逃亡
大国ロデスティニアの首都・ベインファノスの地下には秘密がある。
それは大昔に王族が統治していた時代に設けられたとされる避難通路であり、現在は存在こそ確認されているもののあまりの広大さに全貌は不明と言われていた。
しかしその迷宮を迷うことなく歩き回る男がいた。
男は名をフリーダンといった。
奇妙な男である。
背は常人よりも遥かに高く衣服の上からでも頑強さが分かるほどだ。
にも関わらずまるで存在感がない。
風化しかけた神官服をまとっていることも併せてまるで幽鬼のようだった。
顔には仮面をしているが鼻や口どころか目の穴が開いていないためどうやって周りを視認しているのか分からない。
灯りを手にしてはいるがそもそも見えていないのではないかと疑問に感じてしまうほどだ。
だが挙動からは視認していることがしっかりと伺える。
不気味ではあるが何故か悪い者ではないと思える風格も持ち合わせていた。
そもそもどうして神官服を着ているのか。
探検家の類ならばそのような恰好はしないだろう。
良い機会なので素性について色々と尋ねてみたが大男は全ての問いに対して後で話すの一点張りだった。
なので会話が続かずに衣擦れの音だけが聞こえる気まずい時間が流れた。
フリーダンの隣で居心地悪そうにしているシェザード・トレヴァンスは進学校バイレル・ベイン国立学園に通う高等一期生である。
小さい頃から遺跡発掘に興味を持ち、その遺跡を創り出す空の国の謎を解き明かしたいと夢見る少年だった。
その情熱だけで首都の学校に入ったはいいが人付き合いがあまり得意ではないので一人でいることのほうが多かった。
事件に巻き込まれたのはその性格によるところが大きいだろう。
ロデスティニアには数多くの遺跡がある。
遺跡とはいうがその起源は百年にも満たない。
遺跡を構成する鉄屑の山は長い年月をかけて幾度となく空から降り積もったものだった。
そのような場所は国内中にあり、政府がそれを遺跡と呼び管理していた。
塵から生活や文明の痕跡を発見し空の国が今どうなっているのか割り出すのは研究者の使命だ。
機密性の高い公務ではあるが一部は生徒の職業体験の一環として解放されていた。
シェザードがこの日を夢にまでみていたのは言うまでもない。
だが待ちに待った初めての発掘授業の日にシェザードは自律駆動の集団にさらわれたのである。
自律駆動とは人間が操作していないのに勝手に動く不可解な機械の総称だ。
それらは空から落ちてくる鉄屑に紛れており時折起動して人を襲う事件を起こしていた。
大抵は動力回路が切れていたり燃料が入っていないのにそれでも動き回る。
最新式の機銃でばらばらになるほど壊しても勝手に再度組みあがって動き出すくせに、切れもしないだろうに剣で叩いたりすると元のがらくたに戻ったりする科学者泣かせな存在だった。
自律駆動によって地下通路に連れ去られたシェザードはそこでフリーダンと出会った。
フリーダンは一体の自律駆動をオルフェンスと呼び、まるで言葉を交わしているかのようなやり取りを見せた。
そして会わせたい人がいると言った。
その人物は地下迷宮の棺の中で眠っていた不思議な少女だった。
「もう、いいよ」
少女の声がしてシェザードは振り返る。
棺に寄りかかりながら、少女はやり切った顔をしていた。
目覚めた少女が全裸だったことでシェザードが慌てて外套を貸してやったのだ。
身体の力が入らないようなので着せてやればもっと早く着替えることが出来ただろうが、同い年くらいの女性の裸に免疫のないシェザードにそのような提案など出来るわけもなく着ていた外套を放り渡して後ろを向くのが精いっぱいだった。
少女は美しい顔をしていた。
黒髪に映える色白の肌、おっとりとした顔つきは気品を感じられる。
場所も相まってまるで姫君のようだ。
そんな事を考えているとフリーダンが跪いた。
『脈拍正常。聴覚、瞳孔正常。視力、筋力は一時的なものですのでいずれ回復いたします。ご無事の御起床、嬉しく思います』
「う、うん。おはようフリーダン……」
「おいおい……どういうことだよ」
「あ、服ありがとう。えっと……」
『彼はシェザード。一般的な少年です』
「なんだよその紹介の仕方は」
本当に姫なのか。
この国はもう王政ではないのでそんなことはあり得ないが棺の装置が気になる。
あの蝋のような液体は不老不死を可能にする物質だろうか。
流石にそんな超科学を信じるほど純粋ではないシェザードであったが次のフリーダンの言葉で更に困惑することになった。
『シェザード、君に会って欲しいと言った方は君の予想どおりこの御方です。単刀直入に申し上げますとあなたにはリオン様を遠くへお連れして欲しいのです』
「は?」
『リオン様の御着替えも終わりましたからね。先ほどの質問にもお答えしましょう』
フリーダンは探検家ではなかった。
リオンを守るために置かれた守護者だという。
何から守るというのだろうか。
その答えは陳腐なものだった。
『シェザード、今は繋世歴で何年なのか分かりますか?』
「何年って……662年だよ」
「ろ、ろっぴゃく?」
「なんだよ」
『リオン様、どうやらそうらしいのです。この世界は既に百年が経過しております』
「はあ!?」
『戦争は終わっているようです。しかしリオン様、あなたを探す者たちがまだいます。ここもいつまでも安全とは言い切れません。休眠状態だった私が目覚めたということはつまりそういうことなのですから。だからシェザード、協力してください。リオン様を遠くに逃がさないとこの国は大変なことになります』
「わけわかんねえよ!」
『リオン様は空の国を落とすことが出来るただ一人の御方。その力を自身の権力の鎧として狙う者はいつの時代にもいるということです』
「空を……落とす?」
話についていけない。
この大人しそうな少女のどこにそんな力があるのか。
シェザードの好奇心は後悔に変わっていっていた。
とんでもないことに巻き込まれてしまったのは確実だった。




