空無き国の渡り鳥8
シェザードはシュリたちのいる監獄に向かおうとしていた。
マーガスの足取りを見失ってしまった以上、数の上で圧倒的劣勢に置かれている本隊に合力したほうが良いと考えたからだ。
稼働限界の迫る自分があとどれくらい動けるのか分からない。
引き継げるうちに情報を引き継いでおきたかった。
マーガスが何をしようとしているのかはますます分からなくなっている。
彼が普通のロデスティニア人であったならリオンを懐柔した目的は先ほどの男と同様に富国強兵の切り札として使う為だっただろう。
一方でアシュバル人の内通者イカルとしても、その行為は王族の末裔を本国に連れ帰る際や連れ帰った後の諸国への牽制利用という理由が考えられた。
だが、彼は同胞であるネイを殺すように仕向けた。
ロデスティニアを謀り同胞を退け、自ら寄る辺との関係性に唾を吐いた男の真意とは一体なんなのだろう。
『うっ……!?』
体捌きを間違えて制御不能になり地面を削りながら倒れこんでしまうシェザード。
訓練を受けたわけでもない少年は、質量の変わった身体に脳の処理能力が追い付かず求めていた動きと実際の動きに誤差が生じてしまう仕様に慣れずにいた。
とは言え、慣れるまで待ってなどいられない。
自分はもうすぐ死ぬのだから。
死という言葉が脳裏をかすめた時、急にミゲルの最期が想起されてシェザードは仮面の口元を押えた。
込み上げてくるものを覚えて膝をついたまま嘔吐く。
だが、普通ならば鎧の中は吐瀉物で溢れるだろうにその感覚はまるでなかった。
それが強烈な違和感となりシェザードは更なる深みへ誘われていった。
感覚と事実が異なる不快感。
目も耳も鼻も、腕も脚も、自分の体の部位を意識すればするほどに確信が持てなくなるという負の連鎖。
しかしその手で人を殺し、見届けた事だけはねっとりと記憶にこびりついて拭えない。
のみならず未だに肉片が手指の装甲の隙間にこびりついている気がしてきてシェザードは半狂乱になった。
あれは俺の本心じゃない。
仕方のない事だったんだ。
あの男は独善的な正義感を振りかざし人の命に優劣をつけ多くの犠牲を出した犯罪者だ。
だからろくな死に方をしなかったのは自業自得だったんだ。
……果たして本当にそうだろうか。
もしそうだったとしても自分が手を下して良かったのか。
自分の行為を肯定してしまったらあの男と変わらないのではないか。
ならば自分も死んで当然なのか。
稼働限界。
まさにそれが答えなのだろう。
分からないほうが不幸だと思っていた死期が事前に分かってしまうということがこれほど恐ろしいことだとは思わなかった。
上手く装甲を扱えないぎこちなさがその感覚に輪をかけた。
死にたくない。
夢叶わず、何も成せず、自分ですらなくなって置き去りにされていく孤独感。
そもそもシェザード・トレヴァンスという人間は既にこの世にはおらず、今の思考は重厚な鉄の外殻を動かす筋線維が集積した符号の一部にすぎないのかもしれない。
そんなのは嫌だ。
なんでこんな目に合わなければならないのか。
やっぱりもうやめよう。
あと少し、頑張ってみたところでどうせ死ぬなら何のために頑張るというのか。
結果が実を結ぶ頃には自分はもういない。
このまま眠ってしまったほうが恐怖の中で死にゆくよりも安らかに逝けるのではないか。
しかし、シェザードは何故かふとシュリの話を思い出した。
ネイが凍果ての大地を越えて来たという話だ。
彼女はほぼ死が確実な状況で何故前に進むことが出来たのだろう。
寒さと疲労で眠くなり諦めかけたことは一度や二度ではなかっただろうに、何故足を前に出す事が出来たのか。
ネイ、あんたはどうしてこんな遠くの異国の地で最期まで笑っていることが出来た。
心臓を撃ち抜かれた時のあの笑みは受け入れられない事態に困惑して現実逃避したものだと思っていたが今なら違うと分かる。
あの状況で笑えたこと自体があり得ない事だ。
あの時あんたは何を思ったんだ。
周囲が騒がしくなってきた。
異常に気付いた官憲や軍がやってきたのだろう。
水中のようにくぐもった怒声が殺意と共に足音を鳴らして近づいてくる。
それらは全て自分に向いている笑えない感覚だった。
誰かが肩に触れた。
お調子者で自惚れで、どんな時も明るく鼓舞してくれた露出の高い女性の優しい微笑みが背後で感じられた気がした。
はっとして顔を上げると官憲たちに立ち向かっていく人々の姿が見えた。
見覚えのある彼らを見た時、シェザードは考えている事自体が馬鹿らしく思えてしまった。
結局は自分が納得できるかどうかなのだろう。
諦めたように見せかけてこれほどにまでごちゃごちゃと考えてしまうのはまだ未練があるからだ。
生きていれば成し遂げられないことのほうが多く、何かに挑んでいれば必ず道半ばとなる。
だからこそ人は誰かに後を託す。
研究もそうで、有史以来多くの人々が謎に対する答えを探し求めてきた。
そして掴み取った栄光は決して一人の力ではなく先人の残した遺産の上にあった。
成し遂げることが出来ずとも解けない謎はなく後に続いてくれる者さえいればいずれ解ける。
それを確信するから笑って後続の背を押すことが出来るのだ。
つくづく自分は研究者志望らしい。
この期に及んで比喩に研究が出て来るとはなんて自分らしいのだろうと笑みが漏れる。
シェザードは放置して暖機運転状態になっていた火花放電を再び稼働させ渾身の力を込めて立ち上がった。
確実に前進している人々の中に、エルシカが説得したであろう伝説的な革命家の背中を見ながら。
その時不思議なことが起こった。
視界の全てに輝きが溢れ、光が身体を突き抜けて行った。
驚いて周囲を見ると全てのものの輪郭が発光し空気さえも色づいて見えた。
そしてそれらは中空で混ざりあい、まるで西から東へと移ろってゆく気流のように一つの流れとなって同じ方向へ流れていた。
それは高位の魔法使いのみが辿り着ける境地、魔力の可視化だった。
この世に存在する物は全て魔力と呼ばれる不可視の動力を宿しているが、見ることが出来るのは魔法使いと呼ばれるほどに魔力を有している者の中でも更に魔力に対して理解を深めた者だけと言われていた。
当然シェザードにはその力はない。
何故彼がその境地に達することが出来たのかは分からないが少年は確かにその世界を見ていた。
空を見て、再び大地に視線を下ろして。
深くぶ厚い地面を挟んでマーガスとシェザードの視線が交差する。
あそこは地下迷宮……リオンを見つけた最初の地だろうか。
全てを見通すことが出来るようになった目で最短距離を導き出すとシェザードは再び駆け出すのだった。




