空無き国の渡り鳥4
シェザードは見たことがない男だった。
背が高く肩幅があり、秀でた頬骨が特徴の中年だ。
眠たそうな目をしているが黒い瞳にはぎらついた光が宿っていて、爆発にでも巻き込まれたかのような服は埃っぽく、ひっつめた黒色の前髪が縒れて額の生傷に張り付いている。
しかし男は様相から分かる両手を広げ満足そうな笑みを浮かべて見せた。
「ミゲル、楽しそうだな。夢が叶ったのか?」
「第一歩、な! だがそうさ、長い間この国に巣くっていた害虫が! 俺の目の前で全て駆除された! 今日は記念すべき日になったぜ!」
踊り出さんばかりの雰囲気に圧倒されたが一体何を言っているのか。
マーガスの仲間ということはつまり自分たちの敵で、害虫とはまさかメドネアの星の事を言っているのか。
全て駆除されたとは彼らが全滅した事を指すのか。
まさかシュリは、エルシカはとシェザードの鼓動が早くなる。
「で? お前はどうなんだ、マーガス。そのお坊ちゃんから聞きたいことは聞けたのか?」
「ああ。だが俺のとんだ見当違いだったようだ。エルシカ・ロードと繋がり、奴と繋がり、中央に出てきて十七号遺跡で事件を起こし、そしてアシュバル人と合流……全ての中心にいるからにはそれ相応の何かがあると思っていた」
「だけど何もなかった。ただのがきんちょだった、ってか? 嘘だろ? そんな事あり得るのかよ」
「あり得たようだな。残念だ」
「……なんだよ。まさかお前ら、俺がセレスティニアの秘密でも握ってると思ってたのか?」
「そうだ、シェザード・トレヴァンス。お前の故郷ビゼナルの傍には三号遺跡、通称支柱もある。そこで育ったお前は私塾に通い、講師に文通相手としてエルシカ・ロードを紹介された。そしてその縁でもう一人……。お前たちがメドネアにいる間に講師から色々聞かせて貰ったぞ。空の謎を解き明かしたかったんだって? それは誰の意志でだ?」
「お前、先生に何した!?」
「色々聞かせて貰った、と言っただろう。私塾と言いつつあの男は地方教育の一環で派遣された中央の役人だからな。とても協力的だった。ああ、ついでに言うと奴は近々この中央に戻ってくる予定だったようだ。政治犯を輩出したとビゼナルの連中から村八分にされてな。毎日家への投石だの嫌がらせが酷くてやってられないそうだ。お前を教え導いた事を心底後悔していたよ」
「……ああそうかよ」
「逆にお前の家族は無事だった。率先して講師を中傷さえしていたようだ。話をさせて貰ったが、塾に通う前から折り合いがつかなかったらしいな。家族揃って俺にこう訴えて来た。奴は親不孝者の、穀潰しの、恥知らずの、出来損ないだとな」
中央官憲が家族に接触しているであろうことはとうに予想していた。
それでも実際に会った者からの言葉は深く心に刺さった。
家族とはあまり良好な関係とは言い難かったが事件によって拍車がかかってしまったようだ。
官憲お得意の精神攻撃だと一蹴したかったが口の中が乾き目の奥が痛くて言葉にならなかった。
「故郷にはもう帰れまい。どうだ? 今の気持ちは」
「…………」
「母親も言っていたぞ。お前のせいで不幸になったと。あんな奴、生まれてこなければよかったのに……」
「やめて!」
更に続けるマーガスに叫んだのはシェザードではなかった。
驚いて見るとリオンは歯を食いしばり目を見開いて大粒の涙を流していた。
その姿を見てシェザードの目頭が熱くなる。
同時に悔しさが込み上げて視界が揺らいだ。
「おいおいマーガスさんよ、がきんちょ泣かして楽しむのは趣味が悪いぜ」
「うるさいな……お前は誰なんだよ」
「うん? ああそうか、顔を会わせるのは初めてだったか。そうだな……メドネアっつう蜂の巣をつついた人って言えば分かるか?」
「……お前が副隊長ってやつか!」
「そうそう! ま、本当の捜査官じゃねえけどな」
最初に現れた時にマーガスが呼んだミゲルという名前。
会わせると言った後に合流した人物であるしどことなく名前の響きが似ている事から奴がイカルなのかと思ってしまったが会話を聞くにこんな奴がイカルであるはずがない。
そもそもミゲルにもアシュバル人の特徴である顔半分の刺青がないし、消した手術の跡もない。
ますますもってマーガスの意図が分からなくなったシェザードの内心では苛立ちが増していた。
「じゃあなんなんだよお前は! なんでそんなずたぼろなんだ!? 何してた!?」
「よくぞ聞いてくれた。あのな……お前んち、もうねえから!」
大笑いするミゲル。
家とは今マーガスが話していた遠くビゼナルの故郷ではあるまい。
首都でのシェザードの家は貧民街の借家だ。
シェザードの全身に鳥肌が立った。
「今日は最高の日だぜ! この首都の恥部は消失した! 光があれば闇がある、なんてのは先人の言い訳だった。何故なら俺はやり遂げたからな! もちろんそこにいるマーガスの協力は不可欠だった。全部俺の手柄だ、なんていうつもりはねえ。まあ今の世の中、人権だのなんだのでうるさいからねえ。こんな回りくどいやり方じゃないと正しい者が罰せられちまうってなもんだ。それはおかしな話だろう? 義務を果たさない奴らは見て見ぬ振りで、正しい奴が声を上げれば弱い者苛めだと糾弾される。だがそれは全うに生きてる人間からすりゃとんでもない話だ! 正直者が馬鹿を見るだなんて、あっちゃならないことだ。だから刑務を課す者が出張して、取り締まる者が少しのあいだ目を瞑った。それだけのことだった。でもそれだけのことでどうなった? これだけは断言できる。社会はより良い方向に躍進したってな!」
男のしたことが分かった。
奴は反乱のどさくさに紛れて汚いものを掃除したのだ。
メドネアにて星の一員の家族を殺してエルシカたちを後に引けない状態にさせたのもこの日の為だった。
刑務を課す者、つまり刑務官としての立場を利用して受刑者たちと取引し、メドネア反乱軍を名乗って暴れる事を条件に檻を開けたのは全てを汚いものたちになすりつけて完結させる為だった。
貧民街はなくなり、メドネアの星や脱獄犯は軍や官憲隊によって鎮圧される。
降伏して再度捕縛された脱獄犯は余計な事を喋る前に自らの手で葬ればいい。
中央官憲のマーガスが協力しているならそれも難しい話ではない。
全てはたった二人の男が起こした劇場型犯罪だったのだ。
家が無くなった、と軽く言ってくれるがそこにいた人々はもういないと同義なのだろう。
貧民街に暮らす人々は少なくはなかった。
たった数時間の間に成された事は清掃活動でも夢の実現でもなく非道な虐殺だ。
自分に優しくしてくれた三人の老人たちのいつもの笑顔が目に浮かび、ついにシェザードの涙腺が崩壊した。
「夢だって……? お前ら、そんなもんのために……人が、人が殺せんのかよ。そんな事がしたくて人を殺したのかよ!?」
「夢の第一歩さ。メドネアの星の蜂起程度じゃあバルドー公は立たなかった。連中が私利私欲にまみれた糞集団って事を公は見抜いていたんだな。だけど奴らのおかげで公は必ず立ちあがる。なにせ政治家連中め、我先にと逃げ出しちまって今や政庁に指揮を取れる人間が誰もいないときたもんだ。今この瞬間に指揮を取れるのは公くらいしかいない。今に至るまでの諸々の事件のぐだぐだな対応のせいで上の連中の更迭を求める声も高まってたし、今日でこの国は大きく変わるぞ」
長くスタン・バルドーの監視をしていたせいなのか男はその半生に触れて崇拝するようになっていた。
彼の革命が成功していれば美しい国が築かれるに違いないと。
しかしバルドーは立たず、景気低迷と偏った地域改革によって犯罪者は増えるばかり。
業を煮やして男が行った事は新生ロデスティニアのお膳立てだった。
「そう言えばあそこにいたじいさんども、お前の知り合いなんだよな。おかげでせっかく集めた仲間がみんなやられちまったよ。……まあ耄碌してると思って油断してたこっちにも責任があるけどな。にしても元軍人だってんならよ、救貧院だって利用できただろうになんでわざわざあんなところで暮らしてたんだろうな? 俺だったらあんな人生送りたくないねえ。ま、公が起つきっかけになれたとありゃあ最終的にはいい人生だったって言えるのかな?」
わざわざ近づいて見降ろし挑発するミゲル。
独善的な歪んだ正義感で殺人を肯定する正義の人にシェザードが食ってかかろうとした時だった。
連続した銃声が轟いた。
マーガスが目を細め、リオンの悲鳴が室内に響いた。