逃亡2
にわかには信じがたいことだがリオンたちは百年前の人間だった。
この国が空と大地に分かれて争っていた時、彼女たちは空側の人間だったという。
そして少女は切り札だったらしい。
空の大地を地上に落とすという究極の自滅をちらつかせられ、地上側は思い切った攻勢に出られず大いに苦しんだとのことだ。
おかげでリオンは命を狙われた。
こんなものは存在してはいけないと、空側の人間からも忌み嫌われていたらしい。
そんなリオンを不憫に思ったごく少数の者たちがリオンをこの地に隠した。
何故その者たちがこの地下迷宮を知っていたかと言えば、空の勢力こそがかつての王政の血を引く正統な一派だからだとフリーダンは言った。
フリーダンはその時リオンに付き従った従者の一人だという。
そしてオルフェンスは地上で戦っていた空側勢力の指揮官の一人だった。
道理で二人は面識がありこの迷宮のことを知っていたわけだ。
定期的に鉄屑が降り積もるあの遺跡で百年前から稼働停止していたにしては彼はずいぶんと表層近くに埋もれていたものだという疑問は残るがシェザードは黙っておいた。
それにしても百年前の科学技術は恐ろしいものである。
己で思考して動く機械や不老技術など一世紀経った現代でも発明されていないというのに。
確かにそれらの力を落ち目の大国であるこのロデスティニアが手に入れたら再興に一役買うかもしれない。
なるほど官憲たちがシェザードを捕まえようとしていたのはこの手掛かりを逃すまいと躍起になったためだったのだ。
フリーダンが遠くへ連れて行って欲しいと願う理由も理解出来た。
彼女はきっと戦争の火種になってしまうだろう。
それは避けなければならないというのはシェザードにも分かる。
だがそんな事を託されても困るのが正直な気持ちだった。
シェザードはゆくゆくは国家公務員になりたい身だ。
これ以上不穏な行動をしてしまうと確実に就職に響くだろう。
行く当ても路銀もないただの学生に何が出来るというのか。
そもそもここにいれば安全ではないのか。
『そうとも言い切れないのです。どうやら徐々に特定されつつあるようで、この部屋が見つかるのはもはや時間の問題なのです』
「他の協力者を待ってる暇はねえってか」
『はい。ですので、どうか力を貸してください』
シェザードは眉間にしわを寄せて考えた。
その様子をリオンは心配そうに見守っている。
すでに自分も官憲から追われている以上ここで彼らを見捨てても尋問は免れないだろう。
かといって彼らを売り飛ばして自分だけ助かるという道を選べるほど少年は達観していなかった。
よく分からないが可哀そうだ。
ただそれだけだった。
未だに百年前だの大きな力だのは信じ切ることは出来ないがこれだけ頼られているのに断るのも気が引ける。
自分みたいな何処にでもいる一般市民がどこまで出来るか分からないが、せめて一つくらいは役に立ってやりたかった。
「遠くへって言っても俺は国外に当てなんかない。けど……一応当てはあるよ」
『おお、本当ですか?』
「俺、文通相手がいたんだけど一人は北東にある天文都市に住んでてさ、この国で星空が見えるような所だから、まあ辺鄙なところだよ。そこに行って身を隠せばいい。で、もう一人は冒険家なんだ。そいつに連絡を取ればきっと国外に出る手助けをしてくれるよ」
「じ、事情も知らせないで押しかけて迷惑にならないかなあ?」
「たぶん大丈夫だよ。文通相手がいたって過去形で話したけどさ、国の批判とかするやべえ奴だったから進学を機に疎遠にしてたんだ。ビゼナルのシェザードの紹介だって言えばたぶん喜んで匿ってくれるんじゃないかな」
『そこはなんという名前の都市ですか?』
「メドネア」
『! 知っています』
「古い町だもんな、知ってたか。じゃあ別に俺が案内しなくても……?」
「一緒に来てくれないの?」
『ここに残ればあなたも大変な目に会うのでは』
「馬鹿言うなよ。一緒に行ったらそれこそ後戻りできなくなるよ。心配すんな、官憲連中に尋問されてもあんたらの行き先を吐いたりなんかしねえから」
「そんな……」
『まあ、彼も生活がありますからね。無理強いは出来ません。ではさっそく行動に移りましょう。もうすぐ夜が明けてしまいますから』
「調度いいや、始発の汽車に乗るといい。官憲連中も事が事だから大ごとにしたくないだろうし、交通網を止めたりはしてないだろう。金は……そのくらいならやるよ」
『ありがとうございます。シェザード、巻き込んでしまってすみませんでした』
「あんたらから色々聞きたかったけど知っちゃいけない世界もあるんだってよく分かったよ」
闇夜に紛れたほうが都合が良い。
リオンも歩けるくらいにはなっていたので一行はさっそく出発した。
迷宮の出入り口で北側にある一か所を目指す。
そこは首都の端の雑木林の中にあり、昼間でも人気は少なく近くには北部行きの汽車が出る駅があった。
先頭を行くフリーダン。
後に続きながら不安そうな顔で見つめてくるリオンをシェザードは直視できなかった。
気づかないふりをして進んでいく。
これ以上情に引っ張られたら本当に自分に人生が決まってしまう気がしたからだ。
明かりが見えて来た。
日の出を迎えようとしている外界は輪郭くらいならぼんやりと見えるほどに白ばみはじめてきていた。
ここまでくればもう大丈夫だろう。
あとはシェザードがこっそりと貧民窟に帰りそこで官憲に逮捕されれば彼らと行動を共にしたことなど立証しようがないのでリオンたちは追われることなく逃げ切れるはずだ。
洞穴を模した出入り口からフリーダンが出ようとした時だった。
足元でオルフェンスがかちゃかちゃと足踏みをした。
別れを惜しんでいるのか。
流石に犬ほどの大きさもある彼を入れられる背負い鞄の類など持ってきてはいなかったので彼もここでフリーダンたちとはお別れなのだ。
『どうしましたか? ……ああ、大丈夫ですよ。迷宮の出入り口はいくつもあるのですから。あなたが先駆けなくても待ち伏せなどいるわけがありません』
「ああそういうことか。そうだぜオルフェンス。こんな出入口全部に人員割けるほど官憲はいねえよ」
フリーダンが訳してくれたことで地団駄を踏む自律駆動が何を考えていたのか分かった。
戦争を経験している彼だからこその気づかいなのだろう。
フリーダンも当時を生きた守護者なのだろうが神官服を着ていることから推察できるように戦闘には従事していなかったはずだ。
ただ一人、オルフェンスだけが警鐘を鳴らしていた。
『あなたは見た目がそのまんま機械ですから、もしも誰かに見つかったら別の出入り口まで引き返さなければなりません。そうしているうちに日が登り、汽車は行ってしまいます』
「先に出たけりゃ出ればいいよ。どうせこんな朝早くにここらへんに人なんかいねえから」
交互に顔を見上げるオルフェンス。
小刻みに震えて手足をばたつかせる頑固者にシェザードは苦笑した。
この機械は面白い。
大っぴらには出来ない関係だが彼らがいなくなった後でも良い付き合いが出来そうだった。
オルフェンスは暫く固まっていたがちょこちょことリオンに近づいて足にそっと触れた。
リオンも訳が分からないといった顔できょとんとしていたがシェザードと目が合うと笑った。
シェザードも釣られて笑う。
そういえばこのままだと外套を持ち去られてしまうと気づいたが裸を連想してしまい今度は別の意味でリオンを直視できなくなったシェザードだった。
「あっ、おい! まったく……本当に犬みたいなやつだな」
その中で兵士は一人飛び出した。
気づいていたというわけではない。
ただ塹壕戦では塹壕から出る瞬間が一番狙われやすいことを知っていただけだ。
そして、この中で犠牲になるべきは自分だということも理解していただけだった。
破裂音が響き渡った。
咄嗟に二人に覆いかぶさったフリーダンだったがシェザードは腕の隙間からばらばらになったオルフェンスを見た。
今の音は散弾銃だ。
早起きの猟師が獣と間違えて撃ったわけではなかった。
続いて振動を伴う轟音と共に来た道が崩れ落ちる。
誰かが地上で爆発物を扱ったのだ。
誰か。
そんなことは分かりきったことだった。




