空無き国の渡り鳥2
ロデスティニア首都ベインファノス、東区。
シェザードが暮らす貧民街がある場所だ。
東門付近では未だメドネアの星の陽動隊が軍と交戦中だが次第に体勢を立て直しつつある軍に彼らは門外へ押し返されようとしていた。
故に被害が及んでいるわけではないのだがこのような事が初めての住人達に危機の度合いが判断できるわけもなく、何処へ逃げれば安全かも分からないまま着の身着のままで惑う群衆で街は溢れかえっていた。
その流れと逆行する駆動四輪が数台。
貧民街の入口に停まったそれから出て来たのはメドネアの星の人々のような田舎臭い粗末な服に身を包んだ集団だった。
その者たちの先頭に立つのはミゲルだ。
男は同志の同僚を引きつれ野望を果たさんとしていた。
貧民街の人々は表通りの住民とは異なり各々の家に閉じこもっていた。
メドネア市民が攻めて来たという情報は入って来ているが、普段から国民の義務を果たしていない彼らに頼れる場所などないからだ。
むしろ今外に出て行けばあらぬ疑いをかけられる恐れがあることを彼らはよく理解していた。
故に自衛に徹する他ない彼らの家をミゲルたちは一軒一軒回っていった。
斧で鍵を破壊した扉を蹴破り、動くものに容赦なく発砲していく刑務官たち。
住居を持たず路上で泥酔している者たちは首を掻き切って進んでいく。
それはまるで害虫駆除のようだ。
いや、彼らにとってはまさにそのつもりだったのだ。
貧民街は主要道路の脇に立ち並ぶ歴史ある建物とどぶ川の間にあり長く間延びしている。
その端から駆除が開始されたわけだが、いくら各々の家に引きこもっているとはいえミゲルたちが中頃に達するくらいになると誰もが異常事態に気付き始めた。
中には武器を手に取り立ち向かう者もいたが逃げる者はいなかった。
数では勝るものの、統制と思い切りの良さに圧倒的な差があった。
ベインファノスの貧民街はある意味で特殊な環境だった。
通常ならそういった場所には反社会的組織が台頭するのだが、小悪党はいても構成員をまとめるほどの大物が存在していなかったのだ。
それは彼らが畏敬する革命家スタン・バルドーが目と鼻の先の場所に収監されている事が大きかった。
そして、その英雄と共に戦った兵士が暮らしていたということも。
「歩兵。距離20」
「距離20。射角よし」
「9秒、8、7、着火、5、4、3、投擲」
乾いた空気音がして手製の投擲兵器から爆弾が放たれた。
同じく手製の爆弾は着弾するや否や判断を許さない早さで爆発した。
火薬の量は少ないが釘や金具が詰め込まれたそれは偽のメドネアの星たちの体に浅く突き刺さるとあっという間に戦意と行動力を削いだ。
舞い上がった土煙が薄れるとそこには地面に這いつくばり体を震わせて呻く襲撃者たちの姿があった。
「着弾。目標沈黙確認。なんなんだあいつらは!?」
「攻めて来たっていうメドネア市民とは思えんな。こんなところを執拗に攻略しようとしている意図が分からん」
「1、2、3、4……」
「すげえ……あっという間にやっちまいやがった……。じいさんども、本当に兵士だったのかよ!」
浮浪者たちが歓声を上げた。
注目の的になっていたのは三人の老人たちだった。
デリック、ファビオ、ケルナーはシェザードの借りていた家の大家だ。
彼らのような老人はこの劣悪な場所では最も弱い存在だろうに今まで生きてこられたのはその経歴が深く関係しているのだろう。
自分から多くを語ろうとしなかったがその昔、彼らはリンドナル侵攻というロデスティニアの近代史における最大の過失に関わっていたと噂されていた。
そのリンドナル侵攻に対する国の判断過誤がスタン・バルドーという男を生み出したといっても過言ではなかった。
そして彼らはバルドーの下でも戦ったことがあるらしい。
焚き火を囲んで鼠をかじっている普段の姿からは想像できず嘘かと思っていた住人たちは彼らの迅速な反撃を見てようやく信じるに至ったのだった。
「何が起きているんだ……」
「はっはぁっ! やりやがったなあ、死にぞこないども! 俺の仲間に怪我させやがって!」
負傷者に近づく荒くれ者どもを見ながらデリック翁が奴床状の義手で顎を掻いた時だった。
転がっていた男の一人が上体を起こし、何かを投げて寄越す。
ごろつき達がもう少し用心深ければ、あるいは老人たちの反射神経が衰えていなければこんなことにはならなかったのかもしれない。
それがお返しの爆弾だとデリックが気づいた時、自分の懐かしい呼称を叫びながらよたよたと覆い被さるファビオ翁が見えた。
「軍曹っ!」
大きな衝撃と共に天地がひっくり返り音が消えた。
暫くすると耳鳴りと共に感覚が戻っていき、デリックは瓦礫の中で血まみれで倒れている自分を認識した。
乾いた破裂音は銃声だ。
顎を引いてなんとか音のするほうを見ると、自分たちに爆弾を投げつけた男が腰を抜かした者たちに止めを刺しているのが見えた。
「ファビオ……」
自分に覆いかぶさっていた老人はもう動かない。
下半身がずたずたに裂け、背中側から内臓がはみ出し地面を鮮やかに染めていた。
自分の足も動かないのは恐らくファビオと混ざってしまっているからだろう。
脱力し天を仰ぎつつデリックはもう一人の戦友の名を呼んだ。
「ケルナー、ケルナー……。……秒読み、ご苦労だった」
寝ている時以外は常に数を刻んでいた声はもう聞こえない。
最後まで正確な投擲時間を教えてくれた友を労ったデリックは暫く玉虫色の空を眺めていた。
自分ももう長くはないのだろうが意外と時間が余ってしまったようだ。
手持無沙汰となった老人は懐の二枚の光画を取り出して眺めることにした。
それは初期の技術の光画と比較的最近の光画だった。
一方は画像は粗いが、戦地に旅立つ前の分隊の面々が上下二列に並び肩を組んだり恰好を付けたりして歯を見せて笑っているものだった。
そしてもう一方は三人の老人たちが点々と並んで笑っている光画だ。
真ん中で偉そうにしているのが自分で、上の段で何もないところに肩を回しているのがファビオ、ケルナーも本当は上の段だったが彼は乳母車から立ち上がることが出来ないので戦友たちに被らないように端っこで映ってもらっていた。
老人は微笑んだ。
二枚目の写真には写っていなくとも同じように歳を取った仲間たちの姿がはっきりと見える。
仇を討つことも人生を全うすることも出来なかったが自然と悔しさも悲しさも湧かない。
むしろこの凡庸さが自分らしく、皆に叱って貰える気がしていた。
手が蹴とばされて光画が視界から消える。
代わりに現れたのは額から血を流し黒髪が張り付いている頬骨の張った中年の顔だった。
よく見れば男は私服の下に何か分厚いものを着込んでいた。
だから自分たちの爆弾に耐えうることが出来たのか。
「よう、流石はリンドナルの残留兵って感じだなあ。せっかく集めた仲間がぱあになっちまったぜ」
それにしては嬉しそうに笑うミゲル。
彼は計画が破綻して自棄になったわけではなく、それどころかこれを狙って一人だけ防御を整えていたのだ。
信じられる者は自分だけ。
十数年に渡り忍ばせていた男の夢が佳境を迎えようとしていた。




