メドネアのエルシカ10
義眼を見てシェザードが思い浮かべたのは用心棒の女性の顔だった。
ネイ・アリューシャンは校外学習の時にシェザードが組み立てた自律駆動にあるものを投与していた。
瞼を開き指を差しこんで取り出したものは目玉。
それは本物ではなく精巧に作られた眼球であった。
ネイはその目玉をセエレ鉱石だと言っていた。
セエレ鉱石はその質量に見合わない膨大な動力を発生させる未知の物質の総称であり性質以外は外見も材質も全く異なる不可思議な代物だ。
希少性が高くおいそれと用いる事は出来ないが一部の特殊な自律駆動や化身装甲と呼ばれる伝説の兵器には動力源にそれが使われていたとされる文献は残っている。
シェザードが発見したオルフェンスと呼ばれる自律駆動もどうやらそれを必要とする型であったらしく、つまり動力室の不可解な空洞は鉱石を入れる為の場所だったのだ。
穴と義眼の形状は異なっていたため完全に合致してはいなかったが固定もせず接続もせずに入れるだけで動力に作用するとは恐るべき物質と言えるだろう。
ただネイはその垂涎の宝をいとも容易く放棄していた。
オルフェンスが謎の大男フリーダンと共に中央官憲と戦闘していた折にはシェザードとリオンを現場から連れ出すことを優先させたためだった。
勿論あの時はオルフェンスが稼働中であり、そこから義眼を回収するのは容易ではなかっただろう。
だがそれ以降彼女が義眼を惜しむ様子がなかったのがシェザードには気がかりだった。
一つ持っているだけで世界中の国家と渡り合えるほどの富が得られるとまで言われている鉱石を手放して自然体で振舞える人間などいないだろう。
それがセエレ鉱石だと知らなかったのならいざ知らず、彼女はあそこにいた誰よりもそれを理解していたというのに。
列車の中でそれを語る彼女が安堵して見えたのは大きすぎる力を所持している重圧から解放されたからだったのだろうか。
シェザードが眉根を寄せて考える様を詮索する者はいなかった。
差出人不明の小包に、偽物とはいえ目玉が入っていて気味悪がるのは当然だからだ。
エルシカは小間使いに誰が持ってきたのか詰問したがいつの間にか玄関に置かれていたという。
立食会に訪れた幹部たちが知る由もなく、事態は思わぬ方に険悪になっていった。
「見ているぞ、ということか」
エルシカの呟きに周囲の大人たちが気色ばんだ。
彼が何を言っているのかシェザードにも分かった。
もしも偽物の目玉を送られたなら誰もがその比喩に辿り着く事だろう。
差出人は中央政府から密命を受けた何者かであり、これは計画的犯行に対する警告なのだと。
狼狽する大人たちにエルシカは自然に振舞うよう命じた。
厳戒態勢を敷きたいところだが敵が今の状況を見ているかもしれない以上は表立った反応は出来ない。
特に飛行船のある格納庫には見張りを置きたいところだが今からそのような事をすれば姿の見えない何者かを案内してしまいかねないことになるだろう。
たった一つの小さな贈り物はいとも容易く彼らから士気を奪ってしまったのだった。
不穏な空気の中で気まずそうにしながらも食べ物に夢中になっていたリオンの手がついに止まった。
周囲の大人たちが微かに嫌悪の混じった視線を投げかけてきたからだ。
指名手配のこいつらが連れて来たのではないか。
こいつらのせいで計画が露見してしまったのではないかといった言葉は口から発せられずとも鋭い凶器となってリオンの肌を刺した。
その機微に気付いたエルシカはもう夜も遅いからとシェザードたちを退出させた。
安心してくれ同志よ、と最後に深く頷いてみせたエルシカに任せるしかないシェザードたちは小間使いに案内された客間の寝所で膝を突き合わせた。
このままでは飛行船でシュリの故郷に連れて行って貰える案も立ち消えになってしまうかもしれない。
そこでシェザードはあの場では言えなかったことを切り出してみた。
「おいネイ、あれってお前のだよな」
ネイはシュリのほうをちらりと見たが、暫くの後に小さく頷いた。
「たぶんね。近くで見る事が出来なかったからなんとも言えないけど」
「そういえばお前、今そっちの目、どうなってんだ?」
「入ってるわよ。予備っていうか、元々入れてたやつだけど」
「元々入れてたやつ? それもセエレ鉱石か?」
「違うわよん」
「……あそこでお前らが反応しなくて良かった。エルシカも言ってたけど大抵の奴は計画はお見通しだぞっていう中央からの警告だって捉えただろうし、迂闊に反応してたら妙な疑いをかけられてもおかしくなかったからな」
「そこまで馬鹿じゃないわよ」
「でもなんで送ってきたんだ? ありゃあオルフェンスを倒さねえと手に入らないはずだ。機械の中からあんなもんが見つかったら普通はセエレ鉱石なんじゃないかって真っ先に鉱石試験に回すだろうに。なのにこんな使い方をするのは不自然だ。送り主は間違いなく中央官憲だろうけど、でも奴らはこれがネイのもんだなんて知らないはずだし……」
「オルフェンス、死んじゃったの?」
「え? あ、そういうわけじゃ……」
自分を守ろうとしてくれた機械の戦士の名を聞いて眉根を下げるリオンにあたふたするシェザード。
普段ならそれを茶化すであろうネイは口元に手を当てて真面目な表情で思案していた。
話すべきかと悩んでいたが目が合ったシュリが頷いたことで決心する。
ネイは静かに口を開いた。
「私への警告……かも」
「は?」
「反政府組織を頼ってしまった事に対する警告よ。ねえシェザ、アシュバル人が各地で活躍してるって話はしたわよね」
「活躍っつうよりは暗躍だろ。それがどうしたんだよ」
「実はね、私よりもずっと以前からこの国に身を潜めているアシュバル人がいるの。その人は政府の中枢にまで潜り込んでいるわ。私の使命はその人に接触して協力して王家の末裔を探すことだった。なのに私はその人の努力を無駄にするような真似をしてしまった。ううん、そういうつもりじゃないけど、反政府組織との接触はそう取られても仕方のないことだったかもしれないわね」
「政府の中枢に? 嘘だろ? お前らってみんなその刺青してるんじゃなかったのかよ。隠せねえぞそんな広範囲な刺青。皮膚移植したって無理だ」
「アシュバル人よ? 幻覚の魔法でも使えるのかもしれないわ。……それはこの際問題じゃなくて、問題は誤解を解かないと非常に不味いってことよ。彼……男か女かも分からないから一応便宜上彼ってしとくけど、彼と私の能力差は歴然よ。片や権力を手にした人だし、こっちが勝ってるのはたぶん若さと可愛さだけだもの。何年かぶりに本国から遣わされた同胞だろうと捜査が進んで国際問題になって自分の身動きが取りづらくなるくらいなら消そうと思うのは当然の流れだわ」
「誤解って何の誤解だよ? メドネアの星を頼っちまったのは事実だろ」
「それもこの際どうでもいいわよ。何が誤解かって言えば私が何の成果もなく来て早々失態を犯して逃げたんじゃないかって思われてるかもしれないこと! 言ったでしょ、アシュバル人の悲願は王家の末裔を連れて帰ることだって。でもその末裔は今ここにいるんだから!」
「あ……リオンか!」
「…………」
「彼に伝えないとね。あとはもうリオンを連れて帰るだけなんだって。十何年、あるいは何十年この国に潜伏してたか知らないけど成果は時の運よ。まさか彼も来たばっかの私が既に目的を果たしちゃってるなんて夢にも思ってなかったからなんでしょうけど、今回の警告を楽観的に考えれば彼が私の存在を知れて接触することが出来たとも取れるわよね」
「楽観的すぎるんじゃないか。接触出来ても意思の疎通が出来てねえじゃねえか」
「捕まってみるのもありかもしれないわねー。彼の膝元に転がり込めれば意思疎通の機会も得られるかもしれないわ」
「危険だよ。当初の予定通り僕の村を目指すべきだ。見てるぞって警告を受けたと勘違いしてもエルシカ君の目はまっすぐだった。計画の変更はないよ。むしろ早まるかもしれない。遅ければ遅いほど不利になるのは彼も解ってるだろうから。中央で問題が起きれば必然的に地方に向けられる目は少なくなる。そうなればイカルさんが僕らに接触してこられる可能性も増えるはずだ」
「イカル?」
「こらシュリ……。あー……その人の名前よ。この国ではなんて名乗っているかは分からないけど私に使命を遣わした人はその人をイカルって呼んでいたわ」
「隠す必要ねえだろ」
「隠してたわけじゃないわよ。イカルって通称みたいなもので外の世界に工作に行った同胞は皆イカルって呼ばれてるの。だから私もイカルよ。ほら、面倒でしょ? だからよ」
「お前はネイでいいじゃんか」
「うーん……まあ、そっか」
「簡単な話じゃないか。変な奴」
シェザードたちの方針は決まった。
シュリの言う通り飛行船でユグナの里を目指す手が変わらずに得策なので成り行きに任せるのみだ。
義眼はどうするかというと別にもうなくてもいいらしい。
もしかしたらエルシカも邪険に扱うかもしれないがセエレ鉱石だと教えてやっても何故知っているのか説明しなければならないので黙っているしかなかった。
その日、シェザードたちはなかなか寝付けなかった。
シェザードはメドネアの星の人々が自分たちに危害を加えにくるのではと危惧し、ネイはイカルがこれからどう動いてくるのかで頭が一杯で、リオンも不安げに布団の中でもじもじしていた。
そんな中シュリは一人だけしっかりと熟睡していた。
おかげでなんとなく気に入らないという理由でネイとシェザードに落書きを施され翌朝大いに恥をかかされるのだった。
一方その頃満点の星空の下では。
メドネアの町の灯を遠くに見つめる礫地に一台の駆動四輪が停まっていた。
夏の夜とはいえ火のない車中は冷える。
毛布をかぶりながら三人の男が気まずい夜を過ごしていた。
「……ミゲルさん、遅いですね。大丈夫でしょうか」
「問題ない。副隊長だぞ。潜入捜査の玄人だ。あなたがた素人に心配されるような人ではない」
「素人に心配されるから不味いんじゃないですか?」
「なんだと?」
「こらこらハンマヘッド君……。すみませんねクロフォードさん」
「ちっ……俺と副隊長だけならまだしも……隊長はなんでこんな連中をこっちに寄越したんだ」
十七号遺跡駐在官憲のベンジャミン・オブゲン巡査部長と新人のグレッグ・ハンマヘッド巡査は中央官憲捜査官ルアド・マーガスの命で何故かメドネア方面行きの隊に編成されていた。
メドネア方面に逃げたかもしれない指名手配の少年たちを追うには四人という人数は少なすぎた。
調べによればメドネアに指名手配犯たちの縁はなく、メドネアの官憲からも特筆すべき報告は上がってきていないことから念のための人員配置といった感じなのだろう。
先のデルヤークの町では列車を降りた犯人たちに気づけなかったという失態を犯したクロフォードにとってこの人員配置は厄介払いのように感じてしまい苛立ちは自然と田舎の巡査二人に向けられるのであった。
売り言葉に買い言葉で血気盛んなグレッグが反応してしまうのでオブゲンは宥めるのに忙しい。
こんな時にクロフォードに命令出来るのはマーガス班の副隊長であるミゲルだけだが一人だけマーガスから密命を帯びていたらしく勝手にいなくなってしまった。
たった四人しかいないのにまとまりがないのは元々の所属が違い過ぎる上にほとんどお互いのことを知らないからだ。
そんな男たちが小さな車内で毛布にくるまり一夜を明かすのはある意味事件の解決よりも困難であった。
「まあまあ、ミゲルさんが戻ってきたら聞いてみましょうよ」
「当然だっ」
「軍人ってのは目上の人に対する敬意がなくてもなれるんですね」
「ハンマヘッドくーん……」
これは大変だぞ、と苦笑するオブゲン。
だがその程度の人間模様で苦慮していた事がいかに楽だったかをすぐに思い知ることになる。
メドネアで大量殺人事件が起きたのだ。
被害者はロード家の立食会に参加していた町人たちの家族と一部の官憲たちだった。




