シュリにとっては北区の迷宮の出入り口で遭遇した時以来でありそれが今や一方は庇われ、一方は実はシェザードであるなど混乱するなというほうが無理だった。
中央官憲は敵でしかなく、その敵がまるでリオンを人質に取っているようにしか見えなかったから先手必勝で斬りかかったというのに。
なにやら不味い事をやってしまったという空気に責められているようで不快感が募る。
そんな中、溢れ出る血で手が汚れるのを厭わずに必死で傷口を抑えるリオンの姿が一瞬だけネイの脳漿をかき集めた時の自分の記憶と重なってしまった。
「リオン……。なんで泣いているの? なんで……一緒なんだ?」
何故一緒にいるのかという問いではないように見えた。
その涙がネイのために流されたものと同じであることに嫌悪感を示しているような声色だ。
少し懸念を感じたシェザードは双方の間に立ってシュリの動向を警戒しつつマーガスを見下ろす。
意識ははっきりしているようだが重傷を受けてその息は粗く額には脂汗が浮いていた。
『ざまあねえな』
「やってしまった」
『何が』
「避けようとして無意識に使ってしまった。今までずっと隠して来たというのにな。発動しなかったから良かったが……。急いだほうがいいかもしれん。聞け。この装置は外側からじゃないと動かせない。早急にこの娘を眠らせるぞ。動かし方を教えてやるからお前の力を使わせろ」
「眠らせる? リオンを? シェザード、どういうことだい?」
『それがリオンの意志……らしい』
「意志? なんでだよ。アシュバルに逃げるんだろ?」
「この娘はアシュバルの奴らが望む王家の末裔じゃない。ただの魔導人形だ。だが空の国を落とせるなんて力を持っている。奴らには絶対に渡ってはいけない力だ」
『さっきからなんなんだよその、魔導人形って。リオンは人形じゃねえよ!』
「そうだ。人間だ。だがそう思わない者もいる。……百年前、セレスティニアは戦争に勝つために恐ろしい研究を行った。人工的に魔法使いを作り出すという研究だ。それは長い時間を要したが成功した。母胎から取り出した胎児と精隷石を結合させるという実験だった。魔導人形は心臓の代わりに精隷石で生きている。いわばお前のその、化身装甲の外殻が生身であるようなものだ。人工的に生み出した子供をセレスティニア人は魔導人形と名付け、五、六歳ほどになると戦場に投入したという。その中で最高傑作がいた。精隷石との結合率が高く、いや高すぎるが故に魔法を使うと周囲の気脈や精隷石にまで影響を与えてしまう程だったという。セレスティニア人はその少女にだけは名前をつけて脅威を喧伝した。かつて蛇の王という強大な存在から世界を救った救世の巫女……魔法使いだったと言われるリオンの名をな」
「……なんだよ、それ」
「お前らもあの女からこの娘が空を落とせると聞いたんじゃないのか? 魔法を視認できなくても魔法使いの端くれだ。その程度なら理解できたはずだ。なのに連れて行けば、どうなる。アシュバル人はその力を使って世界に仇成すだろう。必ずな」
「そんな……ネイはそんなこと思ってない」
「あの女がたった一人どう思ってようが関係のない話だ。どの時点でかは知らんがこの娘は気づいたんだろう。何処へ行こうとも自分は利用され、災いを招く存在でしかないとな」
「そんなことはない!」
「そうだ! そう言っているだろう! だがそうは思わない者もいると、何度言えば分かる!? 理想論だけが世界か? 目を背けているのか! いいか、空にあの大陸があり、アシュバル人が存在し、こいつが存在する限りこいつには安息なんか訪れない! だがな、こいつは精隷石の活動を抑えれば仮死状態で何年先でも目覚めることが出来るんだ! 今やアシュバルは死に体、魔力ある子も減り、技術力もなく、あと何十年かしたらその野望は物理的に潰えるだろう。だから俺はこいつに提案したんだ。それまで再び眠りにつかないかとな」
「官憲のお前が……何でそんなこと知ってる?」
『…………』
「ふっ、俺の仕事を何だと思っているんだ。国家が隠蔽した事なんか簡単に暴ける立場だぞ? 空と大地の戦争の消された歴史も、アシュバルの事も、俺に分からないことなどない。だからいいか、もう一度言うぞ。こいつの力はどこに渡っても誰も幸せにならん。問題の解決はこいつを殺すか、眠らせるかしかないんだ。どちらかしかないのなら眠らせるほうを選ぶ。それが人道というものだろう」
「……お前の部下はネイを簡単に殺したよ。何が人道? アシュバル人は人じゃないって? 僕はユグナ族だからよく知らなかったけどアシュバル人って世界中で人じゃないって言って嫌われているらしいね。だからネイは逮捕もされずに殺されたの? あれは……お前も関わってること?」
「あの女にはあれが救いだった」
殺気が周囲を包み込むのを感じシェザードはシュリを止めた。
マーガスに止めをささんと動き出そうとしたところを邪魔されたシュリは恐ろしい目でシェザードを見上げた。
好きになった女性を目の前で殺されたシュリの気持ちは痛いほど分かるつもりだった。
だがアシュバル人として同じ運命を背負わされ、マーガスのように祖国の異常さに気付くことなく使命を全うしようとしていたネイが果たして真実に気付いた時にシュリの好きなネイであり続けるかどうかは疑問だった。
アシュバルの代表に魔力を見られリオンが王家の末裔ではないと発覚した時、ネイは使命を果たせず紛い物を連れ帰ろうとしていたことに衝撃を覚えるだろう。
しかし有用な使い道があると知り、それがアシュバルの復権に利用出来ると知ったらどうだろうか。
恐らくネイはリオンにも運命を背負わせることをためらったりしなかっただろう。
そんな姿をシュリはどのような目で見るだろうか。
志半ばで何も知らずに死ぬことが救いだなんて納得したくなかった。
だがシェザードはマーガスの言葉のほうが正しいと思ってしまった。
シェザードは今、知らなければ良かったと思える世界に片足どころか文字通り全身を突っ込んでしまっている。
それは決して幸せな事ではなかった。
きっとマーガスはリオンに同情してしまったに違いない。
そして祖国に仕返しがしたかったのだ。
欲しているものを何も与えないという仕返しをするために、彼は少女の淡い夢に自らの夢を重ねた。
彼女が遠い未来に再び目覚める事を夢見ている間に、今でさえ衰退し国家の存続が風前の灯となっているアシュバルが自然消滅してくれるという夢を。
「シェザード! なんで邪魔するんだ!?」
腕を取られ暴れるシュリを見下ろしながらシェザードは何も言えなかった。
自分はシュリの立場にはなれない。
当然リオンの立場にもマーガスの立場にもなれないのに、その全てが少しずつ理解出来る気がする。
ただしそのいずれの当事者にもなれない、自分はただの一般人なのだ。