逃亡9
元々、ロデスティニア北部の主要都市と首都ベインファノスを繋ぐ内陸街道の分岐点には小さな宿場があった。
鉄道が敷かれ線路と街道が交わるようになるとそれが町へと発展した。
周囲は見渡す限りの礫地であり観光資源もない。
デルヤークは鉄道の発展と共に歩んできた町である。
たいして娯楽のない町では人々は非日常に敏感だった。
その日は朝から皆が色めき立っていた。
話は電話交換手の女性から広まった。
中央官憲が保安員宛てへ電話をかけて来たというのだ。
出回った情報が町全体へと拡がるのは早かった。
仕事前の景気づけに一杯と立ち寄った酒場ではさっそく看板娘のおねだりがあり、色香に負けた高官が口を滑らせる。
電話の内容は次に来る汽車から降りてくる乗客の確認を中央官憲の主導で行いたいから了承せよというものだったという。
人々は大捕り物を予感した。
新聞記者が大げさに脚色して号外を飛ばしたらしい。
中央官憲捜査官ルアド・マーガスたちが自動四輪にて街道を先回りし町に着いたころには駅では既に群集が大挙してまるでお祭り騒ぎとなっていた。
これだから、とマーガスは呆れかえる。
分かってはいたが田舎者に機密保持など不可能なことであった。
だがこれでいい。
大衆が騒ぎ立てて困るのはむしろ逃げ出した学生のほうである。
そのうち指名手配の情報も届くだろうし、英雄になりたい衆愚は熱が冷めるまで官憲の代わりに逃亡犯を探し続けるだろう。
もはや彼らがこの国で大手を振って歩けるわけがないのだ。
列車が到着すると乗客もいつもと違う光景に何事かとざわついた。
合同捜査となった官憲たちは私服に着替え群衆の中で怪しい四人組が出てくるのを待った。
しかし乗客の中には就学年齢の未成年はいなかった。
どういうことだと焦った私服官憲たちは機関士たちの制止を振り切り客車のみならず貨物車まで見て回ったが隠れている者はいなかった。
あり得ないことだ。
迷宮の出入り口から駅へと駆ける四人組の目撃談は複数ありこの列車へ乗ったことは確実なのにどこにもいないのである。
いくら四輪駆動よりは速度が出ないとはいえ走行中の列車から飛び降りることも出来るわけがない。
到着前の減速状態の時にも下車した者はいなかったはずだった。
まさか機関士たちが匿っているのか。
詰問しようと私服官憲が機関士に詰め寄った時だった。
私服の一般人が乗り込んだと勘違いした観衆が我も我もと列車に乗り込みだしたのだ。
駅はあっという間に収拾のつかない混乱へと陥った。
制止の声と怒号が飛び交う中、物陰に隠れてこっそりとメドネア行きの列車に乗り換える者たちがいた。
乗り継ぎの汽車はまだ格納庫にて調整中であり客の乗車案内をしていない。
暴動に発展した駅舎の様子を格納庫から見ていた整備士たちは不審な輩の登場に怪訝な顔をした。
しかし集団の中の女が近づくとすぐさまとろんとした笑顔になって道を譲るのだった。
「よしいいぞ、予定通りだ。様子を見て出発間近になったら列車に乗り込むよ。それまではここで体力を温存しておこう」
「官憲が先回りしてるのは想定済みだったけど……なんか騒ぎが起きて助かったな」
「つかれた」
「大丈夫、リオン? ねえ、誰か飲み物持ってきてちょうだい」
女性が声をかけると整備士たちが我先にと出て行ってしまった。
それは彼女の仕業だった。
誘惑の魔法というらしい。
有効範囲が狭いため接近しないと発動しないという難点があるものの、かかった者は暫く絶対服従を誓ってしまうという非常に恐ろしい催眠術だった。
原理は分からないが、ともあれシェザードたちは難関を突破した。
今のところ窮地はネイの魔法に救われている。
初めて学校で見たときは頼りなく感じていたシェザードだったが今や一番頼りにしていた。
好奇心旺盛な少年の純粋な感心にネイは挑発的な視線を投げかけてからかっていた。
「魔法ってすげえな。会うやつみんな言うこと聞くんだな。どうなってんだ!?」
「あら、誘惑の魔法を使ったのは今が初めてよ?」
「えっ、だって機関士のおっさんだって。いくら官憲たちが嫌いでも路銀までくれるのはおかしいだろ」
「うふふ……どうやってお金貰ったか、知りたい?」
「え?」
「運が良かったね。力に頼らずに済んで良かったよ」
顔を下から覗きこみ蠱惑的な笑みを浮かべるネイの胸元に視線を奪われてしまうシェザード。
隣で咳払いをしながらシュリが背負っていた大斧を置いて大きく伸びをした。
あれで戦ったら相手はただじゃすまないだろうし自分たちの犯罪歴もただじゃすまなかっただろう。
やけに悪目立ちのする若い四人組がよくここまで来れたものだった。
「あとは列車が無事に出発してくれるのを祈るのみだね。メドネアに行ったら暫くは情報収集をしよう。僕らの行動が彼らの次の一手にどう影響を及ぼしたか把握しておきたい。まあ、全てはメドネアで長期滞在出来るかどうかにかかってるけど」
「今更だけどあなたのお友達ってどれくらい信用できるのかしら。まあ、出来なくても私の魔法でなんとでもなるけど」
「魔法って効果時間があるんだろ? 効果が切れたらその都度かけなおすってのは長期滞在には向かねえだろ。……まあ、信用は出来るよ。その、やべえ奴だから」
「やばいって?」
「この国は駄目だとか、革命がどうのとか言い出すようになったから気持ち悪くて途中で文通をやめたんだよ。まさか頼りになる日がくるとはなあ」
「反体制派か。若いのに珍しいね。感化される環境があるって見て間違いなさそうだ」
「気持ち悪い存在に仲間入りした気分はどう?」
「そういう意味で言ってねえよ。悪かったよ」
厳密にいえばシェザードの古い友人が協力者になり得ないのはネイたちも分かっているはずだった。
反体制派など、自己都合の不満を政治に責任転嫁しているだけの夢想家だとシェザードは思っていた。
だから仲間などではない。
むしろリオンの力がばれたら政府以上に利用しようとしてくる危険な存在に違いないだろう。
メドネアに着いたらシェザードはリオンの秘密は伏せておくつもりでいた。
共に自律駆動の暴走に巻き込まれた学友として、過剰な接触を試みてくる中央官憲から用心棒の手を借りて逃げて来たという体にする予定だ。
未だにリオンは口数が少なく何を考えているのか分からないが抵抗もせずに付いてきているということは彼女も政府には捕まりたくないのは確かだろう。
ネイ達もリオンもシェザードの意見に賛同を示した。
鋭気を養った一行は準備の整った列車に隠れて乗り込んだ。
出発時間は大幅に延期されるか最悪の場合運行中止かと思ったがそれはなかった。
駅でのお祭り騒ぎが暴動にまで発展してしまったことで、これ以上予定外のことをすれば市民の矛先が完全に自分たちに向いてしまうと官憲も判断したのだろう。
乗客は列車に乗り込む際に入念な確認を受けることになったようだが既に運転席に潜り込んでいたシェザードたちには関係のないことだった。
列車は少しだけ遅れたがほぼ定刻通りに出発した。
天文都市は名前には聞いていたがシェザードも初めて行く場所だった。
顔を見たことがない元友人がどれだけ協力してくれるか不安はあったものの、列車は目的地を目指してまっすぐに進んでいく。
地平線の向こうは玉虫色の空と重なり不明瞭に輝きを放っていた。




