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小さな陛下と最後の妖精  作者: 久浪
『小さな陛下と最後の妖精』
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第4話 忍耐の訓練


 半分以上眠りに沈んでいる中、


「殿下、朝ですよ」


 と、とても聞き心地のいい声が耳に滑り込んできた。それにより、リディアは小鳥のさえずりに起こされるように不快さの全くない静かな意識の浮上を覚える。


「……ん」


 ふかふかの枕にうつ伏せに一度深く顔を埋めて、すり寄りながら横に向ける。明確でない視界には、薄い布一枚隔てた向こうの明るい光だけがはっきりと捉えられる。

 ぎゅっと目を瞑ったリディアは枕の下に回していた手をシーツについて起き上がる。ただし、目は起きたばかりで眠気残るため閉じたときのまま。


 広すぎるベッドでは、寝ている内に暗い方へ暗い方へと壁際に転がっていってしまっているらしく起きるとリディアはいつも端っこ寝転がっていた。そのため、今朝もその状態から明るい方へよたよたと這っていく。


「おはようございます」

「……おはよう」


 かけられた声は挨拶だけでなく「落ちますよ」と這っていたリディアを止めた。

 どうもベッドのへりまで到達していた模様。ここ数日の愚行を繰り返すところだったとベッドに腰かけつつ思う。


 ぐらりと頭が揺れると同じくストロベリーブロンドも揺れ、王宮にきてから毎夜侍女によって手入れされている髪は、窓から射し込みリディアの元までわずかに届く太陽の光で艶やかな色味を出す。


「顔を洗って」

「……うん」


 髪を耳にかけられ、リディアが薄く目を開くと目の前には透明な水の張られている深めの器があった。促しの通りに顔を洗うと、すかさずタオルが差し出される。肌触りのいいそれでリディアが自分で拭いているというより、拭かれている間に意識ははっきりしてきていた。


「……なんで?」


 寝起きの口で出した疑問は、かいがいしくリディアに手を貸していた人物に向けられていた。

 完全ではなくとも視界を把握するには支障なく開いた目で見た、タオルを畳み、ワゴンにしまいこんでいるのは予想に反して侍女ではなかった。軍服のような衣服を着た、男性。

 確か、グレンという名前の彼。

 気がつかなかった。毎朝リディアを起こす侍女の声ではなく、それどころか女性の声でもなかったのに。気がつかなかった。

 広い背中を見せていたグレンは疑問の声にリディアに向き直り、


「本日から殿下の護衛となりました」


 胸に手をあて、陽だまりを彷彿とさせる柔和な笑顔で言った。


「護衛……?」

「はい。なのでこれからは殿下のお側に」

「グレンは、昨日……昨日までどこに行ってたの?」

「そうですね。近隣諸国との関係を円滑にするために少々遠くに、ですかね。傷は塞がったようですね。良かった」


 側にまで長い足で二歩で来たグレンはリディアの髪を指先で梳き、やんわり頭を撫でた。

 どことなく流された話は抵抗せず置いておいて、彼の声に既視感。確かに心が落ち着くような声をしているけれど、それほど特徴あるわけでもなく珍しい声ではないその声をどこかで聞いたことがあるように思えたのだ。

 すぐそこまで、それは出かかっているような気がしてグレンを眺める。


 ふむ、護衛という言葉で納得。きっとこれは軍服だ。腰には剣が携えられている。体格は良いもので昨日軽々とリディアを抱っこしてみせただけある、が、浮かべられる笑みが如何せん柔らかい。軍人、と聞くと厳めしい顔つきを想像するのに拍子抜けだ。

 しかしながら、今行っていることは護衛の仕事ではないような。


 と、リディアの思考がただの外見観察や感想になり、まじまじと見られている側のグレンは見られているためか動こうとしなかったので変な構図になっていたところ。


 分厚い扉がノックされる重い音が室内に響いた。


「失礼いたします殿下」


 入ってきたのは今度こそ侍女で、橙に近い茶の髪をした女性は少し目を丸くする。小さな主人と護衛の男性が向き合っている光景を目にしたためだろう。


「まあグレン様、殿下を起こしてくださいましたのね」

「はい、勝手ですが」

「殿下の寝顔を見る権利を奪われては敵いませんけれど、グレン様ならよしとしましょう」

「これは申し訳ない」


 筆頭として入ってきた侍女は他の侍女がてきぱきと動きはじめる中、二人に近づいた。


「おはようございます殿下」

「おはようミーシュ」


 「様」付けはおろか「さん」付けも宰相含め断られてしまったもので、リディアはようやく慣れてきた呼び方で侍女に挨拶を返した。

 大人を呼び捨てにするなんて、とかいうこれまでの常識は忘れるようにと何人から言われたか。


「さあ殿下、お着替えをしましょう」


 今日も一日がはじまる、と村では一日の始めに憂鬱になったことがなかったのにリディアの気分は少しだけ落ち込んだ。

 それにしても、グレンは追い出す催促もされず、一週間ほど前に早く来て追い出されていた宰相とは対応が違うなとリディアは思った。







 朝食を済ませると、早速本日の勉強の時間がやってきた。

 リディアの仕事は今のところ勉強だ。今のリディアに書類をさばけ政治をしろと言っても無理難題にしかならないのだから、当然のことと言えるだろう。


 「勉強部屋」にてクッションの敷かれた椅子に座り、椅子に合わせて床に足のつかない高さの机につくと最初は文字の練習の宿題を提出、チェックされる。リディアにとっては延々と続くとさえ思える書き取りは、昨夜最後は殴り書きをしたような記憶がないでもなかった。しれっと素知らぬ顔で提出。

 その後、記された文字を読む練習をし、読み聞かせられている文を目で追い、教師のあとに続いて音読し、授業の最後に一面直された宿題は返ってきて新たに宿題が出た。

 懸命に文字を追いかけ続けたどたどしく読みあげていたリディアはすでに疲れているが、この授業は序の口でしかない。単なる準備運動のようなものなのだ。


 「お勉強」はここからが本番。

 リディアに必要な知識の一割にも満たないという分厚い本を前に、彼女は小さくため息をつく。

 今日も忍耐力の訓練となるであろう。と。


「殿下、今日はしっかりお聞きください」


 失礼な。毎回真剣に聞いているというのに。

 教師の一人であるピンと張った髭が特徴的な男性の挨拶のちの発言にリディアは心外と言わざるをえない。

 確かに、途中から落ち着きはなくなってくるけれど。







 護衛だというグレンは常にけっこう近くにいて、リディアの側から離れることはなかった。午後に昼食兼休憩が挟まり教師が交代して宰相になり新たにはじまった授業が途中止まるときまで、無駄に動くこともしなかった。誰よりも近くに立ってじっと側に控えていた。


「――殿下、殿下、大丈夫でしょうか?」


 リディアは琥珀色の目を覇気なく、遠いところを見ている眼差しで、本を読むどころか――そもそもまだ満足に文字は読めない――見るということも単に目を向けているだけとなっていた。もはや目にしている映像が頭に入ってきているかも怪しい状態。


 虚ろ、と表現してもあながち間違いではない目を、リディアは呼び掛けにいくらか間を置いて反応を示し上げる。


「……ごめんなさい、聞いてませんでした」


 質問されたと勘違いしたリディアは授業中であることを自覚して瞳を翳らせる。

 またやってしまった、と。

 リディアとていくら授業が憂鬱になるくらい嫌で逃げ出したいほどではあっても、途中()()逃げないし明らかな過失に反省くらいする。

 真面目な話は真面目に聞かなければならない。これはどこに行っても同じだ。

 休憩を兼ねたかくれんぼに持ち込めばそれは「遊び」、リディアなりの線引きがあって、話は変わる。けれど今はれっきとした授業だ。


「少し、休憩いたしましょう」

「……え」

「ご無理は禁物です。私共は急な環境の変化をなされたばかりの殿下を急かしすぎているのかもしれません」


 宰相は微笑み、リディアの手に余る分厚い本を閉じてしまった。


「外の空気でもお吸いになりますか? ここから出られることですし……」

「外出たい」


 リディアはぼそりと言ってユリシウスを見上げる。


「外、出たい」

「それはつまり、殿下」

「かくれんぼしよう」

「ですが殿下、かくれんぼは殿下のお姿を中々見つけられず……」

「かくれんぼ」


 とにかく外に出たい。その欲求は容易に頭を出してくる。部屋の中に一日中なんて冬でも中々したことない。

 そしてどうせならかくれんぼをしよう。リディアの気分を晴らしてくれるのはそれしかない。

 真っ直ぐ見つめる先の宰相はたじろいだ類いの表情をした。しかしリディアは視線を緩めない。


「そのお役目、俺が預かっても? 宰相閣下」

「あなたが?」


 傍らの護衛(グレン)が動きをみせたことによって双方の視線が彼に向かう。リディアが身を捩って斜め後ろを見たときには、グレンの視線が移ってきた。


「俺とかくれんぼしましょう、殿下」


 リディアは鷹揚に頷いた。

 誰であっても見つかる気はしない。


「では私はここで待っております」


 宰相からも異論の声はあげられず、本日のかくれんぼがはじまることが決まった。

 リディアは席を立ち、身体が凝り固まっている嫌な感覚をほぐしつつグレンを伴って部屋から出ていく。

 今日ここに戻ってくるのは夕暮れ時になるだろうと





 そうだと確信して意気揚々と出ていったはずなのに。


「なんで!?」


 リディアは驚愕の表情と声を向けることになる。


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