争乱の付け火6
一方でクロフォードは余韻に浸る間もなく行動を開始していた。
生命線とも言える銃を投げ捨て、塔の螺旋階段を転げ落ちるように降っていく。
目標の沈黙を確認した刹那に背筋が凍るほどの危険を察知したからだ。
噴き出る汗と鳥肌に狼狽しながら本能のままにその場を離れんとして駆けた。
そこへ白い風が吹き荒れた。
階段の先から突如として現れたシュリが出会い頭のクロフォードに飛び掛かり強烈な拳を顔面に叩き込んだ。
人間の大人が数人がかりでやっと持ち上げることの出来る大斧を振りまわす彼が力の限り殴りかかればどうなるか想像に容易いだろう。
階段の段差と少女のように華奢な拳に挟まれた頭部は一撃で爆ぜ細かな血肉が周囲の壁に飛び散った。
狙撃手が暗躍するには近すぎる距離だったのは確かだが奇襲を受けた側が即座に対処できる距離ではなかったはずだ。
ただしそれは相手が普通の人間ならば、の話だった。
ユグナ族は一般的な人間に比して高い身体能を有し視力も良く、遠く雪原に潜む獲物を狩猟出来る程に長けている種族だ。
ともあれ相手が悪く、英雄になりたかった男は虚しくその生涯に幕を下ろされたのだった。
後を追ったエルシカと護衛の町民が追い付いた時にはすでに下手人の頭部はほとんどなくなっていた。
にも関わらずシュリは馬乗りになったまま一切の感情を削ぎ落した顔で休む暇もなく機械的に拳を振り下ろし続けていた。
白を基調とした外見は返り血と石階段を穿って裂けた自らの拳の血肉で真っ赤に染まっていた。
そのあまりの異様さにエルシカも暫く声をかけるのを躊躇したほどだった。
「……シュリ……シュリ! ……もう死んでる、死んでいるから」
「うん。ちょっと待って」
淡々と答えるシュリ。
何を待てば良いのか分からないエルシカはそれ以上直視出来ず目を逸らした。
拳を打ち下ろす時に漏れる息遣いと肉を搗く音が反響し我慢の限界に達した町民がえずく。
覚悟を決めたエルシカがそっと肩に触れるとシュリは振り上げていた拳をようやく止めるのだった。
エルシカに連れられてシュリが現場に戻るとネイの遺体には寝台の敷布が掛けられていた。
傍らで泣き暮れるリオンを慰めていたシェザードは何か言いたげな目線を投げかけたが言葉にならなかった。
シュリは敷布の上から彼女の半身を撫でるとおもむろに隙間に手を入れてまさぐり何かをつまみ出した。
それは彼女の義眼だった。
義眼を両手に包み胸に当て祈る。
あとは大人たちが適切に後処理をしてくれるから、とエルシカに促されてシュリたちはロード邸に帰った。
ややあって殺された人々が棺に納められ広場に並べられた。
大量虐殺という異例の事態だったため集団葬儀を執り行うことになったのだ。
シェザードはエルシカがこの事態を演説に利用するかと思ったが意外にも彼は執行にすら関わらなかった。
忘れていたが彼は地元の名士というだけで市長は他にいるのだった。
夏場という事もあり遺体は早急にまとめて火葬される。
それは旅行者という名目のネイも同様だったがシュリたちは葬儀に列席出来なかった。
指名手配犯となっていた彼らの顔写真がいよいよ町にもたらされたからだ。
町の新聞社は懐柔していたので持ち込んだのはお節介な列車利用者だろう。
写真の情報はメドネアの星の構成員ではない噂好きの一般市民たちの手によってあっという間に拡散されていった。
下世話な彼らの推理は粗方真実を捉えていた。
指名手配犯との関係を囁かれ更に後がなくなったエルシカたちに悲しんでいる時間はなかった。
それはシェザードたちも同じだった。
黒煙が高く高く青い空へ溶けていく。
家人不在となっていたロード邸でシェザードたち三人は会話もなく過ごしていた。
泣き腫らした目でぼんやりと煙を眺め続けるリオン。
寝台に腰かけじっと思い詰めているシュリがようやくぽつりと呟いた。
「リオン、君は魔法が使える?」
話しかけられたリオンは暫く答えなかった。
不思議に思ったシェザードが目線を移すとようやくぎこちなく振り返ってみせた。
フリーダンはリオンが空の国を落とすことが出来ると言っていた。
まさかシュリはリオンの力で最悪の復讐をしようと考えているのではないかとシェザードにも緊張が走った。
「……なんで?」
「いや、少し確認したくて」
「……つ、使えるよ。使えるけど……なんで!?」
「僕の里に着いたらさ、アシュバルに連絡する必要があるんだ。そうしないと遠く離れたアシュバルには君を無事に連れ出せたことが伝わらないから。どうするかっていうと凄い魔法を使えばいいんだって。そうすればアシュバルの偉い人がその魔法を感知するらしいんだ」
「なんだ、そういうことか。って……ユグナの里に着いた後はどうすんだって思ってたらそんな方法で連絡取る予定だったのかよ」
「リオンは出来るのかなってふと思ってさ」
「……わ、わたし……」
服の裾を強く握りしめて落ち着きがなくなったリオン。
リオンが言い淀んでいる理由をシェザードはなんとなく察していた。
魔法使いのことは全くと言っていいほど分からないがフリーダンやネイが喋った断片的な情報やリオンの態度から見て推察できたこともある。
その推察が正しければリオンにネイの代わりを務めさせようとするのは不可能だった。
「リオンには出来ないんじゃねえかな」
「どうして?」
「凄い魔法ってさ、よく分かんねえけど制御とか調整が難しいんだと思う。ほら、リオンの魔法って、魔力ってやつを吸収するか消滅させるかしちまうんだぜ? 魔法の力で浮いてるセレスティニアを落とせるって、つまりそういうことだろ。ってことはさ、リオンに魔法を使わせるのは……やばいと思うんだ、俺は」
リオンが地下で大切に眠らされていたのは切り札のような存在だったからだろう。
だからこそリオンは多くの人々に狙われてきたに違いない。
魔法のことについて言及されると酷く怯えたような態度を取ることからもそれが分かる。
彼女は自分自身の力がどのような未来を引き起こしてしまうのか分かっているのだとシェザードは考えていた。
「……そうなの?」
「…………」
「……じゃあ、やっぱり一つしか手段は残されてないね」
リオンの返事を待つことなくシュリは手元を見た。
三つ指で持っているのはネイから回収した義眼だった。
「手段?」
「今、この家にはお手伝いさんしかいないよね」
「ああ、たぶんな。それがどうしたんだよ」
「これとあれをすり替える絶好の機会だってことだよ」
「あれって……セエレ鉱石のほうの目のことか?」
頷くシュリ。
何をしようとしているのかは分かったがシェザードにはまだ何故それをしようとしているのかが分からない。
「うん。あれがあるとないのとじゃ今後に大きな差が出ると思うんだ」
「わかんねえ。分かりやすく説明してくれよ」
「イカルと合流するんだよ」
「イカルと?」
数十年前からロデスティニアに潜伏していると言われるアシュバル人の名が出て来たことでシェザードは少し面食らった。
義眼が送られて来たのはイカルの不信を買ったからなのかもしれないという予想を立てたばかりではないか。
そんな人物に唯一弁明出来るであろうネイが不在の状態で出会って大丈夫なのだろうか。
シェザードにはリオンだけが連れていかれ、指名手配犯の自分たちは仕返しと言わんばかりに官憲の足止めに使われる未来しか見えなかった。