争乱の付け火5
「一人逃げたぞ! 誰か追うんだ!」
「奴ら、もう一人いるような事を言っていたな……目的はエルシカの暗殺か?」
「官憲署に行ってる奴らの首尾はどうなってる?」
「一度ロード邸に集まるべきじゃ……」
「誰か手を貸してくれ! 怪我人が多すぎる!」
「待て、その男は殺すな! 目的を吐かせるんだ!」
混乱する人々の怒号が飛び交う中にロード家の駆動四輪が二台、現場に急行した。
降りて来たのはエルシカと彼に報告をした町民、そしてシェザードたちだ。
報告の中に南ベイン所轄を名乗る不審な男がいると聞いたシェザードは外見的特徴を聞いてすぐにそれが校外学習で自分たちの護衛に当たった官憲だということに気付いた。
何故あの男が来ているのかは不明だが、町民の言うような中央官憲の間者には決して成りえるような人物ではないと分かっていた少年はエルシカに現場に連れて行くように頼んだのだった。
駆動四輪を降りると辺りには嫌な臭いが漂っていた。
煙と酸化した油、そして下水が入り混じったかのような臭いだ。
歓喜に沸く人だかりを掻き分けてその中心に行くと目を覆いたくなる光景が広がっていた。
中途半端に焼けた肉塊が服の張り付いた手足を曲げて赤ん坊のような姿勢で天を仰いでいたのだ。
殴打を繰り返され腫れ爛れた顔は目鼻が判別不能なほどに膨れあがっていたがその肥えた身体と特徴的な頭髪はシェザードの記憶に残る一人の人物を想起させた。
近くで同じく傷だらけで捕縛されている若者を見た時全てが繋がり少年は無意識に嘔吐してしまった。
やはりあの時の官憲たちだった。
自分を追って来たが為に殺されてしまったのか。
ならばこれは自分が撒いた種か。
自分のせいでこのような恐ろしいことが起きてしまったのか。
「シェザード、知っているのかい?」
見覚えがあったのはシュリとネイも同じだったようで眉間にしわを寄せて深刻な顔をしていた。
各々を心配する素振りを見せたエルシカだったがそれが惨たらしい死体を見て衝撃を受けているだけではないことを察して訊ねてきた。
シェザードは頭が真っ白になっていたが逆にそれが冷静さを取り戻させていた。
肩で荒い息を整えつつ自分の吐瀉物を見つめながら淡々と答えた。
「……知ってるさ。辺鄙な遺跡の駐在だ。学校の授業で遺跡調査があって、その護衛で俺ら生徒の個人情報を持ってたんだ。だから……少なくとも中央官憲よりは俺のことを知ってた。きっと俺を見つけるために連れてこられたんだ」
「君たちの顔を確認する為だけに連れてこられた官憲? あっちの人もかい? なんてことだ……それじゃあ無実の人間を殺してしまったということか!?」
天誅を下したと沸き立っていた人々が語気を強めたエルシカの声で静まり返るとようやく悲痛な声が聞こえるようになった。
彼らが正義に酔いしれている間に駆動四輪に跳ねられた人々を救護する者は多くなかった。
それほどにまで相手が憎かったかといえばそれも疑問であり、未明に家族を殺された者たちは未だそれぞれの家で泣き伏しているかメドネア署官憲と共に現場検証を行っている。
つまりここで義憤に駆られていた者たちは単にその空気に当てられた無関係の隣人でしかなかったのだ。
無関係の者が勝手に代弁者を気取り無関係の者から奪う。
それが最も正義から遠い賎しい行為だと気付ける者はいなかった。
だがエルシカの不興を買ったことだけは理解出来たようで途端に焦り始める。
根底では罪の意識があるからこそ懸命に弁明に走るのだ。
「い、いや、そ、そうだエルシカ! そいつにはまだ仲間が二人いるんだ! 一人は昨夜の事件に絡んでるらしい! もう一人は俺たちを駆動四輪で撥ねた後に銃で撃ってきた! それで、見ろ! 何人も重傷を負った! あいつも乗っていた! あいつらが先に仕掛けて来たんだ!」
「昨日から郊外に停まってたっていう四輪の主か。その男が、自分たちの仲間が事件に絡んでいると自白したのかい?」
「そうだ!」
「してない……俺たちはいなくなった副隊長を探しに来ただけだ……。なのに……急に襲い掛かって来たのはそっちじゃないか!」
「あっ!? んのやろう……!」
「やめないか!」
ぼろぼろになりながらも真実を訴える若き官憲に再び正義の鉄槌が下されそうになった時、エルシカは今までにない感情的な大声を発した。
流石の大人たちもそれには驚き手が止まった。
常に様々な陰謀を想像している少年にはこれが歌劇の物語のように作り込まれた誰かの筋書きにしか思えなかった。
これ以上憐れな群衆たちのように踊らされたら取り返しのつかないことになる気がしてならず、律しても勝手に踊りだそうとする者たちに苛立ちが隠せなかったのだ。
「その副隊長とやらが怪しい。だが確証はない。逃げたというもう一人も重傷者を出したという点では犯罪者ですが過剰防衛だった可能性もあります。そして確かなことは、今ここにいる二人の官憲は無実だったということです」
「そんな……! エルシカ、その餓鬼と犯罪者のいうことを信じるのかよ!?」
「そもそも……その餓鬼が来なければ連中も来なかったんじゃないか? その餓鬼が来なければ、こんなことにはならなかったんじゃないか!?」
「ちょ、ちょっと私たちのせいにするつもり!?」
「彼らは同志だ。失礼な物言いはやめてくれ。それに……現状を客観的に見て欲しい。私たちの理念に反する行為を犯したのは皆さんじゃないか。そしてそれは外部の介入を許す糸口となってしまった。もはや我々には時間も、大義もなくなってしまった。ふふっ……どうしてくれるんですか!?」
エルシカの怒りに即座に返事をしたのは銃声だった。
その場にいた者は皆反射的にしゃがみ込んだ。
誰が発砲したのか。
恐ろしい考えが脳裏をよぎる。
「エルシカ!?」
「大丈夫だっ! 僕じゃない!?」
当人さえもこれが自分をおびき出すための罠で自分が撃たれたのだと思ったがかすり傷一つ負っていない。
外したのかといえばそうではなく命中はしていた。
その人物が皆より一足遅れて膝を突く。
痛みを置き去りにして、信じられないという顔のまま。
「あ……あれえ?」
胸部に咲いた血肉の華。
背中から飛び込んできた銃弾が体組織を破壊し分散しきれなかった衝撃が反対側の乳房を爆ぜ飛ばしたのだ。
あまりの突拍子もない出来事にネイはゆっくりと傍らのシュリを見た。
そして白昼夢は彼女のいつもの軽口で幕を閉じた。
「ごめーんシュリ、なんかおっぱいなくなっちゃった?」
困惑した表情で笑う口元から血が溢れるのも束の間に二発目の凶弾がネイの頭部を吹き飛ばす。
衝撃で地面に叩きつけられたネイだったものは脳幹に衝撃を受けた反射で僅かに痙攣していたがそれは生命活動ではなかった。
再び周囲が恐慌状態に陥るもその喧騒はシェザードの耳には届いていなかった。
たった数日だが様々な表情を見せてくれた少女の顔が一瞬で汚い残骸となったことが信じられず、少年は恐る恐る彼女の相棒の顔色を窺った。
その表情は筆舌に尽くし難いものがあった。
一切の感情が欠落したかのようで瞳には空虚が広がり、しかしその奥に得体の知れないどす黒い闇が広がっていた。
その目で見られていたらシェザードは恐らく失神していたことだろう。
それほどにまで禍々しい瞳は既に射線を辿った一点を見つめていた。
「シュリ……」
駆け出したユグナの青年を止められるものは誰もいない。
呆然としているとようやく世界に音が戻り、叫び声にも似たリオンの悲痛な慟哭に気付く。
ネイに縋りつくリオンに彼女を見せまいとシェザードは咄嗟に抱きしめたがその行為が遅すぎたことは本人が一番よく分かっていた。
どうしたらいいか分からないシェザードの目からも大量の涙が溢れ、彼は大切な友を失ったことをようやく理解したのだった。




