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喰うべし

作者: 上ノ段おかき

何となく、かいてみました。


久し振りに食べたくなるカップヤキソバ。

 あの 鼻をついて食欲をそそる香り。

 周囲で誰かが食べていると、その香りが暴力的な刺激を与えて来るのだが、我慢。 そして、その誘惑に耐える。

 だが、そのいっぽうで無性に食べたくなってしまう。 


 

 仕事帰りのコンビニに立ち寄ると、あるのだ。

 陳列棚に並ぶ沢山の種類のインスタント食品。色とりどりの容器が誘惑してくる。

 

 だが、色とりどりの誘惑があるのだが、一番目に付くのはやはり白いプラスチックの容器だ。


 この容器が世に出てきたのは私が生まれる前から存在する。

 その生命力は、あの黒い奴よりも強く、しぶとい。


 

 何年か前に三途の川の瀬戸際にまでたどり着いたのだそうだが、私達の期待に応え、戻って来てくれたのだ。


 この事は絶対に忘れてはならない。 我々が愛してやまないあの香り。食べたものを裏切らない満足感。

 テレビCMが流れれば必ず思いだすのであろうあの香り…………。

いまこそ我我がしなければならない事があるのだ。

一度は三途の川に到達し、戻ってきたことヘの感謝? 


 違う!


彼が生まれて、今まで生き残っていることへの感謝?


 それも違う!

 

 食べる事なのだよ、

 今こそ食べるべきなのだ。







 深夜のコンビニで見つけたならば、喰うべし! 

 


 今の時代、どこのコンビニエンスストアのレジカウンターの近くには

インスタント食品を調理するために、熱々のお湯が入れてあるポッドがある。

 一昔前であればなかったであろう、文明の力だ。

 

 だがもし、仮に一昔前に、こういったサービスをしていたとのであれば、ダルマストーブにヤカンをのしていたのではないか? と、ふと思ってみたりするが、それはそれで風情のある光景だと思うが、間違ってもそれはないかもしれない。

 もしも仮にあるとすれば、レジカウンター内でお湯を湧かして………。

  



盲点だ。 ダルマストーブというのは十分に考えられる!


 保温のためのダルマストーブ! これだ。

 一昔前ならばあったのかもしれない。


 そう考えると、便利な時代になったのだなぁ、としみじみ思う。


 いまはでんきさえあれば、どこでもお湯をが作れるし、ボタン一つで、お湯がでる


  そんな事を考えながら、購入したカップ焼きそばのビニールを剥ぎ蓋を外す。


 蓋を外すと、白磁のように白い硬い麺の上にカヤクと呼ばれるものと 焼きそばにとっての命、

 ヤキソバの味を左右するための生命線である黒い液体。 そして、ついつい見逃してしまうであろう胡椒と青のりの入った小さな袋。


 カップ焼きそばの作り方は至極単純。

 ソースと胡椒と青のり以外のカヤクのみを入れてお湯を注ぐだけなのだが、私はカヤクをいれない派である。

 なので、プラスチックの容器の中は白磁の硬い麺のみ。



 このカップヤキソバでありがちなあるあるをいうのであれば、カップヤキソバが初めての人のはカヤク以外の胡椒も青のりもいれてしまい、さらにはソースまでも入れてしまう者もいる。



 冷静に考えて欲しい。カップヤキソバは蕎麦でもうどんでもラーメンでもない。

 カップヤキソバには汁もスープも必要ない。

 お湯は 麺を柔らかくして温めるだけの役割しかない。

、つまり、残ったお湯は不要なのだ。

 


蓋をあけたら、あとはボタンを押せば白い湯気とともに熱湯が白いプラスチック容器に注がれる。


 熱湯がプラスチック容器み満たされると、

白磁の硬い麺がプカッと浮き上がる。

 もちろん麺がの全てが容器からはみだすという、スプラッタ映画もビックリという現象は起きない

 起きるはずがないのだ。


 麺自体の重量も質量も、浮力も研究に研究を重ねて誕生したカップヤキソバなのだから。

 

 カップ容器には底から僅かに浮き上がった麺のシルエットと容器を満たす熱湯のシルエットのコラボレーション、 それは青天に浮かぶ登場場所を間違えた場違いだけど妙な美しさを漂わせる白い満月のシルエットのようであり、夜空に抱かれた、満月の儚くとも美しい郷愁も男性が女性を抱きしめるシルエットでもない。


  この際だからハッキリと言おう。カップヤキソバに、そんな美学など存在しない。


 だが、カップヤキソバにとって必要なのは、

 ウマいかどうかだ。


 ただ、この一点のみ、いや…………。


付け加えるのであるのならば、満足できるかどうか?

であるのかもしれない。

 

もちろん、他のメーカーが出しているカップヤキソバもマズイということは決してないのではあるが、

それは当然好みの問題だ。


白磁のプラスチックに熱湯を注がれ、抱かれた麺はあともう少しで食べられる柔らかさになるのであろう。

 湯切り口からは湯気と共に麺の香りが広がり

 ソースの香りとまではいかないが、食欲を煽る香りが広がる。

 


 あともう少し、もう少しdr湯切りの時間。


 この時間が待ち遠しい。

 あと少し、あと少しの辛抱…………。







 

               ーーピロリロリ、ピロリロリーー

 知りポケットにいれていたスマートフォンが僅かな

バイブレーションとともに着信を知らせてくれる。


 このタイミングで誰が着信をいれているのか?



 スマートフォンを取りだして画面を指でスワイプさせると、表示されたのは


                ーー朱美アケミーー


の二文字。  隠す必用は全くない。 最近できたばかりの私の彼女だ。


 最近で来たばかりの彼女だ、当然ここで居留守を使って彼女の機嫌を損ねるわけにはいかない。






 スマートフォン越しに聴こえる声はとても美しく、聴くだけで心が癒され、一日の労働の疲れが取れる清流のような声だ、

  同じ職場での出会いでもなければ、出会い系のサイトを通して出会ったのでもない。


 たまたまだ。 そう、たまたま、飲み屋で知り合った女の子だ。


 目がちょっとだけあって会話をしたのがきっかけで仲よくなり、意気投合して以来、一緒にお酒を飲んだりする仲になったのだ。

  それからの進展はトントン拍子で恋人関係にまで発展。

 そして、明日は朱美とのデートなのである。


  「うん、うん、うんわかった。じゃぁ、明日は花時計の前で待ち合わせね。

 うんわかった。 お昼前でいいよね? あたし、いつものパーカー羽織ってるから、うん、うん、うん。わかった。楽しみにしてる。十字君も気をつけて帰ってね。 うんうんうん。 わかった。 うんうんうんそれじゃぁ、明日。 うん? うん、うんうんうん。 うん、分わかった、それじゃおやすみぃ」



 やはり、彼女との電話は何もかも忘れて楽しくて、時間が過ぎるのが速く感じる。

  コンビニの店内をウロウロとしながらの通話だ。

 通話が終わり、スマートフォンに画面ロックをかけて尻ポケットにしまう。


 ポケットにスマートフォンをしまうと店内の壁掛け時計が目に入る。

 どこにでもある、黒字に白い文字盤、長針も短針も別段変わった様子は全くない。




                        ーー!!!!!!!ーーー



時計を見ていた私は、不意に思い出す。

朱美との通話が楽しくて、カップヤキソバが調理中であることをすっかり忘れていた。




 調理中のカップヤキソバが置いてあるポッドの近くに慌てて戻る。

  容器hsまだ温かく、湯切り口からは白い湯気が僅かだが漏れている。

熱湯を入れたばかりの生命力溢れる湯気も今は、もう風前の灯のような湯気しか漏らしていない。

 そう、このカップヤキソバは風前の灯なのだ。

 

 だが、僅かに漏れる湯気がまだ生きていることを語っているのだ。


 私は、風前の灯となったカップヤキソバの蓋をあげ中身を確認する。


 注いだはずの熱湯はすでに見る影もなく、本来ではありえないまるまるに肥えた麺がぎっしりとプラスチック容器をのなかで膨脹していた。


 これは、スプラッタではない。 だが、熱湯を完全に吸いきり、膨脹した麺は既にカップヤキソバの麺ではない。

 食べることはできるのかもしれないが、もしも、これを食べるのであれば、これはカップヤキソバで決してない。




 私が食べたいのはカップヤキソバであり、別種の食べ物等ではない。


 根本を正すとするならば、彼女である、朱美のせいであるかもしれない。

 

 だがこんな些細なことで朱美のせいにするのも間違っている。



                                      どうしたらいいか?



よし…………。

                          『時を戻そう!』



 そういえば昔、とあるゲームで時間を戻す事ができる便利なアイテムがあったのを思い出す。

 だが、ここはゲームやアニメ、漫画yやラノベの世界ではなく、現実という世界。

 そんな便利なアイテムなんか存在しないし、ましてや、『時を戻そう』等とキメゼリフを言ったところで時間がもどるなんてありえない。


 


 だったらどうするのか? 決まっている。

 この見るも無残なカップヤキソバh諦める。

 私は今、『カップヤキソバ』が食べたいのだ。

 



               〇 〇




普通のサイズのおおよそ二倍。

 お気に入りのカップヤキソバの大きめサイズ。

 普通に考えれば、普通のサイズの二倍なのだから、もっと割高になってもいいんじゃないかと思えるの。


 でも、不思議な事にその差額は微々たるもの、

 プラスチックの容器のシールをわずかに剥いで、熱湯を注ぐ。


 自宅に置いてあるポッドから白い湯気と共に熱湯が溢れだす。


 大きさも倍であるならば、使うお湯も倍になる。 白磁の硬い麺が入った容器にお湯を注ぐとずっしりとした重さになって、薄いプラスチックの容器からは熱湯の熱さが伝わってくる。


 熱さで手を離したくなるのをこらえて、容器に注がれた湯量を確認する。


     普通のサイズのおおよそ二倍。


 お気に入りのカップヤキソバの大きめサイズ。


 普通に考えれば、普通のサイズの二倍なのだから、もっと割高になってもいいんじゃないかと思えるの。




 でも、不思議な事にその差額は微々たるもの、


 プラスチックの容器のシールをわずかに剥いで、熱湯を注ぐ。




 自宅に置いてあるポッドから白い湯気と共に熱湯が溢れだす。




 大きさも倍であるならば、使うお湯も倍になる。 白磁の硬い麺が入った容器にお湯を注ぐとずっしりとした重さになって、薄いプラスチックの容器からは熱湯の熱さが伝わってくる。




 熱さで手を離したくなるのをこらえて、容器に注がれた湯量を確認する。







 カップヤキソバに限らず大抵のインスタント麺には、どのくらいのお湯を注いだらいいのかがわかる溝が入っている。




あたしの好みは溝よりも少し下。 ちょうど良い感じの量になったので、持っていた容器を両手に持ち替えてテーブルに置くと、湯を注ぐために開いた箇所を閉じる。




 カップを持っていた手がジンジンして赤くなっているのだけど、大した事ではない。




 湯を注ぐために開いた部分はシールみたいになっていて、普通に閉じただけではベロンと開いてしまう。




 昔はプラスチックの蓋であり、そっちの方がおいしく食べるのには便利だったのだけど、これも時代の流れだから仕方がないよね。




 熱湯を注いでからの時間も、普通のサイズとは全く変わらない三分。




 ベロンと捲り上がった部分には、カップヤキソバの生命線である液体ソースが鎮座している。


 当然のごとく、捲り上がったシール蓋を押さえるための目的と、ソースを温めるための目的。 まさに一石二鳥。





 好きなカップヤキソバを食べるための長くて短い三分という時間。 この三分という時間にも、あたしなりのこだわりというかやり方がある。




 ちょうど三分であれば、確実に柔らかくなって量もそれなりにあるのだけれど、きっちり三分じゃなくてもあたしは良いと思っているの。




 大体の時間、三分が経過するよりも早いタイミングで蓋を開けて中身を指でつついての確認。




 大体柔らかくなっていればそれでいい。


 もっとわかりやすくいえば、カップヤキソバが完成して口にするまでの時間の問題。




 この後は湯切りをしてソースを入れて混ぜるという工程があるの。




 ハッキリいって、あたしは早く食べたいの! のただ一点。




 もしかしたら、お湯を入れて湯切りをしてソースを入れて混ぜるという工程はカップヤキソバを作った者達の陰謀なのかもしれないし、もしかしたらなにもかんがえいぇいないのかもしれない。そんなとりとめのない考えを巡らせるよりもあたしは湯切りを開始する。




 湯切りをするための穴をふさいでいるシールを矧ぐと湯切り口からは白い湯気が溢れだす。





 シンクへ持っていくと、湯切りの穴を排水口に向けて傾ける。




 ドバドバと音を立てながら白い湯気と共に熱湯が排出される。 そう、この瞬間。以前は蓋であった時とシール製の蓋になった時の差が明確に現れる。




 シール製の蓋ではなかった時代であれば、蓋をしっかり押さえていなければ傾けた時に柔らかくなった麺がこぼれ落ちてしまう可能性があるのだけれど、シール製の蓋になったのはまさに革命的。




 湯切りをする時に麺がこぼれ落ちるという悲劇が回避できる。





 湯切りの時にしっかり水気を取りたいのであたしはいつも軽く振るようにしている。




 湯切り口の穴からはやや黄身


を帯びた麺の先っぽがチョロチョロっとはみ出しているけれど、そこからさらに数回、垂直にしてやや強めに容器を振って完全に湯切りをする。




 ――――ボフッ、ボフッ――――




という音はないけれど、白い蒸気とともに最後の一滴が滴り落ちる。




 これで、あとはシールを全て剥ぎ取り、ソースをかければ調理完了となる。




 ソースの入ったコブクロの隅を切れ目に沿って裂いた時からが勝負。カップヤキソバの主役である、ソース特有の濃厚で甘酸っぱい香りが鼻孔を刺激する。




 ソースが飛び散らないように注意しながら開け口を、湯切りの終わった麺にかける。




 ここで注意しなければならない事があるの。


 既にやらかしてしまった人は必ずいると思うけど、ソースを傾けた時に指や箸で挟んで最後の一滴までも絞りだそうとした時に、手が滑ってソースの袋が麺の中や外に落ちてしまう事や、絞り出す際にソースが飛び散って服や周囲を汚してしまう事、ない?





あたしは、そんな経験を何度も経験して得た結経験がある。






 それは、無理に絞り出す必要全くない。 ダバァ! とかけるだけで充分においしい。


白磁の陶器を思わせる硬かった麺が、お湯の力で柔らかくなると、まるで別種の生命体であるかのような色合いを放ちお湯を吸収した麺はさらなる力を得た生き物のように、その体から蒸気を噴出させる。


 




 カップヤキソバの主役である、黒い液体を注ぎこむと手早に掻き混ぜ、麺全体に染み渡らせる。黒い液体が麺全体にまんべんなく、しみわたれば、いいのだけど、慌てたり掻き混ぜることが不十分であると、一部分が白磁のままであったり、うすかったりしてしまう。


 


 だけど、完全に染まってしまうよりも一部分が


白いままだったり薄かったりしても、実は問題ない。


 麺を箸でつまんで口ににはこんでいる間に、麺同士が絡み合い見事にソースが付着されるからだ。




 


 調理後の容器はお湯を注ぐ前とは違うズッシリなとした重量が感じられる。


プラスチック製のツルツルとした容器は意外と滑りやすく、持ち運びするときは上蓋から、底部までをしっかりともたなければならない。


 しかも、容器自体も柔らかく、力を入れてしまえば簡単に形が変わってしまう。 だから、掴むというよりは、てのひらで、やしくつかんで支えるといった感じだろう。




  ちょっとの距離を運ぶだけでもてのひらに広がる熱はじんじんとしている。 食事をするため以外にも書類を作成したり、ちょっとした軽作業をする食卓兼物置と化している大きめのテーブルに運ぶ。


 いくら、物置と化しているテーブルでも最低限食事と書類を作成するためのスペースは確保されている。




 一本あれば十分であろうペンが何本も刺さり、他にも色着きのマーカー、シャープペンシルにカッターナイフ。コンビニでもらって使わなかった割り箸やストローが、ぎゅうぎゅうに詰め込まれペン立てを圧迫している物体に、便箋や付箋紙、通販のカタログや駅前で配られているチラシにボックスティッシュ等があり、くしゃくしゃにまるめた紙くずなど、女の子の部屋にはありえないテーブルの上はちょっとしたカオス状態になっているけれど、最低限食事をするためのスペースに調理済みのカップヤキソバをドンっとおく。


普通サイズのカップヤキソバと比べると、大木イサイズのカップヤキソバの存在感は比べものにならない。


 いっかいの女のコがこんなに大きいものを食べ切らないんじゃないかって? 


 好きなものを食べる女のコを舐めちゃいけない。


 この程度なら朝飯前。


  いぜんからあった普通サイズでは、物足りなくて二つ三つはぺろっといけてしまう。


  もっとも、こんな姿は周りのひとになんてみせられない。


  もし仮にみせるのであれば、一口二口で、おなかいっぱいです。 って


猫をかぶらなければならない。


 


 今は誰にもみられていないから、思う存分食べることができる、まさに至福タイム。


もとからある袋入りの割り箸を手に取り、カップヤキソバの上蓋を、慎重に剥がす。




 昔はぱパカッとかぶせてパカッと外せる蓋だったのだけど、最近はシールの蓋が中心だ。


 シールの蓋に変わってすごく軟弱で気難しいイメージがあるけれど、慣れてしまえば、シールのほうが楽に感じてしまう。


 個人的にはシールのフタよりもパカカパのフタのほうが好きなんだけどな。


 


 もし、カップヤキソバ専用のフタのみがあるなら、あたしは、買ってもいい。もしかしたら、百均に行けば10枚百円で打ってるかもしれない。


 一縷ののぞみをかけて行ってみようかしら。


 最近の百均はしっかりとしたものもあれば、バカバカしいものまでいろいろ揃ってるから、


 


買い物はしなくても行くだけでも楽しいんだよね。


 白磁の容器から立ち上る湯気と、食欲をそそる、独特なソースの香が溢れ鼻孔を刺激する。




 はっきり言って我慢の限界。調理してからここまでの間はほんの数分だというのに、まるでここまでたどり着くのに小一時間以上もかかったような錯覚。




 


 茶色のソースにコーティングされた、麺をガバッと割り箸でつまみ上げると


 ホントに本当に、暴力的な香りの奔流が、人間の本能をくすぐる。このまま、一直線に口に運べばいいのだけれど、端で摘んだままの麺を容器のうえで数回上下させてから、口に運ぶ。


 


 熱を帯びた麺が独特な甘酸っぱい香りと味が口内に広がる。


 まさにこれは、人類が考えた至高の食べ物。まさにカップヤキソバがあるならば、他はなにもいらない。


 ミヂェランガイドに乗った五ツ星のなんちゃらというメニューも、ご当地グルメの絶品メニューだって、このカップヤキソバに比べたら足もとにおよばない。。カップヤキソバこそが至高。


 一度口に入れて喉に通してしまえば、とまるはずがない。はたからみて女の子が麺を啜る下品な音をたてて、カップヤキソバに舌鼓を打つ。


 下品? そんなものカップヤキソバのまえでは考えることではない。


 どんなに下品だって、どんなに汚い光景だって、カップヤキソバの前ではそんなものは、トイレに流してしまえ! カップヤキソバこそ至高。


カップヤキソバさえあればなにもいらない。


   


 茶色いソースにコーティングされた、熱々の麺を何度も口に運ぶ。


 こんなものばかり食べていたら、食生活に悪い? 体重が増えて体型が酷くなる? カップヤキソバの前では、そんなもの粗大ごみとして棄ててしまえばいい。


 カップヤキソバこそ、至高。カップヤキソバこそ至高なのだ。


 カップヤキソバの前では全ては塵芥なのだよ。             


  〇  〇



 肋骨の隙間を縫うように勇者が握る聖剣が心臓を完全に貫く。

 痛みは全く感じることはなく、代わりにに焼けるような熱が心臓から喉にかけて走る。

 ワシは勇者に敗れたのだ。

 数名のゆうしゃぱーてぃーとの激しい攻防。最初はかなり優勢であり、勇者の仲間を一人、また一人と亡き者にし最期、勇者との一対一の激しい攻防が繰り広げられた。 

だが、精霊の加護を受けた聖剣の力、そして、政権の加護を受けた勇者の力はさすが歳か言いようがない。

 皮肉なことに、元は創造神として産み出した精霊達の力は元は創造神、元魔王に匹敵するほどの力を得ていたのだ 決して我が勇者に負けたのではない。我が産み出した力、我分身の力に敗れたと思えば致し方ない。

 

「ゴハァ!」

 敗れた心臓からあふれる血液が敗れた肺に流れ込み喉を逆流して、口から漏れる。

 勢いよく飛び出す先決は、眼前の勇者の顔を侵食する。

 



 「最期にー・・・・・言葉・・・・・か!」

 すでに虫の息のワシには勇者がなにを言ってるのかを聞き取ることができない。 だが、この場面での常套句は、最期に言い残す言葉はあるかーー!? であろう。

 ワシは一瞬でも忘れたことはない。

 勇者から受けた屈辱。そう・・・・・・・。




 あの日勇者が食べていた食欲をそそるカップヤキソバの香り。 ワシは、一口でもいいから食べたかった。

 だが、代わり勇者が寄越したのは食べ物とは言いようもない物。 あの屈辱だけは忘れることができない。

 恐らく、ワシはこの後、何も言わずとも首を跳ねられ、全ての幕を閉じるのであろう。

 並ば、一言、積年の恨みを放つしかない。

  勇者の聖剣に貫かれた心臓、そして、背中まで貫通したヵ所の痛みは全くない。さきほどまで感じていた熱さも全くない。ワシの意識は既に遠退きその場に膝をついてうなだれている。

 

「カハッ・・・・・! た・・・・・

吐血しながら、最期の言葉を口にする。


「たべ物の・・・・・う・・・ら・・・・」

  

「み・・・・・」


 それだけ、行ったワシの視界が一度真っ白に暗転する。

 そして次の瞬間、激しい痛みが頭に走る。

  ワシは勇者に首を跳ねられ首からしたがもうないことを悟る。

 だが、脳に残る僅かな血液と酸素だけが、束の間の時を与える。


 既に、視界は暗転し何も見えない。さらには、聴こえて来るのはキーンという耳音。それ以外のおとは何も聴こえない。

そして、首からしたが存在しないせいなのか、首からしたの感覚が全くない。

 だが、感覚。勇者がそこにいるという感覚と、ワシの最期を見つめる勇者の視線だけを感じることができた。

 

 全ての生物がそうであるかのように、完全に息絶えるその瞬間、思考が加速する。

 

  ワシが食べ物の恨みと最期に言った瞬間、勇者は恐らく何のことかはわからぬであろう。わしに残された時間も残りわずか。コンマ数秒ていどのものだ。ならばいえるのは一つ。

「か・・・・・カッ・・・・・カップ・・・・・ヤキソバ・・・・・」

ただひとことだけ呟くとワシの意識は完全に途絶えた。











 目が覚めるとワシは見知らぬ世界で目覚める。

 不思議なことに、この世界の歴史も文化も言葉もわかっていた。

 そして、いつのまにかワシのなかにある記憶も産まれてから今までの記憶があると同時に過去の記憶。 ワシが創造神であり、魔王に堕ち勇者に首を跳ねられた記憶もそこにあった。


 

 

 ワシはどうやら、この世界で人間として産まれ人間として生活し何故かわからぬが、この神社に住み着いていた。

 

 この世界でいうコジキやホームレスというものではなくこの世界でのカーストの頂点。JK(女子高生)という存在・・・・・。

自分でも色々とつっこみたくなるし!なにがなんだかサッパリわからないのだが、わし(私は)女子高生になっていた。

 濃緑色のブレザーにスカート。足元は黒いにーソックス。スクールバッグ片手に学校誠意勝つというものを演じていた。

  発展したこの世界にはテレビや雑誌、スマートフォンというものが発展しそれらの情報源からは様々な情報が飛び交い、いつのまにか、ワシは新世紀の美少女として成り上がっていた。

 

この新世紀の美少女の記憶によると、新世紀の美少女は人前でカップヤキソバというものは食べてはいけないらしい。着るものも食べるものも、持つものにも制限があり窮屈な生活をしている。のだが、・・・・・。 だが、この新世紀の美女なかなかの悪党、腹黒いせいかくをしていて好きな者は好きに買ったり食べているという性根の腐ったやつだった。



 

 幸か不幸か災いか、ワシはこうして食べたかったカップヤキソバを食べることができているのだ。


 勇者に首を跳ねられた時は、あのカップヤキソバが二度と食べられない。 と絶望を感じたのだが、今にして思えば首を跳ねられることによって、こうして食べたかったカップヤキソバにありつけられる。なんと幸せなことか・・・・・。

 もし、あのまま勇者に首を跳ねられることなくあの世界にいたのならば、すぁしはこうしてカップヤキソバにありつけることはできなかった。

  勇者よ、首を跳ねてくれてありがとう。


 




こうしてワシは物思いに耽りながらたちあがる。


 

 

 

 





お読み下さってありがとうございます。

 このお話しの続きが、あるのかないのか、それは未定です。


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― 新着の感想 ―
[良い点] カップ焼きそばがテーマなところが面白いですね。 主人公と他のキャラとの関係性が表現されているところも印象的でした。
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