争乱の付け火9
シェザードたちがメドネアの星と共に首都を目指して一日が経過した早朝の事だった。
日が昇り、人々が活動を始めると新聞社も動き出した。
夜通し刷った号外が表通りを舞い、興味津々の一般市民たちが何事かと拾う。
大見出しには大量虐殺の文字があった。
しかしそれはメドネアでの光景ではなく首都ベインファノスでのことだった。
電話交換局は制圧されているのでたった一日で情報を首都に伝達できる者はいないはずだ。
列車を使ってもメドネアから首都へはデルヤークを経由して二日の距離があるし、直通の街道は駆動四輪で休まず駆けてもやはり二日はかかる。
ともあれ人々は国内における久しぶりの凶悪犯罪に興奮し至る所で話が持ちきりとなった。
メドネア市民を無差別に殺害して回った者たちの名はベンジャミン・オブゲン、グレッグ・ハンマヘッド、そしてモーリス・クロフォードという。
記者の調べではオブゲンとハンマヘッドは四日前に首都ベインファノスの北区で爆発物を使用した指名手配犯を取り逃し停職処分とされていた筈の者たちだった。
一方でクロフォードは軍隊での反抗的態度の末に突如行方をくらましていた男だ。
彼が犯行に使ったとされる銃は軍からの支給品を無断で持ち出したものであり弾はオブゲンらから供給を受けたものだった。
オブゲンとクロフォードはメドネア署によって逮捕されたが、事情聴取を経て判明したその動機は取り逃した犯人を私的に追っていた彼らの行き過ぎた正義感だった。
指名手配犯はメドネアにいると推理した彼らが足取りを掴もうとして一般市民を尋問し死に至らしめたというのが識者の分析だ。
クロフォードの所持品から押収された封書には軍に対する批判と自分を認めようとしない世間に対する怒りが書かれていたという。
彼の同僚たちはその内容を裏付けるかのように彼が殺人術の腕をひけらかし、必ず大成してやると虚勢を張っていた事を記者に明かした。
他方、オブゲンを知る者たちは彼の為人を褒めるばかりで犯行そのものを疑問視し記者をうんざりさせた。
そのような声は記事にしても人々の関心に水を差すだけなので採用出来ないからだ。
結局、老官憲の犯行は有終の美を飾ろうと功を焦ったものという何の捻りもないものに落ち着く事となって人々の目に届く事となり、私欲と独善的な正義感で多くの命を奪った悲劇は瞬く間に軍と官憲庁の醜態として責任問題に発展していった。
なお、犯人の一人であるハンマヘッドは今なお捕まっていないという。
「おい、盗み聞きしてるお前。そう、お前だよお前」
デルヤークの電話交換局にミゲルがいた。
昨日一仕事を終えた彼はその報告をするためにだらしない姿勢で彫りの深い顔を電話機に近づけていた。
その声は太く重く、あからさまな殺気が込められていた。
意識は電話の向こうと部屋の壁に向け暫く反応がないことを確かめてから再び口を開く。
「俺が誰だか分かってんのか? 中央官憲捜査官だ。お前の行為は機密保護法違反っていう重罪だ。逮捕するから大人しくそこにいろよ」
『…………』
「よし、大丈夫みたいだな。じゃあ続きね」
ころりと柔らかな声色に変えるミゲル。
彼は電話の主との機密の電話を誰かが盗み聞きしていないか確かめるために茶番を演じたのだった。
電話は交換手と呼ばれる専門の職員に依頼して希望の交換局に繋いでもらい、かつ話したい人物を取次人に呼んでもらわなければならないので秘密の話がしたくても完全に人払いできていない可能性があったりする。
中には不心得者がいて利用者の内緒話をすぐに新聞社に売ったりするのが問題となっていたので用心に用心を重ねる必要があったのだった。
「明日には俺も首都に戻れるから実際どんな感じで情報が出回ったのか見てみるけどねえ、まあ、おおよそさっき言ったみたいな感じで報道されてると思うよ。それにしても聞屋さんって裏を取らないのね。メドネア局と連絡がつかないってのに俺の素性も照合しないで全部信じちまうんだもんよ」
『指名手配犯のおかげで報道合戦に熱が入っていたからな。依然として続報が入らない中で支社の記者を名乗るお前からの取り急ぎの報告、となれば信憑性など二の次でいいのだろう』
「本当にこれだけでいけるんかねえ? もう少し色々やったほうがいいじゃないの?」
『問題ない。簡素なほうが人は踊る。充分だ』
「おっそろしいねえ言葉一つで色んな人生台無しにしてさ。あんた、人の命を何だと思ってるのよ」
『お前が言うと重みが違うな』
「うるさいやい。ま、でもあんたがこっち側についてくれて本当に良かったよ。バルドー公ももう御年だし、こんな好機はもう訪れないかもしれないもんね」
『そうだな。奴ら自体は邪魔でしかないが、飛行船と無駄に有り余っている財力は充分にバルドー公の戦力になる。ぬかるなよ』
「任せとけって。公も私情で動いてるあんな奴らを手元に置く気はないだろうしな。よし、それじゃあそろそろ……。ああ、やっぱり一つだけ」
『なんだ』
「マーガス隊長、あんたには本当に世話になったねえ。その頭脳は勲功第一だ。公もきっとそう言うさ。てなわけでこれからも宜しく頼むよ」
『それを言うならミゲル刑務官、お前が俺に声をかけてくれたから今があるんだ。こちらこそよろしく頼む。必ず我らでバルドー公を御支えするぞ。大国としての誇りを忘れ、とっくの昔に滅びたセレスティニアを恐れる振りをして諸外国に無害を訴える、こんな情けない国を変える事が出来るのは公しかいないのだから』
「ははは、そうだな。それじゃあ、また後で」
ルアド・マーガスとの電話を終えたミゲルは電話交換局を出て駅へ向かう。
中央官憲捜査官の一員かと思われた彼は実は中央監獄の刑務官であった。
捜査官としての立場はオブゲンらのように周囲に自然に誤認させたものだ。
そして捜査官の皮を被った刑務官の彼は、更に一方で革命家スタン・バルドーに感銘を受け彼の治世を望む者であった。
ミゲルはスタン・バルドーの為に決起の舞台を作っていた。
仮初ながらも現政権が平和を実現している限り立ち上がろうとしない老革命家の余命を心配したミゲルは悩み、その時に出会ったのがマーガスだった。
ミゲルに大志を打ち明けられたマーガスは地方の不穏分子と現政権と戦わせる策を提案した。
そこで候補にあがったのが両親を亡くしたばかりのエルシカを囲う大人たちで構成されたメドネアの星だった。
ミゲルはメドネアでの工作の前に既に何十年もかけて培ってきた同志を首都ベインファノスの至る所に待機させてきていた。
その者たちはメドネアの星が事を起こした時に政府側と反乱側に分かれて犯罪の限りを尽くしてもらう演出要員であった。
双方に大義なしと見ればあの愛国者は世の為人の為に戦ってくれる。
そう信じるミゲルは列車を待ちながら何枚かの紙を綴じたものに目を落としていた。
それはシェザードたちの手配書だった。
次いで上を向き、昨夜見た満天の星空とは似ても似つかない玉虫色の昼空を眺める。
星は命の光だと詩人は言った。
ならばその光が見えない空の下で生きる者たちは輝く事無く消えていくしかないというのだろうか。
「月、日、星……ね。確かにな、理不尽に晒された時は空を見ればいい。地上を取り戻し、空を取り戻してようやくこの国は尊厳を取り戻せる。その為の多少の犠牲はしょうがない。しょうがないってね」
ベインファノスへ向かう列車が到着する。
首都の新聞社が電話で広めたのか、列車の乗客たちの会話もメドネアでの悲話で持ち切りだった。
遠くの町のことでそんなに喜べるなら数日以内にもっと嬉しいことが起きるよ、と内心で皮肉るミゲル。
これからやろうとしていることに気負って少しばかり弱気になった心は置き去りにして、発車を告げる車掌の警笛に促された車輪がゆっくりと動き出していった。




