逃亡6
走って走って走って。
炎を背に雑木に紛れ、逃げ込んだ先は天井の高い鉄板壁の建物だった。
そこは機関車の格納庫である。
シェザードはリオンと共に駅の端に連れて来られていた。
後ろで扉が閉められると二人は地面に降ろされる。
ずっと抱えて走っていたというのにまったく息が乱れていないのは流石というべきか。
閉めた扉を少しだけ開けて外の様子を窺っている二人組には見覚えがあった。
乱入してきたのは校外学習の警護を請け負った用心棒たちだった。
一人は長い黒髪を三つ編みにした隻眼の女性だ。
そしてもう一人は透き通るような肌に銀髪の美人であり、夏だというのに白い毛皮の防寒具を着ている。
ユグナ族という地底人である銀髪は予想以上に力が強く、自分と背丈が大して変わらないにも関わらずシェザードは軽々と抱えられて何の抵抗も出来なかった。
フリーダンたちを渦中に置いてきたことで泣きじゃくるリオンに困惑しつつ少年は混乱から生じる苛立ちを二人にぶつけた。
「なんなんだよ、これは!」
片目をつむっている黒髪の女性が飄々とした顔で口に人差し指を当てた。
彼女は自律駆動のオルフェンスを謎の手法で起動させた人物である。
遺跡にいた時からなにやら怪しい行動をしていたが果たして一体何者なのだろうか。
そういえばフリーダンが会いたがっていた気がするので敵ではないのかもしれないが未だ目的が見えなかった。
敵。
ふとシェザードは思い直す。
自分は何を考えているのか。
普通に考えれば官憲に追われることが悪ではないのか。
官憲の動きが物々しく状況に流されてしまったとはいえ逃げたのが不味かった。
普通に考えれば彼らが事情聴取しようとするのは当たり前のことだ。
自分をどんどん悪い方向に導いているのは自分自身である。
このまま更に流され続けたら後戻りが出来なくなる気がした。
「なんとか撒いたようね。でもすぐにここも見つかるでしょうね」
「大丈夫さ。もう少しで時間だから」
「なんの話をしてんだよ」
「列車の発車時刻だよ。君もそのつもりでここを目指してたんでしょ?」
「知らねえよ! もううんざりだ! なんで俺がこんな目に会わなきゃなんねえんだよ!」
「諦めなさい。関わっちゃった以上、あなたはもう普通の暮らしには戻れないわよ」
「なんだよそれ!」
あっさりとした宣告。
即座にシェザードは隻眼の女性を睨みつけた。
女性も負けじとシェザードの態度に反応する。
二人の間で銀髪が苦笑いして目を泳がせる。
「なんだよそれって、なあに? あなた、まさかこんなところに女の子放り出して自分だけ元の生活に戻るつもりだったわけ?」
「そんなこと言ってないだろ。なんだその嫌味は、てめえ」
「こっちの台詞よ。助けてあげたのになにそれ」
「まあまあ。状況が状況だ。無理もないよ。ええと君は、トラパンくんだっけ」
「トレヴァンスだよ! シェザード・トレヴァンス!」
「ごめんごめん、そんなに怒らないでよ。僕はシュリ・ダニエラ。こっちはネイ・アリューシャン。よろしくね」
「よろしかねえよ。なんなんだよこの状況は! 説明……」
「おい! こんなとこで何してやがる!」
ぎゃあぎゃあと言い合っていると積み上げられた丸太の向こうからがたいの良い中年が現れた。
雷に打たれたかのように驚いたシェザードだったが二人組は涼しげに目を合わせただけだった。
怒鳴られたことでリオンもびっくりして泣くのをやめたようだ。
よく見れば現れたのは鉄道の関係者だった。
「なんだあ? 朝っぱらから若けえのが……?」
「あなた、機関士さんね? 良かった。私たち切符を買ってないんだけど乗せてって欲しいのよ。実は官憲に追われてて」
「あ?」
「ばっ!? あんた何言って」
「しーっ、お姉さんに任せなさい」
眉を顰める中年とシェザードの頓狂な声が重なった。
隻眼女は何を言っているのだ。
続けられた説明に更に驚くことになるシェザード。
女性は自分の用心棒の証明書を機関士に見せた。
「見ての通り、私たちは用心棒よ。で、こっちは議員の御子息たち。今回の依頼者なの」
「ふうん? がきの依頼者だ? なんでえ駆け落ちでもすんのかい」
「すごおい! おじさま、よく分かったわね!」
「は? え? ちょ、おい」
「そうなんです。彼らの両親は政敵同士、結ばれるはずもない恋です。そんな彼らの純愛に心を打たれ、僕たちは危険を承知でこの任務を引き受けました。どうか二人を遠くへ逃がすためにご助力いただけないでしょうか。汚い金で雇われた官憲なんかに捕まるわけにはいかないんです」
「…………」
馬鹿か、とシェザードは冷や汗を流した。
そんな三文芝居みたいな話を信じる奴がどこにいるというのか。
だが機関士はシェザードのことは胡散臭そうに見ながらも本気で泣いているリオンを見て優しい目をして見せた。
そして暫く口を曲げて思案していた後、大きく鼻息を吹いた。
「昨日の夜から官憲どもがうろちょろしてんのはこのせいだったってわけだ。するってえと、さっきの爆発もか」
「奴らは異常です。醜聞が新聞記者たちに洩れるくらいなら二人を事故死に見せかけるのも厭わない姿勢だ」
「なんてえ奴らだ……お上ってのはいつもそうだ」
「ねーえ、お願ぁい。助けてえ?」
「うーぬぬぬぬ……乗りな! 時間早めて出発すんぞ!」
かっと目を見開きくるりと踵を返して整備士たちに出発を告げに行く機関士。
シェザードとリオンは目をしばたたかせて顔を見合わせた。
したり顔であごを上げる隻眼女がうざったいがこんな稚拙な交渉が上手くいくとは何か裏があるはずだ。
疑問だらけの顔を見てシュリが笑った。
「機関士さんが裏切る可能性はないよ。断言する。鉄道会社の人はそれくらい官憲のことを快く思っていないんだ。普段から何かと理由を付けて止められたりしてるからね。そのくせ遅延で生じた損害は保証しないし、むしろ積荷の検分とかいって賄賂を要求してきたりする。不満はいつでも爆発寸前なんだよ」
「そおいうこと。あの人たちは官憲の面子が潰せるなら理由はなんだっていいのよ。私たちを無事に逃がすことが出来たらきっとお酒が美味しいでしょうね」
「……やけに事情に詳しいんだな」
「伊達に用心棒やってないわよ。誰が敵で誰が味方になるかっていう情報収集は生きる上で一番磨いておかなきゃね」
「それでも駄目なら色仕掛けって手もある。ほら、ネイってすごく魅力的だろ? すり寄られたら男はみんないちころなんだ」
「し、しらねえよ」
「あら。シュリだって得意でしょ? おねだり」
「うーん……ネイにばっかやらせるのは悪いけど、僕はもうやりたくないなあ」
「おおい、おめえら。念のためもう乗っておけ! 官憲どもが来たら面倒だ。貨物に隠れてるといい」
「ありがとうおじさまっ大好き!」
「へへえっ? やめれえ尻が痒くならあ」
「ところでシェザ。君はどこまで逃げるつもりだったんだ? 行く当てはあったのかい?」
「一応二つ。俺、ビゼナルの出身なんだ。だけど目指してた第一候補はメドネアだよ」
「メドネアか。いい選択かも」
「あんたらはどういうつもりで動いてたんだよ」
「君と一緒さ。リオンを連れて北へ逃げるつもりだった。ユグナの里にね」
「ん?」
「なに? ああ、実は僕はユグナ族なんだ」
「知ってる。違う、そうじゃなくて……リオンの名前って言ったか?」
「……その話は列車に揺られながらでも出来る。とりあえず今は味方だって信じてくれ。後で全て話すから」
「ほらほら、むっさい官憲に捕まるのと美人のお姉さんに捕まるのとどっちがいいわけ? 遠目でも見られたら大変。さっさと列車に隠れるわよ」
「自分で言うなよ。立てるか、リオン?」
「……うん」
「元気だせよ。あいつらだって死んだとは限らないだろ」
「……うん」
フリーダンの死亡もオルフェンスの死亡も確定ではない。
薄い希望だったがそれがリオンに対するシェザードの精いっぱいの慰めだった。
とりあえず一行は列車に乗り込む。
肉薄の距離だった官憲たちが意外にもやって来ず、本来の出発時刻よりも少し早めの警笛が鳴った。
回り出す車輪。
線路の安全確認をする四輪駆動が先行し列車もその後に続いて加速していく。
シェザードの運命はまさに列車そのものだった。
先の見通しも分からぬまま、敷かれた線路の上をひたすらに走っていくしかなかった。




