幻の花
グレンが妖精の力を持っているときにリディアと春を迎えることが叶わなかったので、「もしも」のお話。
リディアがまだ子どもと呼ぶべき歳で「殿下」であった頃、グレンはもちろん護衛で側にいる幻の一時にお付き合いください。
雪が降る日がなくなり地面からも雪が残らず溶け、何週間を数えたか。遠ざかっていた鳥の声がどこからともなく聞こえはじめ、地面から緑が芽生え、木々の枝にも庭にも色合い華やかな花が顔を覗かせる季節。
リディアの姿は庭の一角にあった。
まだ風が吹けば少し冷たいかと感じる外ではあるが、元気なリディアは侍女たちが完全防寒させようとマフラーを巻いたりしようとするのを大丈夫だと言い切り、すっかり春めいた服装になっていた。胸元にレースたっぷりの真っ白のブラウスに冬の厚い生地と比べると薄めの裾の広がるものとなったスカートと、それと揃いのデザインの上着という出で立ち。
「殿下、早いですよ」
「グレン」
今日の最大の予定が頭の中をずっと占拠していて楽しみにしていたリディアは授業が終わって着替えてすぐに飛び出てきたもので、本日入れ替わりで護衛のグレンが後からやって来たらしかった。
いつものように軍服を身につけ少し離れたところから現れ歩いてくる彼は、花が咲いている背景が驚くほどよく似合う。雪から解き放たれた植物がごとく優しげな緑の瞳のせいだろうか。
「せめて俺を待ってくださると嬉しかったんですけどね」
「早く植えたかったから」
「そうですね。でも、殿下」
「なに?」
待たなくてもたぶんグレンならリディアの気配がどこに行ったか分かるから出てきたのだ。
ふわりと宙を漂う小さな妖精を周りにまとわせながら近くにやって来て、足を止めたグレンが穏やかな笑顔で何か意味ありげに首を傾けるので、リディアも首を傾ける。
「肝心のものをお忘れではないですか?」
彼が後ろに回していて見えなかった手がその言葉と一緒に出てきて、白い袋が現れた。
中身が入っているので歪にぼこぼこに膨らんだそれを目にしたリディアは「あ」と自らの両手を目の前にあげて見るが、何もない。空っぽで、何かをもってさえもいない。
「本日最大の予定」に一番大切なもの。それを着替える前に、大事にしまっていた引き出しから出してきたのにあろうことか出てくるときに持ってくるのを忘れてしまったのだ。
リディアが後にした部屋に一度行ったのか、忘れ物に気がついた侍女に出会ったのかは不明だが、とにかくグレンが持ってきてくれたようだ。
「……忘れてた」
「どうぞ」
「ありがとう」
白い袋がリディアの両手に渡る。
危ないところだった、肝心なものを忘れるとは。リディアは袋の中を見てそれだと確かめる。中に入っているのはいくつもの球根だった。
「立派な花壇ですね」
「うん」
どうせすぐにほどくので、ぐるぐると多少雑に紐を巻きつけ直したリディアは、グレンの言葉に大きく頷く。
二人の前にあるのは、土が入っているだけのまっさらな花壇だった。日当たりがとてもよい場所で、春の日差しが影が作られることなく当たる良い花壇である。ここに花が咲いていたならばきっと立派なものであっただろう。
だが、花はなかった。後ろを向けば否、リディアが周りを見ればすでに咲いた花、もしくは春本番を待つ蕾がそよ風に揺れているのにその花壇に花はない。
煉瓦で造られた円形の花壇は土の色だけで、周りを花に囲まれているというつまりは中心という特別目立つ場所なのに、そこだけが殺風景で余計に目立つことになっていた。
だからといって、種も植えられていない。実はこの花壇は庭師がリディアのためにあけてくれているのだ。正確には毎年、王のために。
リディアの手にしている袋の中の球根の出所は妖精公爵である。妖精が住んでいる「お伽噺の世界」に年中咲き誇る花の球根を分けてくれたのだ。
それが空っぽの花壇と何の繋がりがあるかというと――毎年、春になると王は「妖精」と共にこの場に花を植えるのだという。
妖精の国にしか咲かないはずの花を、彼らの手で植えることによってこちらでも美しく咲くらしい。
いつの世から始められたのかは分からないが、途絶えることなくむしろ春が来た証とするかのように続けられているのだとか。咲いた花は一輪だけ城の中へと持ち運ばれ誰もが見られるように飾られる。
球根を手渡されたときに妖精公爵からその話を聞いたリディアも喜んで球根を植えることにした。
どんな素敵な花が咲くというのだろうか。咲いたときのお楽しみだと言われたことも手伝って、わくわくして待ちきれない思いだ。
「早く植えよう」
「そうですね。その前に庭師の方にスコップを……殿下?」
言うやいなやリディアはしゃがみこんで袋をそっと地面に置いておく。庭師があとは花の元を植えるだけ、とすでに整えてくれているふかふかの土に素手で慎重に穴をあけていた。
「手でやるからいいの」
「それなら俺もそうしましょうか。お手伝いさせていただいても?」
「じゃあグレンはそっちからね」
半分こである。
丸い花壇は予想以上に大きくて、球根もリディアが見たことがあるものよりずっと小ぶりで思っていたより数があった。
十分に間隔をとり穴を開けていくと、球根をそっと向きを違えないようにひとつひとつ丁寧に入れる。
すると不思議なことに球根はひとつもあまることなく足りなくなることなく、ちょうどだった。
妖精公爵は花壇にぴったりの数を心得ていたのだろうか。リディアはびっくりした。
それから土を軽く被せて、準備完了だ。グレンと二人でやったから、それほど時間はかからなかったように思える。
立ち上がって元の何もないように見える一面の土を見るリディアは満足だ。
ぽかぽか陽気でないにしろ太陽が当たっていたのでささやかな風を感じた拍子に冷たさをかんじたので、薄く汗をかいたかもしれない。額に手をやる。
「殿下汚れますよ」
「あ」
グレンに言われてはた、と手を止める。手で作業しただけに手のひらは満遍なく土で汚れてしまっている。払っても手を擦り合わせても、たぶんすっかりこびりついていて水で洗わないと落ちないだろう。そのくらいに。
その手で顔を触った。
リディア自身は見えないが、グレンの表情からするに土がついてしまったのだろうと思う。
「洗いに行って、ついでにじょうろを借りてきましょうか」
「うん」
それは名案だ。
手を洗いにいったついでに服にわずかについていた土はそれとなくグレンが自然に払ってくれ、リディアは侍女のチェックを通過できるだろうと確信した。
乾いた土でなければこうはいかなかっただろう。
もちろん、顔についただろう汚れも拭ってくれた。
庭を探して見つけた庭師が、じょうろはリディアにはちょうどの大きさのものを貸してくれて、球根を植える作業と同じでグレンと一緒に水をあげた。
じょうろから出る水は光の加減できらきら光っているように見えた。
「いつ咲くかな」
「殿下がそれほど待たなくともすぐに咲きますよ」
「そんなに早いの?」
「はい。きっと驚きますよ」
そんなに早く咲くのか。リディアはまだ芽も出ていない土をしげしげと見つめてしまった。
「……でも、早く咲くってことは他の花より先に枯れちゃったりする?」
「いいえ」
グレンはすぐに否定した。
「早く咲いて、けれど驚くほどに長持ちします」
リディアが見上げると、彼はこうつけ加えもする。
「もちろん、水をあげることを忘れなければですが」
「それなら毎日来るから大丈夫!」
「それは頼もしい限りです」
絶対に毎日来るのだ。とリディアは決意する。
「そもそもですが、この花は枯れる姿を見せることはないんです」
「どういうこと? 枯れないの?」
「普通の花は綺麗に満開になったあと、萎んでいき最後には茶色く崩れてしまうでしょう?」
「うん」
「でも、この花はそうはならないんです。枯れる前に花びらが落ちる前に、種を――この場合は新たに球根を残して綺麗に消えていくんです」
「へぇ」
ただ長持ちするのではなく美しいままで長持ちし、枯れる姿は見せずに消えていく。見せる姿は美しいものだけ。
まさに「お伽噺の世界」にふさわしい不思議な花のようにリディアには思えた。それとも、妖精のいる場所で育ったからそうなるのだろうか。
濃い土の上を浮いているため妖精たちの淡い色合いが際立つ。土の限りなく近くまでいき降りているように見える妖精もいるので、彼らも心待ちにしているのかもしれない。
水をまんべんなくあげ終えて、時間の余ったリディアは庭を散策することにした。
春本番の暖かさは少し足りない時期ではあるが、満開を待つ花が咲いていた。まだ蕾だけの種類の花もあり暖かくなればどれほどの花が咲き庭を埋め尽くすのだろうかとリディアはうきうきした。
村の近くの山に咲いている花とは違って見たこともないものばかりだから、見ているだけでとても楽しい。
「花はお好きですか?」
「うん」
「それは良かった。もうすぐ城の中も花で溢れますよ」
「そうなの?」
「冬の間は多くの花は育てられませんが春はご覧の通りですから、城の至るところに花が飾られるんですよ。それも花瓶から溢れんばかりにね」
どうやら庭だけでなく、城の中も花で埋め尽くされるようだ。
「ただ、どこに行っても花が目につく状態なのは最初の内だけですけどね」
「なんで? あ、花が枯れて、代えてたら花が減っちゃうから?」
「いえ」
花は育てなければならない。枯れる度に代えていてはなくなってしまうからだとリディアは思ったら、グレンは首を横に振った。
ではなぜだろう。と首を捻るとすぐに答えは教えられた。
「花が苦手な方も少なからずいらっしゃるので」
「苦手?」
「花粉症って分かりますか?」
花粉症。鼻や目が痒くなったりくしゃみがたくさん出たり鼻水、鼻が詰まる、という聞いていて痒み以外は風邪を引いたときのように苦しそうなことが挙げられた。原因は花粉等だそうだ。
花粉。
「花が近くにあったらそうなるの?」
「人によりますが、この場合簡単に言うとそうですね。宰相閣下に最近お会いになられましたか?」
「うん、昨日」
「鼻が赤くありませんでした?」
「赤く……うん、赤かった。鼻もすすってたから風邪? って聞いたら違うって……あ」
もしかして。と話の流れを思い出してグレンを見ると彼はにこりと微笑むだけだった。
そうなのか。宰相は「花粉症」なのか。
「ユリシウスは、これから大変なんだね」
「そうですね」
今まで聞いたことなかったことだがそういうこともあるのだな、とリディアはそうはなった経験がないのでちょっと他人事である。
「……あ」
花の中に元気のない蕾が混じっているのを見つけたのは、おそらく蕾をすでに蕾開いた花が囲んでいるからだ。
端っこにいる蕾は萎れ気味で今にも地面にへたりこんでしまいそうだった。
さくさく進めていた足の動きを鈍らせたリディアの視界の端に長身が屈んだ。
見るとグレンがその手をリディアが見ていた蕾に伸ばしているではないか。
「何するの?」
「少し手助けです」
言葉が終わる頃に変化は起こった。萎んでいたはずの蕾がたちまち他の花と遜色ない様子で花開いたのだ。
「枯れてしまうのは悲しいでしょう?」
花開かせたグレンは優しい笑顔でリディアを見た。
「うん」
元気になった花の上。集まっていた蝶と小さな妖精が戯れている。
「お伽噺」のようだ。
妖精には花がよく似合う。
だからきっと、優しく穏やかな彼にも花が似合うのだ。
リディアは笑顔で頷いて、またグレンと歩き始めた。もうすぐ最初の花壇の位置に戻る。
「グレン、かくれんぼしよう」
「花はもういいんですか?」
「うん。毎日来るからまた見られるもの」
「それもそうですね」
「花が咲いたらね、」
「はい」
「花が咲いたら、セオフィラスにも持っていって見せるの」
「殿下が育てる花ですから、妖精がたくさん集まるでしょうね」
――それからしばらく。暖かくなった時分、城の庭の中央に「お伽噺の世界」のような光景が広がった。
その花々は周りのどの花よりも美しく、陽の光のせいではなく輝いているように見え、蝶が舞い妖精が飛び交う夢のような景色であったという。




