メドネアのエルシカ
星降る町にも朝は来る。
男たちは仕事に出かけ女たちは路地に架けた縄に洗濯物を干す。
山間から内陸部へと吹き込む風が雲を飛ばすこの町は日照時間が長い。
きっと今日も良い天気になることだろう。
メドネアでは頭上に青空が広がっていた。
玉虫色の靄に蓋されているこの国にも実は空の見える場所がいくつかある。
靄は首都を中心にちょうど円形に広がっていることが確認されおり、その影響下からはみ出ている北西、北東、南の三か所がそれだ。
一昔前までは首都から一番近い空の見える町として栄えていた町は今や時代の流行に乗り遅れて文字通り天を仰ぐのみとなっていた。
それでも観光の客足が絶えたわけではない。
一昔前の街並みは旅愁を感じさせ体力的に遠出を好まない熟年者の保養地として不動の人気を誇っている。
現に到着した列車から降り立った老人たちも目の前に広がる青い空を前に腰を伸ばして気持ちよさそうにしていた。
その者たちがかつては星空を眺めて愛を誓い合った若者であったことは言うまでもない。
列車を操縦していた機関士が駆け付けた整備士たちと挨拶を交わす。
その隙に運転席から抜け出し、さも客車から出て来たような素振りを見せる四人組がいた。
整備士たちはその者らに目を奪われた。
休息日でもないのに若者がこの地に訪れるのは大変珍しいということもあるが、四人のうちの三人の容姿があまりにも整っていたからだ。
一人は雪のような肌をした銀髪の美少女だった。
大きな荷物を背負っているがまさかあれが分解した斧であることなど誰も予想出来ない可憐さである。
この時期にあり得ないほどの厚着をしているのが気になるがそこに隠された裸体を想像するだけで楽しくなるというものだ。
実際には女ではなく男なのだが地底人であるユグナ族を見たことがない者には気づきようのないことだった。
その者に手を引かれ大人しそうな黒髪の少女が列車と乗り場の段差を越えた。
外套の前をしっかりと留め、歩き方がぎこちないのは靴が大きすぎるせいだろう。
少年が裸足なのを見れば貸してあげているのかと分かるが男たちの眼には少年は映っていなかった。
最後に降りて来た女性に一同の目が釘付けとなったからだ。
胸の谷間とへそが見える薄着の美女である。
足も太腿のぎりぎりまでが見える煽情的な衣装だった。
三つ編みにした黒髪が垂れた腰元の動きが欲望をそそった。
顔には攻撃的な刺青が掘られているものの、それが頭の悪さを物語っているようで男たちはついつい口笛を鳴らしてしまうのだった。
それに気づいたか女性は大きく伸びをした。
脇の下が露わとなりついつい凝視してしまう。
すると女性の口元が緩み舌が唇を這うのが見えた。
これは誘っているのかと喜びに満ちた表情で男たちが顔を上げた時だった。
男たちは不意に仕事へと戻っていった。
女性の目を見た時に各々の脳裏に命令が聞こえたのである。
いつも通りの日常を過ごせと。
その通りにするのが今の男たちにとっての最高の快楽となっていた。
「じゃあねーえ」
「ん? ネイ、今魔法使った?」
「だってすっごくいやらしい目で見てたんだもの。絡まれたら面倒でしょ?」
「なるほどね。来て早々目立ちたくないもんね。ありがとう」
「そういう恰好してるからじゃねえの」
「こういう恰好してたほうが魔法のかかりがいいのよ」
「どういうことだよ」
シェザードたちはメドネアに来るのは初めてだった。
来て分かった事だが意外と規模の大きい町だったのだ。
少年が頼ろうとしている友人の情報はといえば名前だけなので聞き込みをすれば否が応にも無関係の人間に印象を与えてしまうだろう。
万が一後から官憲が追って来た時を想定して、足取りを追われたくない一行は慎重にならねばならなかった。
「魅了の魔法の原理の話よ。私の虜になってもらうわけだからすぐに好意を持ってもらったほうが手っ取り早いの。で、動物が本能的に真っ先に抱く好意は情欲でしょ? だからこうなわけ」
「身も蓋もない話だよね」
「ま、私は世界で一番可愛いからねえ。格好関係なしに誰でもすぐに虜だよっていう意見なら最もだわ」
「誰も言ってねえよ」
「だけど情欲の枯れ果てちゃったおじいちゃんとか情欲以上の思想で頭がいっぱいの人とかには効かないのよね」
「女にもな」
「たまに効くわよ」
「えっ」
「やあ、おはよう。若いのに珍しい旅人さんだね」
駄弁をむさぼりながら駅舎を歩いていると声を掛けられた。
口ひげを生やした優男風の中年である。
駅員でもなく、どうやら一般人のようだった。
シェザードに得意げな顔を見せ、ネイが前に出る。
「回れー右っ」
「ははは……手厳しい。俺には妻もいるから食事のお誘いとかじゃないよ。それにこっちは一人でそちらは四人なわけだし。単にこんなに若い子たちがこんな何もない町に来るのが珍しかったから声かけしてみただけだよ」
「あ、あら? そう? でもほら、星が綺麗だって聞いてたからね、みんなで示し合わせて旅行しに来たのよ」
「学校はどうしたの? その外套、首都の有名校のものじゃないかい」
「ん? ゆうめいこう?」
「休校だよ。遺跡の校外学習で自律駆動が大量に出てきて大混乱になったって話知らねえの? その事件処理とかで一週間休校になったんだよ」
「ええっ? そんなことが? なにぶん田舎なもんでまだそういう情報は入って来ていないよ。新聞もまだだし……。でもそんな時に旅行だなんてよく親御さんが許したね」
「俺ら寮生だから。一度家に帰るって申請してここに来たんだよ。なんだよおっさん、学校に告げ口する気かよ?」
「ははは、そんなことしないよ! 寮生、なるほど寮生か。なるほどなるほど」
「……ちなみに俺らはビゼナルとかトコーとかの出身なんだ」
「ああ、なるほど」
「もう行っていいか?」
「あ、ごめんごめん。悪いね、引き留めちゃって。良い旅を!」
手を振って見送る中年。
再び歩きながらシュリが苦笑した。
「たまにいるよね。旅行者に声かけてくる地元のおじさん」
対してネイも苦笑いしていた。
ただしネイは親切だけど有難迷惑な人程度に捉えていたシュリとは別の分析をしていたようだった。
「やばいわ」
「どうしたの?」
「あの親父、魔法が効かなかった」
「え?」
「やっぱりな。普通に返されて慌ててたもんな、お前」
「ああ確かに! で、なにがやばいんだい?」
「シュリには前に説明したけど……さっき話した魔法が効かない人間は他にもいるのよ。それはね……」
「溜めるなよ。なんだよ」
「それは……女に興味がない人! おかしいなあって思ったのよ。シェザと話し始めたらずっとシェザばっかり見てるし」
「は?」
「まあ、あんたも見ようによっては可愛い顔してるもんね。生意気だけど」
「ははは……そういうことね」
「どういうこと?」
「リオンは知らなくていいと思うよ」
「違うだろ。お前らなあ、用心棒のくせにその程度の洞察力しかねえのかよ」
「なによ。どういうことよ?」
「あのおっさん、俺らがビゼナルの出身だって聞いて安心しやがったんだぞ」
「そうだった?」
「ああ。俺らが青空を見ても反応しなかった事に気づいたんだよ。だから声をかけてきたんだ。首都から来たことにかなり警戒していたようにも見えた」
「なによそれ、考えすぎよ」
「いや、シェザの言う通りかもしれない。気を付けたほうが良さそうだ。反体制派の溜まり場になっている可能性があることは君の友人の手紙からも推察できたもんね。リオンの事とか、僕らだけだと思って迂闊に喋ると大変なことになるかもしれない。気を付けよう」
「うーん……ま、用心するに越したことはないけどね」
「ていうかあのおっさん、妻がいるって言ってたろ。なのに男が好きって結論に至るお前が一番やべえよ」
「嘘かもしれないし。妻がいようが私の魅力に引っかからないのはおかしいもの」
「お前ほんとうに自分大好きだよな」
遠ざかる四人の後ろ姿を見つめる中年。
暫くすると視線を残しつつ建物の隙間へと消えていく。
人数が合わないが首都からの電話にあった指名手配の少年で間違いなさそうだ。
これは報告せねば、と男は細い小路を駆け抜けていった。