信じるということ7
ベインファノスの南区は大まかに言えば首都の顔として発展した区画だ。
駅も北区のそれとは違って広く大きく、周囲には商業施設が溢れている。
それらの施設から流れ出た汚水は一つの大きな水路に集約され外壁の外へと流される。
エルシカ率いるメドネアの星本隊はその下水道から都内への侵入を成功させたのだった。
見上げる先では玉虫色に輝く空に浮かぶ一点の白が急速旋回で北に舵を切っていた。
そろそろ首都の官憲や軍属が体勢を整えて反撃に出たのかもしれない。
東区の各地では黒い煙が立ち昇っているが、東門を攻めていた陽動隊も突破に成功したという事だろうか。
目を細めながらそれらの情勢に思いを巡らせていたエルシカは既に士気が壊滅状態に近い味方に振り返った。
「あの煙は予定にない。シェザード、東区は主に住宅街だったね? 陽動隊が敵と市街戦に移ったのかもしれない。被害が大きくなる前に、急ぎますよ!」
話を振られたシェザード含めそれにすぐさま反応出来たものはいなかった。
元々、水路から入り込む策は選択肢の中にあった。
だがそれはもっと南門寄りにある排水路の予定だった。
濡れないようにと皮をなめして作った歩行用の袋は用意していたもののそれで汚水の中を歩くとは思っていなかった一同は渡る前に胃の中のものを全て吐き、渡り切ってなお汚物にまみれている感覚に悩まされ続けていたのだった。
「全身が……くせえ。鼻に糞が詰まってる気がする……」
「染みてない? ねえ、染みてない?」
「おえっ……おええ……」
「直に治りますよ。だから、さあ立って!」
「……エルシカ君、なんでそんなに元気なの……」
勿論エルシカも気分を悪くしている。
動けるかどうかは覚悟の違いだけだった。
神童はこの戦いの勝ち目が短期決戦以外にないことを誰よりも理解していた。
振り返りもせずに先に行ってしまうエルシカに、シェザードたちは慌てて着いて行くしかなかった。
都の人々の反応は十人十色だった。
情報の伝播に偏りがあるらしく、飛行船を眺めて語らっている者、何か事件を察して身に行こうとする者、東区から逃げてきて大声で叫んでいる者など様々だ。
ただし田舎者の集団はそれらの人々全てに奇異な目で見られた。
地下迷宮の入口に至るまでは仕方がないが、分散して動けば良かったのに迂闊だった。
「シェザード、あの地図にあった酒場とはあそこかい?」
「まだ先だ。もう一軒向こうにあるんだ。その脇の壁の間の先に下水道の入口があるらしいけど……」
「また下水道け!? あたしゃもう勘弁御免だあ!」
「待て、お前ら! 止まれ!」
案の定官憲たちに呼び止められた。
三十人あまりの品のない集団が武装して歩いていれば当然そうなるだろう。
面々は揃って声の主に目をやると顔を見合わせ周囲を見渡し大笑いした。
気味の悪さに官憲たちが一瞬たじろいた瞬間、星たちは班に分かれて周囲に走り散っていった。
「あ!? ま、待て! 確保、確保だ!? 誰か応援を呼べぇ!」
残って抗戦する班を置いていくシェザードたちエルシカ班。
最初から見つかるのが狙いだったのだ。
出口予定の場所から出来るだけ敵を離す作戦である。
地図は描きかけだが先にある下水道からは中央区の公共施設群の一画に出ることは明記されている。
「いいぞ、奴ら応援を呼ぶつもりです。願わくば中央区が手薄にならんことを」
「そぎゃん上手くいきょりやすかいね?」
「分からない。分からないからこそ念を入れるんですよ」
エルシカと行動を共にするのは四名の男たちと、リッキー、シェザード、シュリ、リオンの九人だ。
これで国内最高峰の警備が敷かれる政庁区画に乗り込もうというのだから呆れた豪胆さだろう。
中央区に入ったら人員は更に二分される。
スタン・バルドーを救出するエルシカ班と、中央官憲の長官か偉そうな政治家を人質に取るシュリ班だ。
シュリはメドネアの星の人員ではないが能力を高く買われこの重要任務に就いていた。
政府内に深く潜り込んでいるというイカルと合流するにはまたとない好機なので彼は快諾したのだった。
彼と行動を共にする三人の男たちも腕利きらしく通常時は輸送車の護衛をして生計を立てている者たちだ。
一方でエルシカ班は戦闘経験のない者たちばかりだが護衛の代表が実力行使を担ってくれる予定だった。
「確保! 確保っ!」
抗戦班の防衛線から漏れた一部の官憲が襲い掛かってくる。
だがその程度ではエルシカたちは止められなかった。
不意に官憲たちの足元に投げられた不思議な機械が大きな音を立てながら自壊を始めた。
ぎょっとして気を取られていると白い風が重い一撃を放ち、次いで護衛者たちも負けじと力を発揮していった。
声ならぬ悲鳴を上げて倒れ伏した官憲たち。
五人の男たちの武力もさることながらシェザード作のがらくたも補助として大いに役に立ったようだ。
喜んでいる暇はないのでさっそく移動を再開すると建物の陰に隠れ中空に向けて発砲し敵を近づけさせないようにしていた味方の向こうで官憲たちの怒声が聞こえた。
その内容が耳に飛び込んできたシェザードの足が止まった。
「や、奴ら、強いぞ!? 早く応援呼んで来い!」
「隊長ーっ! 応援要請です!」
「よしいいぞ! 助かった!」
「違います隊長、要請です! 応援要請! 奴ら、他にもいます! 東区の貧民街の連中を扇動しているそうです! あとバイレル・ベインが襲われています! 両方から応援要請が来ていますっ!」
「な、な!? 無理だ!? 応援が欲しいのはこっちだと言え! 他の隊は!? 軍はどうしたんだっ!?」
勝手に大混乱に陥る敵だったが困惑したのはエルシカも同じだった。
政府に不満を持つ層は一定数いて、そういう者たちが勝手に合力してくるのは想定していた。
しかしメドネアの星の面々には自発的に扇動することは禁じていたはずだ。
誰かが決め事を破ったというのか。
動揺したのはエルシカだけではなかった。
シェザードもまた官憲の報告に耳を疑っていた。
貧民街とはシェザードの貸家がある一帯の事であるし、襲撃されているバイレル・ベインとは国立学園のことだ。
シェザードの脳裏には大家の老人たちと学園内でたった一人の友人の顔が交互に浮かんでいた。
「エルシカ……駄目だ。俺、行けねえ!」
「何を言っているんだシェザード!?」
「爺さんたちが……アレックスが……巻き込まれちまう!」
「爺さん……リンドナル侵攻の御年輩方の事だね。いや、でも。扇動は禁止していたはずだが怪我の功名かもしれない。どの道最初の計画では味方になって頂く予定だったんだからね」
「学校もか!? 学校だぞ!? なんで襲う必要があるんだよ!!」
「それは……きっと何かの間違いだよ。学校……バイレル・ベイン国立学園は中央区だろう? 同志たちがそんなところにまで到達している筈がない」
エルシカの言っていることは正しかった。
確かに学園は政府各庁と同じく旧王城施設を改修したものなので間違って突撃してしまう可能性はあったが、中に入ればすぐに教育機関だということが分かるだろうしそもそも時間経過的にあり得ない話だった。
だがその正論をあざ笑うかのように中央区から爆発音が轟いた。
黒煙が立ち昇る位置はまさしく学園の方角であり、シェザードの鼓動は否応なしに高鳴るのだった。




