メドネアのエルシカ6
食事を終えた一同はエルシカの勧めで身を清めることになった。
三階の大広間の外に広がる露台に設けられた洗い場は衝立と布で仕切られ男と女に分けられていた。
使用人によって次々に沸かした湯が運び込まれる。
昼間から芳しい花の香りの風呂に、しかも青空の下で入ることが出来るなど贅沢の極みだった。
周囲はロード家の土地なので誰にも盗み見られることがないと分かってはいても開放的な空間で裸になるのは落ち着かないものだ。
自然に垢取りを手伝おうとしてきた使用人たちを真っ赤になって追い出したシェザード。
それでもなお落ち着かないのは一緒に利用しているシュリのせいだ。
ユグナ族という地底人は老若男女が妖精のように美しい種族であり、シュリも自覚しているのか胸までしっかりと隠すものだから少年は余計に意識してしまうのだった。
「お湯のお風呂もいいよね。僕の故郷にはこういうお風呂はないんだ。じゃあどうしてるかっていうとね、石を熱してそこに少しずつ水をかけて水蒸気を浴びるんだよ。とっても汗が出て気持ちいいんだ。もちろん地下では火は使わないよ。酸欠になっちゃうからね。お風呂だけは地上にあってさ、体の芯まであったまったらそのまま雪に飛び込むのも最高だよ。着いたら皆で入ろうね。この国じゃ男女は分かれて入るみたいだけど僕の里ではそういうこと気にする必要ないからさ」
シェザードの背中を強引に洗いながら嬉しそうに話すシュリ。
華奢に見えるユグナ族は筋肉の質が普通の人間とは違うようで押さえつけられたら振りほどくことが出来ないほどの怪力だ。
恥ずかしくなって浴槽に逃げ込もうとすると垢を落としてから入るのが礼儀だと羽交い絞めにされてしまう。
それにより諸事あって立ち上がれなくなってしまったシェザードは大人しくシュリのされるがままになっていた。
旅の目的はリオンをユグナの里に連れて行くことだ。
ユグナの里はシェザードの故郷よりも更に遠く海を渡った先にある。
人間が住める寒さの限界に住む彼らの里にまで逃げればあるいは安全なのだろうか。
その答えは知る由もないがあの少女が中央官憲の手に渡ってしまえば取り返しのつかないことになることは明白だった。
この国に前科がある話は貧民窟の老人たちから聞いている。
遺跡の秘密に一歩触れてしまった自分に対して捜査官が強硬策を取ってくることからも野望が潰えていないことは明白だった。
一方でこのままシュリたちと行動を共にしていて良いのかという懸念も生じていた。
それはネイがアシュバル人であるという事が分かったからだ。
ネイを見ているとそうは思えないがアシュバル人は世界中で悪名を轟かせている鼻つまみ者だ。
何故嫌われているかといえば争乱の陰に必ず彼らの存在があるからだ。
だがネイはそれを誤解だと言った。
彼らは破壊工作をしていたわけではなく探し人を訪ねていただけだというのだ。
アシュバル人は王家の滅亡や植民地政策による隷属を受けて民族の尊厳を失ってしまっていた。
だがふとしたことから遥か昔に王の血族が政争に敗れて他国へ流れていたことを知ったという。
その痕跡を辿ろうとしたのが世界中に散らばっていったことの真相だ。
王の末裔を探し出して迎え入れ、自分たちも由緒ある民族なのだと思い出すために。
元より国家の尊厳の回復を任され単身で世界に乗り出していく人間ならば有能なのだろう。
有能な人間は外国でも歴史の変遷に巻き込まれてしまうものだ。
それが後世に誤解されて伝わっているのだとネイは言った。
話を信じるならばアシュバル人は世界にとっても国の痴態を責任転嫁するに丁度良い存在だったのかもしれない。
優秀かどうかはさておいてネイも希望を託されてアシュバルの未来を背負った者の一人だ。
そして彼女はこの国で見つけた。
ネイはリオンこそがアシュバル王家の末裔だと言った。
その証拠が彼女の特別な力にあった。
リオンを守っていたフリーダンという大男は彼女が空を落とすことが出来ると言っていた。
ネイによれば空の大地はセエレ鉱石改め精隷石という魔法の石によって浮かんでいるという。
つまり空を落とせるというのは精隷石の力に干渉出来るということであり、それは高度な魔法使いにしか出来ない芸当だという。
アシュバル人は魔法が使える民族で、そしてそこまでの力が使えるのは王家の者しかありえないというのだった。
もしもリオンが王家の末裔でアシュバルに還ることが出来たとしたらその後はどうなってしまうのだろう。
尊厳を取り戻したアシュバル人が世界に向けて復讐を開始しないとも言いきれないのが問題だ。
世界の裏側の話だし、ロデスティニアで暮らす自分にとってはこの国で問題が起きるよりましだと思っていた節があったシェザードだったが先ほど自分が政治犯として指名手配されていることを聞かされた。
未だ実感は湧かないがつまりはもうこの国どころか諸外国でもまともに生きていくことは不可能となったわけで、選択としてはエルシカの世話になるかネイ達についていくしか残されていないというわけだ。
なんでこんな事になってしまったのだろうか。
好奇心で自律駆動を組み立ててしまったことが事の発端なら対価が大きすぎやしないだろうか。
もはやどう進んでも茨の道は避けられないだろう。
研究者になりたかった、ただそれだけだったというのに。
「ねえ聞いてる?」
「あ? ああ、なんだっけ」
後ろから至近距離で顔を覗き込まれシェザードは我に返った。
気が付けば仕切りの向こうからネイのけたたましい騒ぎ声が聞こえる。
微かにリオンの笑い声も聞こえた。
脱衣にも時間がかかる女性陣がようやく風呂に入り出したようだ。
「もうっ。背中は洗い終わったよ。前は自分で洗えるだろ。ほらこれ、洗い布」
「え、あ、すまん」
「そうだ、その前に僕の背中も洗ってよ。順番順番」
垢を取る粗めの布を手渡される。
シェザードの前に出て正座し体を覆っていた布を解いて前面を隠すシュリ。
しなやかな溝の走る新雪のような背中と臀部の膨らみが露わになった。
何故か狼狽し強張ってしまうシェザードに痺れを切らしたシュリが腰を動かして催促した。
「ねえ寒いってば。はやくっ」
ユグナ族は人間が寒さに耐えうることの出来る限界ぎりぎりの土地に穴を掘って暮らしている種族だ。
だから寒さに強いかと言えばそうではなく真夏のロデスティニアでも厚手の冬服を着なければならないほどに寒がりである。
地中は深度が増すにつれて高温多湿になるらしく、すると彼らの居住区はかなりの暑さなのだろう。
ならば一緒に入ろうと言われた蒸し風呂はきっと蒸し焼き地獄に違いなく、そのような生活環境が全く異なる場所に着いて行って馴染めるとは到底思えなかった。
ただ、どのみち長居出来ないことは分かっていた。
ロデスティニアから近いぶん留まっていては他のユグナ族たちに迷惑がかかるからだ。
ネイは恐らくほとぼりが冷めたら北の大陸のどこかの港からロデスティニア本国を経由しない航路で故郷に帰る算段でいるのだろう。
着いて行けば彼女ならきっと仲間たちに取り計らってくれるだろうが世界を半周する旅をしなければならないとなると気が滅入ってしまうのだった。
「思春期!」
大声がして飛び上がるほど驚いた。
見ればネイが布の隙間から顔だけ出して若干引いた顔をしていた。
まさか女の方が男の風呂を覗いてくるとは思わなかったので引きたいのはこっちのほうだ。
よく見れば別の隙間からリオンもこちらを覗いているのが見えた。
「なーんかねえ……。早くぅって変な声が聞こえると思ったら……あんたなにシュリの後ろで赤くなっておっ立ってんのよ」
「なっ、なってねえよ!?」
「期待してたのに全然こっち覗いてこないなあって思ってたら、ふーん……あんたらってそっちだったのね。若いのにねえ」
「どっちだよ! つーかリオンに何教えてんだ! 覗くな!」
「まあ……目覚めちゃうのも無理ないか。それじゃあどうぞごゆっくり。リオン、こっちにいらっしゃい。ここから先はあなたにはまだ早いわよ」
「あってめっ、話終わらせんじゃねえ!」
「あはは」
「お前も笑ってんじゃねえよ否定しろおっ!」
仕切りより先に詰め寄るわけにもいかず必死の弁明は青空に消えた。
逆に艶めかしい声を出して挑発してくるネイにどっと疲れが出てしまう。
現状は深刻なのだろうが彼女と一緒にいれば全てのことが馬鹿馬鹿しく思えそうだ。
その代わりシュリのように受け流す術を身に付けなければ身が持ちそうにないなと項垂れるシェザードであった。