メドネアのエルシカ8
「な、なんだこりゃあ!?」
シェザードは大きく口を開けて驚いた。
通されたのはロード家の敷地内にある穀物を溜めておく格納庫だったはずだ。
なのに中には一切の大麦も小麦もなく巨大な船が悠々と鎮座していたのだ。
それは普通の船ではなかった。
少年が度肝を抜かれたのは見た瞬間に構造を理解したからだ。
他の三人とは驚き方の違うシェザードを見てエルシカも満足そうに口角を上げた。
船は帆がなく代わりに楕円形の骨組みに布が張られているもので覆われていた。
そしてその骨組みは船本体よりも遥かに大きかった。
「君ならそういう反応をしてくれると思ったよ」
「……道理でどっしりと構えてるわけだぜ。近々飛ばそうとしてたってわけか。どの道こんなもんが見つかったらただじゃ済まねえもんな。既に腹を括ってたんだな」
「覚悟など最初から決まっている。ただ、君たちがもっと早く事を起こしていたら私の対応も違ったかもな」
「なんでこんなところに船があるのよ」
「船……なのかなあ?」
「おっきい」
「あれは気球だ。船の形をしてるけど」
「気球?」
単語を聞いても理解しない三人だが無理はなかった。
気球は先進国の娯楽でありシュリやネイは見たことがなかった。
ロデスティニアも先進国ではあるが空の国への挑発行為になりかねないという理由で運用が法律で禁じられていた。
シェザードが知っていたのは知識として聞いたことがあったからだ。
気球は風に影響されやすいため浮力を溜める袋はどの方向から風を受けても体勢を崩さないように球体であることが一般的だ。
にも関わらずエルシカの所有するそれは完全に楕円形であった。
更に籠も外海を超えられるくらいの大きな船の造形であり船尾には推進用の回転翼が付いていた。
エルシカは仰々しくお辞儀をすると手を広げて皆の注目を集めた。
「お初にお目にかかります。彼の名は飛行船。空を進む希望の開拓者です」
飛行船。
文字通り空を飛ぶ船だ。
世界では試験運転が開始されたばかりの新技術。
シェザードは彼が何に使おうとしているか容易に想像出来た。
休戦協定を破りかねないとして禁じられている飛行行為。
だがそれは後付けの言い訳であり、より具体的な危険を防止する意味もあった。
かつては世界の流行に乗りロデスティニアでも気球での遊覧飛行を行ったことがあった。
だが、空を覆う玉虫色の靄に引き寄せられて戻って来られなくなる事故が多発してしまったのである。
彼らの生死は未だ不明だ。
事態を重く見た政府はメドネアなどの靄が及ばない地域においても同様に厳しく取り締まるようになった。
違反した者は内乱煽動罪という重罪に処せられる。
政府の本音としては彼らを犠牲者とするのは沽券に関わる問題なのだ。
「初めて見た……気球よりも進化したもんが既に存在していたとはなあ」
「この国は空を飛ぶことに関しては情報統制を布いているからね。人の口に戸は立てられないけど伝達には遅れが生じるものだ。君が知らなくても無理はないさ」
「いつからだ?」
「建造は一年前。完成したのは最近だ。検閲の目を誤魔化すために材料を少量ずつ輸入しなければならなくてね。長かったよ」
「一年……ってことはお前、文通してた時に俺が首都に行くって話にやたらと食いついてたのってまさか」
「手紙に書いていただろう? 首都の地理を明らかにすることが革命の鍵となるから協力して欲しいと。あれから一年経ってしまったが結局君の協力は得られたわけだから運命とは数奇なものだ」
「これで首都の上に飛んで爆弾でも降らせる気か」
「とんでもない。これで靄の下を飛んだら引き寄せられてしまうかもしれないだろう? かといって低空飛行は恰好の的になる。もしも敵の攻撃が水素に引火したらそれこそ大惨事だ」
「す、水素だって? 嘘だろ?」
「本当だよ。熱気球じゃ楕円の浮力袋の中が均等にならないって君なら分かるだろう」
「首都に飛ばないなら……どうするつもりだったんだよ」
エルシカは四人を製図台に案内した。
そこには大量の書き込みが成されたロデスティニアの地図が置かれていた。
ここでメドネアの星の幹部たちが連日連夜革命に向けて語り合ったのは想像に難くない。
地図を指で叩き、いよいよエルシカが目的を語り出す。
「当初の予定では闇夜に紛れて靄の外縁を通りビゼナルを目指す予定だった。そう、君の故郷だ。何故かといえばご存知の通り、近くには三大遺跡の一つである三号遺跡がある。この遺跡は他の二つに比べて警備が弱いことは調査済みだ。そんな所に最新技術を搭載した正体不明の飛行船が現れれば政府もきっと軍を動員させる。そこが狙い目だと我々は判断した」
「軍が来るかもしれないのに狙い目ってどういうこと?」
「まとめて相手にするってこと? 無茶だ」
「……陽動か」
「その通り、陽動だ。まさか彼らもこの莫大な出費の塊を囮に使うとは思わないだろう。彼らの目が北に向いたところで私が動く。地上から私自らが率いる軍勢で首都を一気に突貫する。目指すのは特級犯罪者を収監する監獄だ」
「自分でぶち込まれに行くのか」
「面白い冗談だなシェザード。君はもう分かっててそんなことを言っているんだろう」
「なになに、どういうこと?」
「……俺も噂でしか聞いたことないけど。首都にある国防省はいわゆる軍事力が一番集まってるところだからその中に国内随一の刑務所があるんだ。そこに何年も収監されてるやばい男がいる。死刑に出来ないんだ。こういう奴らが神格化しちゃうから」
「既に我らの中では父なる存在だ。かつてこの国には不義を憂いて立ち上がるも不義の同胞に謀られて幽閉されてしまった義士がいた。恐るべきことに彼の人物の威徳は投獄から三十余年経った今でも衰えずむしろ高まっている。そのおかげで彼が再び立ち上がった時にはロデスティニア全土に潜む同志たちが立ち上がるであろうと言われている」
「つまり君たちはその人を救い出して味方を増やそうとしているわけだね」
「その通り。彼の方の名はスタン・バルドー。革命の申し子だ」
シェザードたちが産まれる以前の話だが、空の国との休戦を起因とする様々な歪みが爆発し内戦とまではいかないが政権転覆を図る運動が起きた事があった。
補償なく社会に打ち捨てられた元軍人や戸籍のない子供、破産した武器商人などが群れて一つの怨嗟となった。
その烏合の衆をまとめあげた指導者こそがスタン・バルドーという男であった。
塀の中で生きているとすれば今は七十近い老人となっているだろう。
エルシカは飛行船をビゼナルに飛ばす案を変更しシェザードたちを乗せてユグナの里まで飛ぶことを提案してきた。
その代わりに知り得る限りの首都の交通網や地理を教えろというのだ。
教えた情報の有益さに交渉は委ねられる。
果たして教える内容によっては世話になった貧民街の老人たちや数少ない友人である風紀委員の女生徒が巻き込まれやしないかと彼らの顔を思い浮かべた時、シェザードは老人から受け取った地下迷宮の一部の地図の存在を思い出すのだった。




