空無き国の渡り鳥5
腹部を殴られた感覚があった。
下を向いたシェザードが目にしたものは複数の銃弾によって赤く染まった腹部だった。
信じられないという気持ちが熱さと共に込み上げると途端に足腰の力がなくなってしまう。
叫び声をあげて駆け寄ろうとしたリオンをマーガスが捕らえた。
「シェザード!? シェザード!」
「今まで計算通りに動いてくれてありがとうなあ。でももう用事は済んだみたいだし、もういいよな」
ミゲルに確認を取られ肩をすくめてみせるマーガス。
いいも何も、撃った後ではないか。
どうせなら腹ではなく頭にしてくれれば自殺に見せかけることも出来たがもう遅い。
即死させなかったのは恐らく貧民街の住人にしてやられた鬱憤が納まらなかったからだろう。
「嘘つき! 殺さないって約束したじゃない!」
「え、約束? 俺はしてないけど?」
「俺がした」
「先に言えよ……。まあ、ほら、なんだ、まだ死んでないから殺してないってことでいいだろ。病院に行けばいい。行かないで失血死したらそりゃこいつの意志だ。仕方がない」
「離してっ! シェザードが死んじゃう! シェザード! シェザードっ!」
「悪いマーガス、そのうるさいお嬢ちゃんも始末しておいたほうが良さそうだ」
「こいつの事は気にしなくていい」
「うぐ……うう……ひっく……ひっく……」
「うん? まあ、お前が片付けるならそれでいいんだが? ……あーあ。それにしても、お嬢ちゃんも酷な事言うよなあ。お友達がこんな状態になってんのに止めを刺してあげちゃ駄目だなんて。周囲にゃもう誰もいないからな、こりゃあ長く苦しむことになるぜ? ま、自業自得って言えばそれまでなんだけどな。セレスティニアの謎を解き明かして政府に突き付けてやろうってところまでは良かった。だけどメドネアの星なんかに感化されちまったんじゃ……こうなっちまうのも自己責任だわな」
「な、なんだよそれ……俺はメドネアの星に感化なんかしちゃいねえよ。政府がどうのとかなんか考えてねえよ……。ばっかじゃねえの? お前ら、社会的弱者を罠に嵌めて、社会的弱者同志で潰し合わせて、てめえも弱い者苛めして。それで責任も取るつもりがねえ、擦りつけますってか。それがいい歳したおっさんのやる事かよ……」
「俺はお前みたいな賢いつもりの鼻ったれが一番嫌いだよ。ま、せいぜい苦しんで死にな。それが今のお前に出来る全てだ」
「待てよ……リオンは……」
シェザードの目前に拳銃を投げて寄越すミゲル。
銃そのものや銃弾から所有者が特定されそうなものだがここまで不用心だとそれも想定済みでどこかからくすねてきたものなのだろう。
敢えて証拠品を全て置いておけば捜査の幅も狭まる。
実に官憲と刑務官らしい、裏の事情をよく知った手口だった。
いよいよ膝をついてもいられなくなったシェザードがうつ伏せに倒れる。
痛みは脳が遮断したのかあまり感じないが出血多量による悪寒が腹の底から死の恐怖を感じさせた。
自分はこんなところであっけなく死んでいくのか。
一連の騒動に巻き込まれただけで、その結末を知ることもなくこんな中途半端なところで。
「ええと、次はエルシカ・ロードとユグナ族だな?」
「ああ、まだバルドーと接触は果たせていないと思うがユグナ族の戦闘力は洒落にならないからな。急ごう。ああ待て、整備に出していた特殊装甲車両が格納庫にある。先に行ってくれ。俺は最後にこいつと話がしたい」
「ユグナ族ってのは自律駆動並みかよ、おっかねえな。分かった、表に回しとくから時間かけんなよ」
ミゲルが出て行き三人だけとなる。
マーガスが手を離すとリオンは弾かれたようにシェザードに駆け寄ってきて謝罪を繰り返しながら泣いた。
シェザードの腹部を押さえるリオンの手がどんどん血に濡れていく。
その様子を見ながらも当の本人は汚れるからと振り払ってやることも出来なかった。
「ミゲルの言う通りかもな。自業自得だ。あの時素性も知れない者に着いて行かなければ。先に俺と接触していればこうはならなかっただろうに」
見下ろすマーガスは淡々と結果論を述べるだけでその瞳に同情の色はなかった。
素性も知れない者とはフリーダンたちの事を言っているのか、それともネイたちの事を言っているのか、あるいは両方かもしれない。
あの日、遺跡の所轄の官憲に帰らされた後に中央官憲が来たという話だし深夜には家宅捜査にも来ていた。
確かにマーガスの立場からすればシェザードがこうならずに済んだ分岐点は二回あったのかもしれなかった。
だが先に官憲に確保されていたらどうか。
おそらくフリーダンとオルフェンスは地下の暗闇に隠れリオンは目覚める事もなく、シェザードは勾留された事が学園の名を貶めたとして良くて停学、遺跡での身勝手な行為が発覚すれば退学となっていただろう。
そうなった場合は長生きこそ出来ただろうが故郷で惨めな人生を送ることになっていたに違いない。
夢破れたとはいえ、夢が見れただけでこの人生の方がましだったのかもしれなかった。
「へ……へへ、お前らにとっては幸運だっただろ。地下迷宮も解明出来なかったくせに、俺のおかげでリオンに会えたんだからよ」
「元より解明するつもりはなかった。俺はな」
「……リオン。悪い、遠くに連れていけなくて。だけど諦めんなよ。いつかぜってえシュリたちが助けてくれっから。自棄起こして……使うんじゃねえぞ」
「使うとは、魔法の事か? 聞いてなかったのか。こいつに空を落とす事なんか出来ん。そんな事をすればこいつ自身も死んでしまうからな」
「…………」
「……あ?」
「空は落とさない。アシュバルにも行かない。月、日、星。そんなものは俺たちには眩しすぎる。夢は夢のままでいい。そうだろう、リオン?」
やはり中央官憲はリオンがセレスティニアを落とせる力を持っている事を知っていた。
政府がリオンを手に入れればその脅しを持って再び世界に覇権を唱えようとする姿は目に浮かぶし、そう思われても仕方がない前科がこの国にはある。
しかし、そんな事をすればリオンも死んでしまうとはどういうことだ。
そんな事は魔法に詳しいネイも言っていなかったはずだ。
マーガスに同意を求められたリオンは唇を嚙みしめていた。
俺たちとは誰と誰の事を言っているのか。
回らない頭でも受け入れがたい結論が導き出されようとしている。
そういえばこの男はずっと、知った風な口を聞いていたではないか。
「まさかお前……イカルか?」
マーガスはシェザードの顔をじっと見つめていた。
そして事もなげに「そうだ」と言い放った。
刺青はどうやって消したのか分からないがシェザードは男が嘘を言っているとは思わなかった。
ネイの仲間のアシュバル人はネイを殺した男の仲間で、自分の援けになってくれるかもしれない男は自分の人生を壊した男だった。
「いいのか、最期の言葉がそれで?」
「ネイが殺されたのは……お前の策だろ……。手柄を……独り占めされると思ったのかよ……」
「手柄? ……こいつをアシュバルに連れて行くことか? 義理はないが最期の手向けだ、教えてやる。こいつを連れて行ったところで無駄だったぞ」
「……やめて、お願い。約束したでしょ?」
「もういいだろう? 死ぬまで騙し通す気か? お前の為にここまでやった奴に対して」
「…………」
「沈黙は許諾と見なす。いいか、シェザード・トレヴァンス。こいつはアシュバル王家の末裔じゃない。ただの魔導人形だ」
「ま……どう……?」
「百年前の大戦時につくられた兵器のうちの一つ、と言えば理解出来るか? 王家の末裔は他にいる。魔力を感じることも出来ないくらいに血の薄まった奴がな。今頃どこかの山で呑気に山登りでもしているだろう。さあ、もう分かったか? アシュバル人の夢はとっくの昔に潰えていた。だからこのまま、夢を見させたままにしてやろうじゃないか」
「馬鹿な……ことを。人間だよ。なあ……?」
「ごめんなさい……。シェザード……ごめん……なさい……」
「違うって……ほら、言えよ。言えるだろ?」
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
謝罪は肯定だった。
そういえば、とシェザードはメドネアにてアシュバルの首領は魔力を視認することが出来るとネイが言った時にリオンの挙動がおかしかった事を急に思い出す。
あれは魔力の質が紛い物のそれと見破られるのではないかと恐れた態度だったか。
すると自分は、いや自分たちは偽物のために人生を賭けてしまっていたことになる。
一気に体が重くなった。
もう一言も発する気力がなく、ただ涙だけが零れる。
こんな真実ならば知りたくなかった。
シェザードの瞳から生にすがる最後の灯が消えた。




