空無き国の渡り鳥7
乗り込んだばかりの軽装甲機動四輪を轟音が襲った。
衝撃で揺さぶられるほどの風圧に身を屈め、思わず瞑ってしまった目を開けると防弾硝子と屋根がなく目の前で大男が影を作っていた。
たったの一払い、腕を横に薙いだだけで砲弾に匹敵する破壊をもたらす兵器。
仮面のような顔には目も口もついていないものの明らかに顔を覗き込まれている気配にミゲルの全身から汗がにじみ出た。
『早く言えよ。時間がないんだ』
「ああそうかよ」
出力を最大限に。
急加速で後退しつつ車体の両脇に装備された軽機関銃が火を噴いた。
かつて鉄壁と謳われた化身装甲も現代の火器相手では分が悪い。
シェザードは横に飛び、勢い余って街路灯を根元から吹き飛ばす。
「あの小娘がなんだって!? そんながらくたに乗り込んでまで聞いてくる内容がそれかよ。お仲間が今もどんぱちやってるってのによお、青春だねえ!」
『……いいから、答えろよ!』
軽装甲機動四輪は官憲が所有する最大の兵器だ。
専ら運用は町と町の間の移動に使われるもので、不意に自律駆動や大型の野生動物に襲われた際にも運転手の操作で機銃を使用できるように握り手の部分に引き金が取り付けられている。
そのため荷台に設置された機銃を扱う砲撃手がいなくても一人で全てを賄うことが出来る。
砲台が三門も取り付けられているため鈍重かといえばそうでもなく、列車で逃げるシェザードたちを追ってデルヤークへと急行した際にも使われたほど機動力も高い高性能の新兵器だった。
「わかったわかった教えてやるよ。あの娘ならマーガスが監獄のほうに連れてったぜ。いや待てよ、臨時の対策本部のほうだったかな? よう、どっちもあり得て困るよなあ。なにせ正反対の方角だもんな!」
『ふざけんじゃねえ!』
「おお怖ええ! やけにせっかちじゃないか! 分かるぜ、稼働限界ってやつだろ? だったら俺なんか相手にしてないで、ほら、行けよ」
むき出しになった操縦席で不敵に笑うミゲル。
地面を蹴って一気に距離を詰めようとしたシェザードの横をあざ笑うかのように急加速ですり抜けていく。
玄関を破りながらの登場と街路灯を破壊した動きでミゲルはシェザードが化身装甲を上手く扱えず直線的な動きしか出来ないことに気付いていた。
ただし気づいたとはいえ回避は容易ではなく、高速で動く鉄の塊相手に一歩前へ踏み出せる芸当はよほど肝が座ってなければ出来ないだろう。
「ま、本当の事を言うとな、むしろ俺が聞きたいくらいだ。なんでお前が先に出て来る? そもそもお前腹の穴はどうしたよ。まあいいけどな。メドネア反乱軍の連中が化身装甲まで持ち出したってなりゃあ話題性はたっぷりだ。あとはバルドー公を一押ししてこの事態を鎮圧するのみってね」
『俺にはスタン・バルドーがお前なんかの口車に乗るとは思えないがな』
「口車とか……聞こえの悪いことを言うなよ。俺はただお前ら悪党どもから善良な市民を守りたいだけなんだからよお」
『思いあがってんじゃねえ……。罪もねえ人たちを悪人に仕立て上げて、騒ぎ起こして、どさくさに紛れて気に入らない人たちを殺して! 責任ばっか他人に押し付けて、めちゃくちゃにしたら今度は世界をてめえの思い通りに作り直しますってか。何様のつもりだよ、ただの官憲のくせによ!』
「残念、俺は刑務官様だ。あと罪もねえ人たちってのは聞き捨てならないな。メドネア反乱軍の連中は文字通り日頃から反乱ごっこをしていたそうじゃないか。国家転覆罪は未遂でも無期刑だぜ? それに貧民街の連中はいわずもがなだろ。お前はそこで暮らしてて何を見て来たんだよ。違法建築に税金未納、塵は荒らすわ不衛生だわ、首都の暗部だの掃きだめだの言われといて無実もくそもないだろう!」
『だから殺していいってのか!?』
「誰もしたがらない溝掃除して、感謝されこそすれ嫌味言われる筋合いはないぜ!」
『お前……!』
優しくしてくれた老人たち、強面だが慣れると気の良い住居不定者の男たち、彼らの顔が脳裏を駆け巡る。
頭に血が上り突進しようとしたシェザードだったが狙いを付けられていることに気付き咄嗟に回避を選択した。
無数の重たい弾丸が動線のすれすれを掠め遠くの壁を崩壊させた。
なんとか機銃の射線から外れた化身装甲は、しかし体捌きを誤って今度は技研の建立記念碑に衝突してこれを粉々に破壊した。
死にかけた事による恐怖からの興奮状態、そしていつ稼働限界に陥るか分からない焦り。
それらと操縦の難しさが相まってシェザードはいつもの冷静さを取り戻せずにいた。
瓦礫を被り這いつくばる相手にミゲルは拍手を送った。
やはり時代遅れな兵器では相手にならない、勝利を確信した男は語り出した。
「よく避けたなあ。だけどもう稼働限界も近いんじゃないか? せっかくだから教えてやるよ。嫌な奴だって思われたままなのは癪だし、時間稼ぎにもなるしな」
『…………』
「あのな糞がき、もうこの国は綺麗事を言っていられる余裕なんかねえんだわ。俺は長らく刑務官をやってきたけどよ、これって本来は必要ない職業なんだよな。だけど需要は右肩上がりさ。何故って、年々増えてんだ犯罪者がよ。まあ理由は様々だけどな、失業や貧困で仕方なく手を染める者も増えている。そりゃそうだよな、金がねえんだもん。じゃあ金は何処にある。調べるとまあこれが随分無駄な所に使われてるもんだ。糞の役にも立たねえ政治家連中もそうだが、大昔の罪を未だに引っ張り出して、寄ってたかって金をむしり取っていく連中が居やがったんだ。誰だか分かるか? 世界さ。植民地政策の賠償だのリンドナル侵攻の責任だの……。そりゃあお偉方はいいさ。俺たちから搾り取った税金使って、自分たちの懐が痛むことなんてないんだからな。諸国に諂って金ばらまいてりゃ賞賛を浴びる、美しくて簡単なお仕事だ。だけどその陰じゃあ毎年何百何千という数の社会的弱者が犯罪に手を染めたり死んだりしているってわけだ。この不条理を、お前ならどうやって止める? どうするよ、ええ? 俺はこう考えた。まだ腐りきってないうちに少しでもまともな血管に血が回るようにする。まともな奴が舵をきって、阿呆みたいな要求を突っぱねることが出来る、そんな強い国に生まれ変わらせなきゃってな」
『それで……この茶番だってのか?』
「大きな変化ってのは痛みを伴うもんさ」
セレスティニア脅威論はとうの昔に疑問視され諸国は近代化に一歩乗り遅れたロデスティニアを搾取していた。
政府は諸国に従順な姿勢を見せる為、対セレスティニアの防衛費や研究費を国民に課しそれを貢納金としていた。
セレスティニアの現在を知ろうとする各種研究を主導していたのは情報統制が目的で、そこには最初から謎などなかったのだ。
その体制を抜本的に見直し、再建を図ろうというのが一刑務官の夢だった。
なんという身の程知らずな独善だろうか。
そんな事なら最初から政治家になっていればよかったのだ。
人々が犯罪の瀬戸際にあるという世相に経験則で気付き、不条理だとしながらもその構図を理想の踏み台に利用するという不遜。
そんなもののために痛みの一言で片づけられた者たちの無念が少年を奮い立たせた。
『糞だな……。糞みたいな脚本だ。そんな糞劇場の登場人物に勝手にさせられて、それでデリックさんたちは死んだのか。……メドネアの人たちも、ネイも……!』
「ネイ? ああ、あのアシュバル人の女な。そうだ、アシュバルが暗躍してたってのは嬉しい誤算だった。やっぱりならず者国家はならず者国家でしたってな。どっから湧いて出たのかは知らないがあっちにも世界の目が向いてくれれば面倒事が分散される。全く、いい仕事してくれたもんだぜ」
『シュリがいないのは良かったのか悪かったのか……』
化身装甲の全身が震え火花の弾ける音が増した。
シェザードが出力を上げた音を稼働限界が近い兆候と判断したミゲルは舞台挨拶に立つ作家のように左手を胸に、右手を広げて一礼してみせた。
この外道のとどめはシュリに譲るべきだったのかもしれないが今この場にいない以上しかたがないし、何より最愛の人を失った友人の心の傷に塩を塗り込みかねないので会わせるべきではなかった。
だから奴を始末するのは自分だと少年は覚悟した。
「はっは。もう一つ、最期に教えといてやるよ。お前がそのがらくたを扱いきれてないって事はとっくの昔にお見通しだ。飛び道具もない、殴る蹴るしか出来ない、しかも動きは直線だけ。残念だったな何の役にも立たなくて」
『ああ、残念だよ。お前の頭』
「あ?」
『俺からも最後に教えておいてやるよ。頭ってのは使うためにあるんだぜ』
粉々になった瓦礫を掴んだシェザードが……投げた。
不揃いの飛礫が散弾のように軽装甲機動四輪を襲う。
生身むき出しのミゲルはシェザードの挙動に気付き間一髪で助手席へと上半身を屈め座席が一瞬で爆ぜ飛ぶのを見た。
そしてその間に間合いを詰め、拳を振り上げる化身装甲の姿を。
「待て、そ――」
憐れな中年夢想家は一瞬で頭骨を砕かれ肉片へと変わった。
勢いで運転席もろとも粉砕し飛び散った動力液が火花放電と反応して爆発する。
神官服に燃え移った火の粉を叩き、シェザードは何の感触もなかった拳を見た。
あまりにも軽い、シェザードにとってそれが最初で最後の殺人だった。