空無き国の渡り鳥3
「降りろ」
中央官憲の捜査官ルアド・マーガスによって連れてこられたのは監獄でも官憲の詰め所でも、ましてや政庁でもなかった。
技術研究所、いわゆる技研と呼ばれる施設だ。
一連の騒動で従業員は既に逃げ出した後なのか先ほどまで大勢の人間がいた痕跡の中を進んでいくマーガス。
それに従順にリオンが着いて行くのでシェザードも着いて行かざるを得なかった。
イカルに会わせてやる。
マーガスは確かにそう言った。
何十年も前にネイよりも先にロデスティニアに潜入しアシュバル人の末裔を探していたという人物は、一同の推察では政治に大きく関わる人物になっていると考えられていたがまさか技研とは。
だが確かにそれもあり得る話だとシェザードは男の背中を窺いながら思った。
空の国はアシュバル人の魔法と呼ばれる技術によって空に浮かんでいる。
地上には時折その残骸が降り注ぎ、それが遺跡を形成している。
各地の遺跡には研究者が派遣され数々の研究結果を中央に報告しているというが、中央即ち技研はそれらの情報を他の遺跡の研究者に流して知識を並列化することなく吸い上げるだけだと聞いた。
技研そのものの存在の意味が謎の解明ではなく秘匿にあるのだとしたらそこに潜り込むのは充分にあり得る話だった。
しかし分からないことがある。
一番の謎は何故ネイが殺されなければならなかったのかということだ。
シェザードはネイ殺害の計画犯は自分たちを追っていた捜査員の代表であるこの男だと思っていた。
だがイカルと繋がりがあるとなると、長らく待ちわびていたであろうアシュバル本国からの応援であるネイを殺したマーガスはイカルの敵ということになるのではないのか。
まさかとは思うがリオンを得たネイが自身との連携を放棄して逃亡しようとしたことを背信と捉えたか。
故郷を離れて数十年、任務を終えての帰郷を待ち望んでいたイカルがネイに対し絶望を募らせ共謀者のマーガスに始末を依頼しリオンを奪取せしめたというのか。
だとしたらそれは皮肉過ぎるすれ違いだ。
イカルと合流する前にリオンに出会ってしまったネイには先にリオンの安全を確保するという行動以外の最適解などなかっただろうに。
そしてもう一つの謎はリオンの態度だ。
元々自己主張が弱く無口だったがこれ程にまで余所余所しくなかったはずだ。
リッキーと引き離されても泣かずもしかしたらネイの仇である男と一緒にいるというのに泣いていない。
シェザードとも目を合わせようとせず、何かあればめそめそと泣いていた少女と同一人物とは思えない振る舞いだった。
話しかけたいが傍にいるマーガスに筒抜けになるので出来ない。
歯がゆい時間は暫く続いたがある部屋の前で捜査官は立ち止まった。
広い廊下にぽつんとあった扉は両隣の扉の間隔からしてかなりの広さの部屋がその先に広がっていることを予感させた。
振り返ったマーガスは従順な二人を交互に見て満足そうに口の端を上げた。
両開きの分厚い扉の先には資料が山積みになった机が並び、その向こうには大型の格納庫のような場所があった。
自身の夢だった就職先の技術的な空間に足を踏み入れたシェザードは一瞬状況を忘れて目を輝かした。
しかしその喜びは中央の物体によってすぐに掻き消える。
そこには見覚えのある大男が仰向けになって台に乗せられていた。
「フリーダン!?」
神官のような服に大柄すぎる体躯、目も口もない仮面を付けた異体など一人しか思いつかない。
北区で官憲の襲撃から自分たちを逃がしてくれた彼はその後に捕まってここに輸送されていたのだった。
駆け寄るシェザードをマーガスは止めなかった。
フリーダンの鎧は欠損などは修繕されていたが全身に銃弾のへこみが生々しくついており激戦の果てに力尽きた事を想像するのは容易だった。
「おい、フリーダンは何処だよ!? 無事なのか?」
「無事も何も、そこにいるだろう」
「ふざけた事言ってんじゃねえよ」
「……そういう反応か。成程な」
未だ話の筋が見えないのに一人だけ全てを理解しているかのような顔にシェザードは腹が立った。
机を叩いて睨みつけても薄ら笑いを消そうとしないマーガス。
だがその笑いはあざ笑っているわけではなく失笑だった。
そしてそれはシェザードに向けたものではなかった。
「何も知らない、というわけか。つまりお前は本当に偶然だったと。あの瓦礫の山から憑依体を探し出して蘇生させたのも偶然。たまたまその場にアシュバル人がいたのも偶然。そいつと引き合わされたのも偶然。そして……お人形さんを託されたのも偶然、か」
「…………っ!」
「なんの話だよ……!?」
「いや、俺はお前に興味があったんだ。一連の偶然を繋ぐ中心にいたお前にな。俺にも見えない何かがあるのかと思っていたが……本当にただの偶然だったとはな」
意味不明な事を語り出したマーガスを訝しむシェザード。
リオンとネイ、二人を追っていたとばかり思っていたのに自分にも関心を持たれていたとは思ってもみなかった。
だからシェザードがやって来ると思って襲撃を受けた学園に現れたのか。
だとすると……もしかしたらあの不可解な襲撃も仕組まれたものだったということか。
「なあ……」
「わ、わたしは! ちゃんと、ついてきた……!」
シェザードが言及しようと目を怒らせた時、先に動いたのはリオンだった。
必死の形相で叫ぶ少女に少年は言葉を詰まらせた。
一体誰への、何に対しての訴えなのか。
宥めるように両手を広げてみせたマーガスの目は今度は嘲笑に染まっていた。
「落ち着けよ。約束は守るさ」
「約束……? 何の話だよ、リオン?」
「…………」
何を約束したのかは分からないが何処でしたのかは分かる。
リオンの様子がおかしくなった時、すなわち怪我を負ったらしいアレックスの手当てを任せ別れたあの時だ。
リッキーとリオンを引き離したマーガスはその時に何かリオンと取引をしたのだろう。
従順に従う代わりにリオンは男から何かを担保されたのだ。
リオンはシェザードの問いに答えなかった。
後ろめたい何かであることは確実だった。
この期に及んでどのような勝手なことをしてくれたのだろう。
詰め寄ろうとするもマーガスが間に割って入りシェザードに問いを投げかけた。
「おい、精隷石って知っているか?」
「さっきからなんなんだよ!?」
「いいから答えろ。知っているだろう」
「セエレ鉱石のことだろ。アシュバル風の呼び名だ。それがなんだってんだ!」
「単語の意味はなんだ? 精隷とは。分からないのか? 研究者志望だろ。奴隷だよ。隷属の契約を交わした霊体のことだ。まあ普通は精霊ってやつは自然界に存在するもんだがな。その昔、人に求められた一部の精霊は人に応じて持ち運びしやすい物に乗り移った。それが精隷、精隷石の正体ってわけだ。一括りにされながらも外見が全く異なる上に熱量が大きさに比例しない理由もこれで分かっただろう? 熱量が中に宿る精隷の力に依存するからだ」
「……いきなり何言いだしてんだよお前。霊体?」
「軽蔑したような顔をするなよ。お伽話をしているんじゃない、お前の好きな化学のお話さ。精隷石は使用すると石に磁場が生じて軽くなるという性質がある。大昔、その性質を利用して馬鹿げた兵器が作られた。人が到底着こなせないような糞重たい鎧にその性質を与えたら最強なんじゃないかっていうな。その兵器の名は化身装甲。お前も博物館なんかで見たことがあるだろう。そしてそいつも化身装甲だ。博物館にあるものに比べてずいぶん軽量化されてはいるがな。で、だ。さっきの話に戻るが、フリーダンと言ったな? その男はそこにいる。中身はとうに朽ち果てて殻だけとなっているのにな」
「は……?」
「空洞だったんだよ調べたら。足元に風化した微かな骨だけを残してな。精隷石が取り込んだのは磁場だけじゃなかった。精隷は霊体。その霊体に男の強い残留思念が混ざって溶け込んだ。同じ原理で動いているものに自律駆動がある。奴らもセエレ鉱石で動いていることは知っているだろう? 奴らが時代錯誤の武器でしか倒せないのは百年前に生きた奴らが近代兵器の威力を理解出来ないからなのさ」
「自律……? は……?」
「まだ分からんか。お前は百年も前に死んだ人間と会話し行動していたんだよ」
昏倒無形な心霊話だが思い当たる節はあった。
北区で襲撃を受けた時、破損したフリーダンの腕の中が空虚に見えたのは見間違いではなかったのだ。
自律駆動が人を襲う理由も辻褄が合う。
セレスティニアの兵士は死してなお兵器に憑依してまで地上の国と戦い続けていたのだ。
「さて……遅いな。ミゲルのやつ、まさか手こずるとは思えんが」
絶句しているシェザードを満足そうに眺めていたマーガスは懐中時計を取り出して表情を曇らせた。
どうやら予定が上手く進んでいないようだがシェザードの意識は別の所にあった。
官憲のマーガスが知っているという事は技研がこのような結論に達したのは今に始まった事ではないのだろう。
それを隠し続けていたのは大いなる可能性が他国に漏れて争奪戦とならないようにするためか。
シェザードは笑った。
自分のような田舎者はどうせ研究者になれても配属先は地方だっただろうが、そこで大きな発見をすれば名が残せると夢を見ていた。
政治犯となってしまった今も国外で研究を続けられると思っていた。
だが三権に跨ってまで事実を隠蔽することを是とするこの国があるうちは夢は絶対に叶うわけがなかったのだ。
なんと自分の純粋だったことだろう。
エルシカの革命を心の底では冷ややかに見ていたが、夢を見ているくせに戦おうとしなかった自分のほうが馬鹿だった。
無様な自分を卑下するシェザードをリオンは泣きそうな顔で見つめていた。
程なくして、上機嫌に鼻歌を歌いながらひっつめた黒髪に頬骨の張った中年がやって来た。