第3話 課された義務
朝の会議を終え簡単な朝食を摂り、一度私室へ戻る。これから授業なのでその準備をするのだ。
「……昨日、どこに置いたかな」
準備と言えど主な目的は昨夜片付けた課された宿題。しかし机の引き出しにあると思って引いたら書き付けた紙がどこにもなく所在不明ときた。
一体どこにやっただろう、とひとしきり引き出しをごちゃごちゃしたリディアは結局引き出しの中にはないと悟り引き出しを元通りに、机の上も念のため見てから部屋の中をうろうろする。
昨日、問題の授業は朝一にあった。その後、他のことをしている内にすっかり忘れていて思い出したのは一息ついた湯あみの後、つまり寝る前。
昨日の記憶を呼び起こしながら、仕舞いそうなところを手当たり次第に手をつけ始める。棚から本の間に至るまで。
寝る前、眠気にやられて思っていたところに置かなかったことはもう間違いないなさそうだけれど、まさか宿題をした記憶が誤りで夢だったという可能性も捨てきれない。
困ったことだ、と困るのは探しても探しても見つからない宿題に対してかその原因を作った自分自身にか。とにかく探さないわけにもいかないので同じ棚を二度目探していることに気がつき、こは同じ事を繰り返すだけだと次の作戦に移行することに決める。隅から隅まで探すのだ。
「陛下、何をお探しですか?」
最初の机に戻るべく棚から離れると、声をかけてきたのはリディア付きの侍女。
淡い茶の髪を綺麗に垂らして微笑みを浮かべる彼女はリディアと同じ年頃で、行儀見習として奉公している令嬢たちの一人。
彼女たちは三年前からいるが、王として学ぶことがまだあり上手く時間を作れないリディアが彼女たちといる時間はとても少ない。
それに、話が上手く合わないのだ。共通の話題が上手く見つからない。
彼女たちはかくれんぼだってしたことがないようだし、鬼ごっこも、外を駆けずり回り子ども時代を過ごしたリディアとは正反対に室内でほとんどの時を過ごした生粋の深窓のご令嬢たち。何年も前までは全くリディアに縁がなく、出会うとも思わなかった身分の人たち。
同じ年頃のはずなのにこうも会話することが難しいとは、と彼女たちと顔を合わせたばかりの頃困惑したこともある。
手伝いを申し出てくれたアナベルという名前の侍女に、リディアは少しだけ迷ったものの遅れるといけないので探し物を伝える。
さっそく探しはじめてくれたアナベルとは反対の方から再び探しはじめるリディアは棚の影に隠れる形で積み重ねられたものに立ち止まる。
本にしては薄く、本よりも装丁の凝ったそれらは小さな正方形の机の上にいくつも積まれたその一番上を捲ると、人の姿が優雅な様子で描かれている。
リディアももう十八になる。
たくさんの絵姿は王であるリディアへの縁談の数々と共に送られてきた国内貴族、他国の王子の絵姿であった。
二年前の戴冠式のときから徐々に増え始め……今ではこの有り様。隅に追いやっているのは大声で言えたことではないが、頻繁に見るものでもないのでこんな扱いをしてしまっている。
何しろ追加され捲って見ても知らない人の姿が描かれているだけなのだ。
正確には国内貴族に関しては会って顔を見たことはあるのだとは思う。二年前に戴冠式が行われた際に多くの貴族と会ったはずだから。しかし全ての顔を覚えられたはずはない、正直全く、誰一人として明確に覚えていないので「知らない人」の絵姿だ。
でも今度は絵姿の中にある人の実際の姿をまた見ることになる機会が待っている。
近く、建国記念を祝う催事がある。
伴侶を選ぶ――建国日を祝う催事までにではなくとも、いつかは決めなくてはならないこと。新たに加わったリディアの義務。
それにしても増える度に見ても見ても誰もピンとこなくて、どうやって決めればいいのやらリディアには分からない。
輝かしい金髪に茶の瞳、爽やかな笑顔を浮かべた絵をぼんやり眺めていたリディアは思考を断つと共にそれを閉じた。
今は宿題を探さなければ。
「陛下?」
踵を返そうとするより前に背後から声をかけられてリディアは驚き振り向く。俊敏に振り向いたために髪が揺れて、落ち着く。
「――グレン」
後ろから声をかけてきたのはよく知った声で、立っているのはグレン。背が伸びてもなおある背丈の差で見上げて、すぐには驚きが冷めきらない。
「どうしたの?」
「出てこられないのでどうされたのかと思って入ったのですが、探し物をされているとお聞きしまして」
手伝おうと思ったがリディアが動いていなかったから声をかけたのだ、と聞いたリディアはそういえばさっと出てくるつもりで外で待っていてもらっていたのだったと思い出した。
「ごめんなさい。宿題が見当たらなくて」
「いえ、それはいいんです」
一緒に探しますよ、と優しく微笑むグレンの黒い瞳の視線がリディアから逸れた。
上、ではなく下。リディアの後ろ、か。
「絵姿、ですか」
「え、あぁ、そうなの」
グレンが見ているものが分かってリディアは、反射的にさっと身体をずらして隠すように立った。見られたくない気がした。
「気がついたら増えてきちゃって」
首を傾げたグレンに曖昧に笑いながら言うと、絵姿を見ている彼の正面に回って合うかと思った視線は後ろを見透かしているようで、リディアは少し落ち着かない。
あまりこの話をしたくなくて早々に話を切り上げようと頭を働かせていると、視線が戻ってきた。
「誰か、気になった方はいました?」
柔らかな声で問われたことに、いいえ、とリディアは小さく答えた。




