空無き国の渡り鳥6
リオンはマーガスと共に行ってしまった。
アシュバルの王族の末裔ではないと隠し通すことが出来ないなら利用されるほうがましだという事か。
これでは彼女を信じて散っていったネイが浮かばれない。
彼女の死に涙していたリオンは今、自分の選択に何を思っているだろう。
魔導人形とは一体何なのか。
マーガスはアシュバルの出自を隠し一体何をしようとしているのか。
つまらない国盗りの合間に見え隠れする謎に触れたままシェザードは息絶えようとしていた。
彼を呼ぶ声が聞こえるまでは。
――シェザード。
心落ち着く穏やかな低音。
淀んでいた少年の瞳に再び光が差す。
ほんの少ししか一緒にいなかったはずなのに、とても懐かしく頼もしい声。
首を向けた先には寝台に乗せられた大男の抜け殻がある。
――フリーダン?
――ここへ。貴方はまだ死んではいけません。
血まみれの腹部を押さえ片方の腕で上体を持ち上げる。
痛みが吐き気となり咳き込む。
化身装甲……彼が何を言わんとしているのか分かった。
最後の力を振り絞り、自分に少女を託した護衛者の元へ。
シェザードが寝台に何とか寄りかかるとそれを待っていたかのように鎧が持ち上がり神官服がはだけた。
厚い胸部の外装が頭部側へ競り上がると連動して腹部の耐圧甲が左右に開き、中の薄い保護膜が拡がった。
鎧の内部は空洞になっており襞と神経に食い込む回線がまるで血管のようだ。
時代が下り改良されほぼ人間大までの大きさになった魔導兵器が大きな口を開けて新たなる着装者を待ち受けていた。
――ただし。
手を伸ばしかけたシェザードに再び声が聞こえた。
中に残されていた遺骨は装甲の修繕時に摘出され分析に回されておりもはやそこにはないがフリーダンは確かに語り掛けてくる。
科学では言い表せない不思議な現象だが空に浮かぶ大陸だの自律駆動だの、魔法などという超常を見てきて今更そんなことなど言うものか。
装甲を挟んだ寝台の向こうにシェザードは精悍な壮年男性の姿を見ていた。
――負傷している貴方がこれを着装すれば貴方はもう二度と元の姿には戻れないでしょう。外装の破損、精隷石の動力切れもまた死に直結します。それでも……我儘を許してください。出来る事なら私は貴方に託したい。それが今、許されているのだから。
――あんたには聞きたいことがあったんだ。……知ってて俺に託したのか? あいつが、魔導人形だって。
――……はい。
――なんで言わなかったんだよ。
――言う必要がなかったからです。
あの子はただのリオンだから。
フリーダンはまっすぐにそう答えた。
戦争のない時代に目覚める事が出来たのならただのリオンとして自由に生きて欲しかった。
それがあの子を護り続けて来た自分のただ一つの望みだと。
関係なかったのだ。
空の国を落とせる究極の力だの、救世の巫女の名を継ぐ者だの、魔導人形だの、そんなものはどうでもよくてただ遠くに逃げて欲しいというそれだけの想いが残留思念となってリオンと共にあった。
人々は知らなかったかもしれないがフリーダンだけは知っていた。
彼女が泣き虫で、食い意地が張っていて、嘘をつけば挙動に出る、小心者で頑固なただの女の子だという事を。
シェザードは大きく頷くと化身装甲の内部に手を伸ばした。
するとまるで吸い込まれるかのような感覚がして腕が取り込まれていった。
脚を曲げて下半身に通し、もう片方の腕も腕装甲の内部の空洞に置く。
ひとりでに胸部装甲が締まっていき火花が爆ぜるような音が響き始めた。
装甲内部が体に密着していくと回線の一部に突出していた針のようなものが皮膚を破った。
一瞬だけ全神経が把握できるような痛みが走り気を失いかけたが眩しさで意識を取り戻す。
自分の体が自分のものではないような感覚。
徐々に五感が戻っていくと大男の半分ほどの身長しかなかった少年の四肢は大男と一体化していた。
奇妙な感覚だった。
甲冑のような体が自分の意思で動いている。
手のひらと甲をまじまじと眺めたあと周囲に目を配ると全てが小さく見えた。
これがフリーダンの見ていた世界か。
――リオンの気配が離れて行きます。あの男、何をするつもりなのか分かりませんが他の官憲と合流されたら厄介です。急いで!
『ああ!』
走り出すシェザード。
だが一瞬で目の前に扉が迫り度肝を抜かれた。
手をつく間もなく目を瞑ると次に見えたのは崩壊した壁と部屋の外の通路だった。
まるで感触がなかったがその崩壊はシェザードの体当たりによるものだった。
圧倒的な耐久力と弾丸のような脚力。
今までの無力な自分と同じ感覚で体を動かすと恐ろしいことになるということが容易に理解出来た。
しかしこの身体能力があれば過ぎ去ってしまった時間を埋める事が出来る。
意を決したシェザードは床を抉り飛ばしながら駆けた。
技研の前ではミゲルが暖機運転中の軽装甲機動四輪の縁に腰をかけ煙草をふかしていた。
マーガスがなかなかにして遅いが男は焦ることなく冷静だった。
もしかしたら既にメドネアの星は刑務官と囚人を全て片付けスタン・バルドーの元に辿り着いているのかもしれないが、あの清廉潔白な志士が私利私欲のにじみ出る似非革命集団に迎合するとは到底思えなかったからだ。
バルドーが首を縦に振らなければ時間はいくらでも稼げるし、自分はマーガスと共に集められるだけ兵力を集めて討伐に向かえば良いだけだった。
爆発音が聞こえた。
そんなものは東のほうから薄っすらとずっと聞こえているがミゲルは顔を上げた。
聞こえたのが技研の中からだった気がしたからだ。
目を向けた途端、技研の正面玄関が爆ぜた。
現れたのは北区の駅近くの荒地でなんとか倒した大男だった。
研究室に収容し、先ほどまで寝台の上に置かれていたはずの兵器を動かしているのは誰か。
何が起きたのか理解できず暫く呆けた顔で見つめるミゲル。
大男はミゲルを把握すると蒸気が噴き出るような音を立てて刑務官と対峙した。
『リオンはどこだ?』
「嘘だろ……お前、あのがきか?」
瞬時に短刀を取り出して投げつける。
投擲精度は高くシェザードの顔に当たった。
だが金属音がして短刀は地面に落ちただけだった。
苦笑いしたミゲルは機動四輪に乗り込んだ。