>>3 だめだこの女…はやく何とかしないと
多種多様の花が咲き乱れる温室。
シクラメン、カモミール、バンジー、忍冬。
辺りはガラスに覆われ、花に囲まれたフロアの中心には、白く染められた円形のテーブルに椅子。
椅子には男が腰掛けている。
白く染められたジャケットにパンツ。インナーは襟元を開けた黒いYシャツ。
所々跳ねた金髪に涼やかな目線。
いかにも『気障っぽい』という印象を抱かせるいでたちをしている。
男の向かいには、車椅子に腰掛けた少女。
肌は病的に白い。
プラチナブロンドのボブカットに、フリルのついたワンピース。
目はきつく閉じられていた。
恐らくは盲目だろう。
その少女の前に置かれたティーカップに、アールグレイが注がれる。
執事の如く振る舞う男に、盲目の少女は一礼を返した。
湯気が立ち上るアールグレイを、口をそぼめて息を吹きかけ冷まそうとする少女を見て、男は申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「申し訳ありません。もう少し温度を低めにしてから煎れるべきでした」
「いいえ『枢機卿』。貴方はこの紅茶を、こうある事を『最善』として私に差し出した。どうしてその真心を否定することが出来ましょうか」
罪を赦すような、柔和な微笑みを浮かべる少女に『枢機卿』は感涙を流し、頭を垂れる。
そんな『枢機卿』の様を、まるで見えているかのように盲目の少女は静かにクスクスと笑う。
「『枢機卿』。予定通りあの方は一ノ瀬さんと接触したようですが、まだ兆しは見られないのですか?」
少女の問いに『枢機卿』が頷けば、少女は哀愁漂う笑みを湛え、アールグレイを一口飲んだ。
カップをテーブルに置いた少女は、そばにあった書物を手にする。
表紙に記されたタイトルは『新約聖書』
『新約聖書』を開いた少女は盲目であるにも関わらず読んだ。
歌うように内容を読み上げた少女。
ピアノの鍵盤を叩くかのように、軽やかにページを捲る指は『イスカリオテのユダ』を記したページで停止していた。
「『枢機卿』」
「はい」
「ユダは『天に坐す父の子』を裏切ったとき、何を想っていたのでしょうね」
少女の問いに答えあぐねている『枢機卿』に少女は微笑みかける。
少女が温室の外に存在している花に目を向ければ、花々は身を震わせ、まるで少女に賛美歌を捧げるかのように花びらを散らす。
儚げに花びらを散らす花々を見つめ、笑みを浮かべる少女。
そして静かに『新約聖書』を閉じれば、『枢機卿』へと差し出した。
「偏に『愛』が、ユダを裏切りへと走らせたのです」
「『愛』が?」
「そう、伊橋くんが人々を憎むのと同じです」
母親のように、優しく諳んじた少女に『枢機卿』は訝しげな表情をする。
「『愛』故に憎しみが生じるのですか?」
「ええ。強すぎる光が濃い影を生むように、強すぎる正の感情は強すぎる負の感情を生み出してしまいます」
愛とは何か。
柄に無く考えた時期がある。
それは相手を尊重することか。
相手を律することか。
相手と共に生きて逝くことか。
相手と傷つきあうことか。
どれも偏に、愛を掻い摘んで表した言葉だ。
だからこそ俺は、よくわからない。
人間は自分勝手だ。
人間は利己的だから、自分に害が無ければ何処までも他人には無関心でいられるものだ。
人間は所詮死ぬときは愚か、本当に大事なときはいつでも独りだ。
人間は傷付くのは嫌がる生き物だ。
嗚呼、どれもこれも矛盾している。
愛とは矛盾なのか、矛盾が生じる程あやふやな物なのか。
だから俺は一生人など愛せまい。
そう思った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「伊橋くん?」
俺に声がかかる。
一ノ瀬から呼び掛けられ、俺は我に帰った。
渋谷駅の前
巨大なビジョンの下に備えられたガードレールに寄りかかり、雑多な人通りに苛々しながら俺は彼女に返事を返す。
「―どした?」
「どした?じゃないよ。これから何するか決めようって言ったの、伊橋くんだよ?」
そうだ―。
EXE.の力を知って以来、俺達はその力を何に使うかを決め倦ねていた。
一ノ瀬は相変わらず『萌えグロ肉収集』に精を出しているらしいが…
俺にはどうも、使い方など思いつきはしない。
と言うか―
EXE.自体が存在していない。
存在していない力を以て何を企むか…。
―これじゃ中二病(叶わぬ夢に逃避する人間)の奴らと全く変わらない。
馬鹿らしい。とは言わないが、虚しい―。
限定的ではあるが、人は愚か空間にまで干渉し、自らの思うがままにする。
―それは、神の御技だ。
ここまで来ると疑問は尽きない。
誰がEXE.を造ったか。
何の目的で造ったか。
何故第三者に、それほどのオーパーツを配布したか。
それをばらまいて、如何なる結末が起こるのか。
全ては『神のみぞ知る』ってか―?
そうこう考えている内、何やら奇妙な違和感を覚えた。
別に頭の中の、取り留めのない疑問が解決した訳ではない。
もっとこう、根本的な…。
俺は周囲を見回し、ようやくその『違和感』に気がついた。
「人が…」
「居なく、なっちゃってるね」
今まで、地に落ちた溶けかけの飴にたかるアリの様に、鬱蒼と存在していた人間達が、いつの間にか影も形も無くなっていた。
無人の渋谷駅前には、俺と一ノ瀬の二人のみ―。
いや、三人だ!
俺と一ノ瀬の目の前に、まるでシールを貼るかの様に、前触れなく現れた一人の女がいた。
さらさらと風に靡く、ロングヘアーに切りそろえられた前髪(いわゆるパッツンヘアー!)
キリリと上がる眉に、涼しげな、されど鋭い刀のような眼光。
間違いない。
コイツ武士道女だ!
武術一筋!
彼氏無し、必要なし!
正義一貫、曲がったことは大嫌い!
そんな手合いだ!
その武士道女の腰には刀―。
か た な ?
銃刀法違反ですよ。
刀袋無しで、鞘無しで抜き身の刀身晒したまま腰に差すなんて。
―と、正常な輩は申すだろうが、俺と一ノ瀬には大体察しがついた。
大量の人を消し去る力。
そして腰に下げられた奇怪な武器。
この武士道女もまた
EXE.使いだ。
「貴様ら」
武士道女が口を開く。
貴様ら呼ばわりだ、俺達に良い感情を抱いていないのは見え見えだ。
武士道女は腰に下げられた日本刀型EXE.を手に取り、中段に構える。
―分かり易くいえば、よく剣道とかで見る構え方だ。
「この力で惨殺事件を起こしているのは貴様らだな。」
「…見てたの?」
一ノ瀬もEXE.を発現し、構える。
ピリピリと肌の表面に静電気が走ったような感覚に陥る。
これがよく漫画で有る、『殺気のぶつかり合い』って奴だろうか。
武士道女はEXE.を構え続け、息を吸い込む。
そして―
「罪無き一般市民を殺すとは、不届き千万!
さらに殺された者共の輝ける明日を奪っておいて悪びれることないその態度!
天が許してもこの私が許しはしない!
我は刀!一振りにて悪を断罪する正義の使者!
さあ悔いろ!己の所業を!
悪鬼羅刹は我が手で屠ふる!
氷室優奈
ぅ推して参るっ!!!」
………
どうしよう、イタい。
すごいイタいよ武士道女。
【待つのだ、次回っ!】