メドネアのエルシカ9
シェザードはエルシカに地図を見せた。
貧民街でシェザードの借家の大家をしていたデリック翁がおそらく書き記したものであろう地下迷宮の一部の地図だ。
書き込まれた経路と出入口には特殊犯罪者が収監されている政府の施設に近い場所はなかったが人目を避けて監獄までの距離を稼ぐには充分な内容だろう。
それを見たエルシカの目の色が変わった。
「これはいったい?」
「官憲が俺を追って俺ん家まで来た時に大家のじいさんがくれたんだ。なんでこんなもん作ってたかは聞けなかったけど、じいさんはリンドナル侵攻の兵士だったらしいからたぶん……」
「リンドナル侵攻の……そうか……。その老人はかつてバルドー公と立ち上がろうとした義勇兵に違いないだろう。シェザード、君がいてくれて本当に良かった」
「どうでもいいけど首都を攻めるなら二つだけ約束してくれ。バイレル・ベイン国立学園、そこには手ぇ出さんで欲しい。王城の一部を改修してるから政府庁舎と間違えやすいと思うけどそこには生徒しかいねえんだ。あともう一つはそのじいさんたちについてだ。かなりの年寄りだから本人たちが望まない限りは放っておいてやってくれ。担ぎ上げようとすんなよな」
「そんなことでいいなら約束するのは簡単だ」
「絶対だぞ」
「心配なら君も来るかい? 住人の決起が望めないなら君に鉄の兵団を作ってもらうという手もあるが」
「鉄の……冗談きついぜ。自律駆動を組み立ててみたら集団暴走したことを言ってんのか。あれは俺の意志で動かせたわけじゃねえよ」
「分かってるさ、冗談だよ。君は北の大地で安心して待っているといい。事が片付いたら英雄として迎え入れることも約束しよう」
「興味ないな」
交渉成立だ。
シェザードたちはユグナの里へと目的地を変更した飛行船に乗って官憲たちの追跡を振り切る。
その騒動に乗じてエルシカはメドネア市民を率い首都ベインファノスで革命を起こす。
革命が成されたらシェザードの冤罪は消えるだろうし、失敗しても北の大地からなら国外逃亡する選択の余地も充分だった。
問題はいつ決行するかということだけとなりエルシカは幹部を集めて会議をすると出て行ってしまった。
残されたシェザードはシュリたちに事の顛末を話した。
飛行船を使えばおそらく北の大陸に渡る港に先回りしているであろう中央官憲を完全に出し抜くことが出来るということに三人は喜んだ。
北に渡る前にやりたいことがあったシェザードだったが三人を危険に巻き込むわけもいかずひっそりと心の内で決別を済ませるのだった。
夕方、エルシカの邸宅にてメドネアの星の幹部との立食会が開かれた。
革命軍の幹部と聞けば物々しい聞こえだが実際に会った彼らはそこらへんにいる中年にしか見えなかった。
戦闘訓練を積んでいるわけでもないのにどこから革命成功の自信がくるのかは分からないが、彼らほどに弱そうな集団なら気づかれずに首都の懐まで潜り込めるかもしれない。
ひとしきり話し握手を交わした後、シェザードは壁にもたれながら争乱の種を他人事のように眺めていた。
「つまらないかい?」
同じく幹部たちと談笑していたエルシカがやって来た。
手に持っていた一方の杯を受け取ったシェザードは肩をすくめてみせた。
ネイとシュリは未だに中心のほうで楽しそうにしているし、リオンは昼間以上の豪勢な料理に目を白黒させながら頬張っている。
賑やかなのは苦手だ、と正直に話す少年にエルシカは笑った。
「決行は六日後の休息日にした。休息日なら政庁周辺には人が少なくなる。それまでに少人数に分かれて現地入りする。私は陣頭指揮を取るから最初に出て行かなければならないからお別れだな」
「まあ頑張れよ」
杯を合わせて飲む。
暫く沈黙が続いた。
人混みも苦手だが微妙な距離感で会話がないのも非常に気まずいというものだ。
リオンの傍へ逃げようとしたシェザードだったがその前にエルシカが口を開いた。
「君はいよいよ私の親について聞かなかったね。何故だい?」
「……別に深い意味はないけど」
確かにシェザードは彼の親がずっと見えないことが気がかりだった。
周りの大人たちもまるで彼がこの家の当主であるかのように話しかけていた。
気になってはいたが説明がない以上は黙っておくべきこともある。
だから聞かなかっただけだがいよいよエルシカは自分で明かすのだった。
「私の両親はね、殺されたんだ」
「え?」
「去年の話さ。私は発明が得意でね、新作の望遠鏡は小型なのによく見える素晴らしい出来だった」
エルシカの父はそれを見て、これならあの玉虫色の靄に引き寄せられない遠くからでも空の国の現在を見られるのではないかと閃き政府に気球を飛ばす許可を求めた。
しかし許可は下りなかった。
政府が空を飛ぶことを禁じていたのは靄に飲まれる危険性があるからで、その危険がないはずの提案が何故か受け入れられなかったことにエルシカの父は抗議した。
それでも決定は覆らず理由も明かされることはなかった。
「空の国を刺激するかもしれない行為だからだろ?」
「向こうからは見える筈がない距離だよ。僕の望遠鏡は世界一なんだから。だから父は飛んだ。闇夜に紛れて気球を飛ばしたんだ。水素で満たされた風船は瞬く間に空に上がっていった。そこで……シェザード、父は何を見たと思う?」
「もったいぶるなよ。何を見たんだ?」
「灯りだよ。ああ、靄の輝きがそう見えたのかもしれない。だから父は確証を得るために粘った。空が白くなっていき次第に全貌が現れる。そこには……町があった。百年間、地上の誰もが見たことのない空の国の町だ。そして父は町から灯りが消えていくのを見たんだ」
「灯りが消えた? 明るくなったから消えた……消したってことか、誰かが」
「凄いだろう? もはやとっくに空の国は滅びているんじゃないかなんて、そんな説もある。それはそうだ。あの高度だぞ。空気は? 水は? 食料の生産は? 何故百年間も沈黙を続けられる? 考えれば考えるほど当然の如く行きつく答えだ。しかし彼らの文明は途絶えていなかった。父は長年の疑問の一つを明らかにしたんだ」
「でもそれって政府の定めた法律の肯定にもなるだろ。殺されたって……まさかそれでか? だとしたら飛ぶべきじゃなかったんじゃないか。まだ空に国があったなら停戦条約も続いてることになる。干渉して欲しくないってのがセレスティニアの意志なんだからお前の親父さんはそれを破ってロデスティニアを危険に晒したんだ」
「干渉して欲しくないと言いつつ落下物で地上に危険地帯を作っている。生活を覗かれることさえ干渉というのなら既に彼らの方が先に干渉してきていると言える」
朝方の空に気球が飛んでいたことはすぐに露見して大問題になった。
そしてそれがエルシカの父の仕業ということもすぐに発覚した。
説明を求められた父は会見を開く事になったが会見前に事件は起きた。
父が母と共に毒をあおって心中しているところを発見されたのだ。
「あり得ないことだ。気球から降りて来た父は目を輝かせながら私に語ってくれていたよ。空の国はまだ生きていた。つまり話し合うことが出来ると。停戦条約を解き、この国がもはや過去に生きていないことを証明することが出来ると。そんな夢を語った直後で自殺なんてするはずがない。あっていいはずがないんだ」
「それが政府の陰謀だってか。お前……復讐が革命の目的だったのかよ」
「見くびらないでくれシェザード。私は私情で動いていない。問題は戦争状態にあるせいで国際社会から信用を得られていない我が国のこの現状を何故か政府が甘んじているということだ。空の国と接触することに都合の悪さを感じている輩がどうやら政治の中枢にいるらしい。私はその者を排除してこの国を真っ当な国にしたいだけさ」
それが両親の供養にもなる、とエルシカは呟く。
まさか自分と文通をし始めた頃にそのような事が彼の身に起きていたとは知らなかったシェザードはそれ以上何も言えなかった。
復讐であってもいいくらいの話である。
犯した法に対して大きすぎる代償が彼を若くして革命志士に仕立て上げてしまったのだ。
確かにエルシカの言っていることはシェザードも疑問に思っていたことであり遺跡の研究にしてもそうだった。
空から落ちてくる物を研究することは隔絶された空の国の現在を解き明かすためだった筈なのに大きな発見を招いたシェザードは今中央官憲に追われる身となっている。
エルシカの両親の話は政府が何かを隠したがっているという確証を深めるに充分だった。
そんな事を考えていると困惑した表情の使用人がやって来て主人に進言した。
「エルシカ……小包が届きました」
「私に? 誰から?」
「何も書いてなくて……失礼ながら中身を検分しましたが、危険物ではなかったんですが……」
「歯切れが悪いね。どれどれ……これは……」
「なんだよ」
受け取った小さな箱の蓋を開けたエルシカは眉根を寄せた。
好奇心からシェザードも覗きこんだがぎょっとしてしまう。
それは一瞬だけ本物に見えたからであるが、偽物と分かってもあまり感じの良いものではなかった。
中には陶器のようなもので出来た義眼が緩衝材に包まれて納められていた。




