信じるということ6
中央監獄は旧王城を改修した政庁敷地内の一画にある。
国の重要施設がひしめき合う場所には不適切かと思われるが最も防衛設備が充実しているからこその配置だった。
収監されているのは首都で罪を犯した者たちだが中には地方の司法では裁けない極悪人もいた。
その者の牢屋は罪の大きさに見合った劣悪な環境かと思いきやまるで正反対で貴族の避暑地のように衣食住全てが完備されていた。
理由は簡単で彼らほどの犯罪者ともなると信奉者がついているからだ。
特に政治犯や上級国民ばかりを狙った殺人鬼などは一般大衆から不満の代弁者として陰で英雄視されていることが多かった。
そんな者を酷い環境に置けば衆愚は彼らに自身の姿を重ね合わせ一層行政に反感を持つだろう。
極刑を下せば神格化されてしまう恐れもあり、扱いは慎重を極めていた。
だからこその優遇だった。
所詮一般市民は自らの無能を棚に上げ、富める者の足を引っ張る事しか考えていない生き物だ。
罪人が手厚い保護を受けていると知れば嫉妬し悪党を税金で生かすなと心にもない正義を振りかざす。
求心力がなくなればしめたもので後は粛々と刑を執行するのみだった。
だが、何十年も生き永らえている男がいた。
男は名をスタン・バルドーといった。
かつて世界にその名を轟かせた革命家の孫である彼は五十年前にニ十歳の若さで人々を率い政府に反旗を翻した時代の寵児だった。
諸事あって革命は失敗したが、国家転覆罪に問われ即時死刑となる筈だった彼が未だに存命なのは褪せない信望の賜物と言えるだろう。
その日もバルドーは庭園に面した居間の仕切りを全開に開け放ち朝の陽気が差し込む縁側で読書をしていた。
整えられた長い白髪に綺麗に揃えられた髭、鼻筋の通った細面に意思の強そうな赤銅色の瞳をした気品あふれる老紳士がバルドーその人だ。
囚人が囚人に見えなければ独房も独房に見えない。
彼の為だけに用意された独房は敷地の外には出られないという不自由を除けば全てが揃っていた。
そこへ訪問者が一人現れた。
扉が開かれ入って来たのはひっつめた黒髪に角ばった顔をした男だ。
男は眠そうな目の内に大胆不敵な光を宿していた。
バルドーは見向きもせずに声をかけた。
「おはよう。朝食にはまだ早いようだがね」
「おはようございます、バルドー興。今日は良い話がありますよ」
やって来たのはミゲルだ。
中央官憲の捜査官の一員としてルアド・マーガスの部下をやっていた彼は実はまったくの部外者であり本業は中央監獄の職員だった。
声を聞いたバルドーは溜め息をついた。
朝っぱらから相手をするにはミゲルは胸焼けする相手だったからだ。
「ミゲル刑務官か、休暇を取ったと聞いていたがね。良い話とは? 食後のお茶に蜂蜜がたっぷりとつくことかね。それとも君がようやく私を誑かそうとすることが無駄だと気づいたということかね」
「メドネア市民が蜂起して今、この首都の外壁を突破しました」
今起きている事実を端的に述べるミゲル。
その声色には嬉々として弾みがついていた。
バルドーは眉一つ動かさずに静かに本を閉じてようやく男を見据えた。
瞳には諫めの色が見えていた。
「それは悪い話だ」
「本当ですよ。彼らはここに向かっています。この腐った国を立て直す事が出来るのは貴方しかいないと彼らも知っているんです」
「悪いがね、刑務官。何度でも言うがこの国は今はよくやっていると私は思っているよ。セレスティニアが既に滅んでいることをひた隠し、頭上に脅威を抱えた弱者としての立ち振る舞いは実に見事だ。外に向けた野心もなく、淡々と治安の維持に努めている。結構な事じゃないか」
「お言葉ですがバルドー卿、こちらも何度でも言わせていただきますよ。それでは駄目なんです。弱者の振りは大国だから成せた業。その幻想が崩れた時この国は一気に周辺諸国に飲まれるでしょう。空に国そのものを飛ばすという超科学を世界が未だ脅威に思っているうちに、我らはそれを鎧に戦いの海に乗り出さなければならない。既に腑抜けの文民ばかりのこの国において唯一、舵を取れるのは未だに気骨を失っていない貴方しかいないんです」
「私は私の今の立場を尊重し続ける。だから君も君の職務を全うしたまえ。行き過ぎた野望は身を亡ぼすぞ、先人からの忠告だ」
「もう動き出しているんです。止まりませんよ」
「そうかね。では止めなさい。ここに暴徒が来ようとしているというのなら阻止するのも刑務官である君の務めだ」
「……なるほど。では仕事をするとしましょうか」
「それでいい。ああ、ミゲル刑務官。蜂蜜は多めに。頼んだよ」
外では大事件が起きているというのにあくまでも日常を崩そうとしない老人にミゲルは目を細めて立ち去った。
冗談だろうと疑う事もなかったということが意志の強さを感じさせた。
退出するや否やミゲルは大きく溜め息をつき頭を掻きむしった。
楽しみにしていた反応がこれではこの日の為にメドネアくんだりまで足を運んだ意味がないではないか。
「防衛は刑務官の仕事じゃねえよ。ったく、あのじじい、本当に不能になっちまったのか? やだねえ、快適な暮らしは人を駄目にするね。でも動かねえならもう一手増やすだけだよん」
ミゲルはそのままの足で他の独房へ向かった。
他の独房はバルドーの所とは違い普通の小部屋が一直線の廊下の両脇に並んでいる簡素なものだ。
当番の同僚と目で合図を交わしたミゲルは点呼の時の場所に立った。
朝の点呼はもう終わったのに一体どうしたというのかと興味津々な囚人たちから野次が飛んだ。
「静粛に! 諸君、今この檻の外は大変な騒ぎになってる! この腐った国をぶっ潰せと、メドネア市民が反乱を起こしたんだ! メドネア市民の目的は不明。だが既に町ではありとあらゆる犯罪行為が行われている。そこで! ここも巻き込まれてしまう可能性が高いため、緊急事態につき諸君を解放する! ただし! 間違っても反乱側についたりせず、大人しく安全を考慮して身を隠し、鎮圧が完了したら自主的に戻ってくるように!」
「開けてくれんのか!? はようしろや!」
檻々から汚い歓声が飛び鉄格子を叩く音が響いた。
火災などの緊急事態には檻を開けて囚人を逃がすという規定は確かにあった。
だが今回の件が規定に当てはまるかは疑問だ。
そしてその判断は長官にのみ許された権限だった。
「分かった分かった、落ち着け! 今開けるが気を付けろ! 外じゃ軍や官憲が敵と交戦中だ。今現在は敵のほうが優勢らしいが、結局勝つのはこっちだからな! 罪を帳消しにしようとか考えて勝ち馬に乗ったりするんじゃないぞ!」
緊急時用の開錠操作棒を下げると一気に檻が開く音がした。
大量の犯罪者たちが一斉に解き放たれた。
ミゲルたちは報復とばかりに襲われないように別の通路に逃げ込んだ。
重たい扉の向こうでは状況が分かっていない味方にしていなかった刑務官たちの悲鳴と銃声が聞こえた。
「さてと」
「ミゲル! お前ならやり遂げると思ってたぜ!」
「ただいま。でもまだこれからさ。衣装は?」
「そこの部屋だ」
「よっしゃ、それじゃ皆。今から俺らも悪党だ。でもこれは必要悪ってやつだよな。強盗強姦殺人放火、やだねえ、やりたくないねえ。でも頑張るしかないよね、落とし前は全部あの馬鹿どもが清算してくれるからさっ!」
汚い農夫の恰好に着替えたミゲルは賛同者の同僚たちと共に監獄を出た。
入念な変装を施していたので多少の時間が経ち、中央区は脱獄した犯罪者たちによって大混乱となっていた。
空に浮かぶ見慣れない白い飛行物体や立ち昇る煙を見てミゲルの言っていた事が本当だったと信じた元囚人たちは喜び勇んで本能のままに動いていた。
彼らは中央区には珍しい汚い恰好をした集団を見つけると警戒したが、それが今まで自分たちを管理していたミゲルたちの変装であることまでは分からなかったようだった。
「俺たちはメドネア反乱軍だ! 俺たちがこの国を掌握した暁には味方した者は何でも願いをか叶えてやるぞ! 敵は偉そうな上級国民どもだ! 俺たちの怒りをぶつけてやれ!」
ミゲルの同僚が叫ぶと彼らは免罪符を得たとばかりに歓喜の咆哮を上げた。
それを見て、普段から己を律し職務に忠実に生きてきた男たちは初めての経験に身を震わせていた。
何かが壊れていく喪失感はあるがそれ以上の高揚感が身を包む。
今なら囚人たちの反吐の出る犯罪自慢も理解出来そうな気がしていた。
「ほらほら、行くぜ。ここのお掃除は奴らに任せて、俺たちは頑固な油汚れのお掃除と洒落こもうじゃないの。時間はないぞお。この争乱の中でどれだけ悪しき慣習をぶち壊せるか、そいつが今後の正しい未来を大きく左右するんだからさ」
ミゲルたちは東区に向かった。
東区は外壁門を突破せんとする陽動隊と官憲たちが交戦しているが加勢に向かったのではない。
正義の使者としては看過できない、滅しておかねばならない国の恥がそこにあったからだ。
丁度その時南区ではエルシカ率いるメドネアの星本体が下水道からの侵入を果たしていた。