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小さな陛下と最後の妖精  作者: 久浪
『小さな陛下と最後の妖精』
18/30

第18話 祈り過ごす日の果てに



 六年の時を数え、リディアは十七になっていた。

 背はすっかり伸びきり、髪は腰を越えるほどに長くそして艶やかに。留められた髪飾り。赤い薔薇のような深い赤色の、上品に収まる量の白いフリルがあしらわれたドレス。

 細く白い手で持つものはペン。つくのは机。左右にあるのは積み重ねられた書類。

 琥珀の色味の瞳で連ねられる文字を追っては慣れた手つきでサインをしたためていた。


「陛下、そろそろ少し休憩なさってはいかがでしょう」


 机に向かうこと数時間が過ぎたとき、側に控えていた者がそっと提案をした。

 その声に使い続けた目を瞬いたリディアは顔を上げ、手元を見て止めていた手を動かしきってペンを置く。


「……ええそうね。そうするわ」


 立ち上がると、お茶の準備がされるところだった。

 リディアはそのつかの間に「少し息抜きを」と部屋の外に出る。

 その足を向けたのは外ではなく、私室の隣の部屋だった。


 簡素な部屋。広さのわりに物はなく、あるものといえば奥のベッドくらい。あとは物を収納していない棚があり、その上の花瓶には花が生けられている。今は暖かいから温かな色合いの黄色の花。

 音を立てずにドアを閉めて、踵が立てる音は小さく歩みを進める。

 たどり着いたベッドの天蓋をそっとのけると、中に横たわる者の姿が露になる。

 短い黒髪の一人の若い男。


 毎日変わらない事実を今日も確認し、リディアはベッド脇の椅子に腰かける。足はもう浮くことはない。

 白い枕の上に乗せられた顔にそっと手を伸ばす。まずは指先で、手のひらで頬に触れて、冷たくないことを確認して少しだけ安堵する。

 呼吸は口に手を翳してやっと分かる程度に浅いもの。胸もほとんど上下せず一見すると死んでいるように見えてしまうのだ。それは、リディアの心の奥にある恐れがそうさせているのかもしれない。

 もしかしたら、もう目覚めないのではないか。と、考えたくないのにそんな考えがちらつく。


 妖精公爵は目覚めない。

「お伽噺の世界」への扉は開かない。

 彼もまた目覚めない。

 新緑の瞳は隠れたまま。


 眠っている間は時が止まるのだろうか。

 瞼でその目を覆ってしまっている顔はリディアが遊んでもらっていたときの記憶のまま、何も変わらない。

 彼はいくつだったのだろう。リディアは聞いたことがなかった。だからといって、他の人に聞くつもりもない。


 慣れてしまった確認をものの数十秒で終えて手を、彼の身体の横に置かれている手に重ねる。温かくない、少しだけ温かいと言えば温かいものだがかつて小さなリディアを包み込んだあの温もりはどこにもない。


「……グレン……」


 いつ目覚めてくれるの?

 ポツリと思わずにはいられないことを、決して完全に消え去ってくれることない恐れと共に自らの中に、奥に留めおく。その代わりに、どうかこの人が目覚めてくれますようにと毎日のように思う祈りのような気持ちを今日も抱く。

 未だリディアより大きな、力ない手を祈るように捧げるように持ち額をつける。


 私室の隣の部屋に移動させたのはリディアのわがままだった。けれど、今ではそうして良かったとリディアは思う。

 こうして少しの間にも会うことができ、毎日顔を見ることが可能なのだ。


「……また、来るから」


 そうしていたのはわずかな時間。リディアは浅く息をつき顔をあげる。その瞬間、意識して笑顔を作り眠るグレンに向けた。

 向けて、目を疑う。それ以上動けなくなった。


「殿下……?」


 少し掠れた声。

 起きたばかりの声。

 そんな声を聞いたのは初めてだけれど、少しも変わらない懐かしい一番聞きたかった声。

 いつかいつかと待った人の声だ。


「…………もう、殿下じゃないの」


 上手く動いてくれない、口。

 それでもあの頃の、彼と過ごしたまだ小さかったときの口調に戻りとっさに出たのは訂正の言葉だった。そんなことどうだっていいのに。どうだって。


「グレン……?」

「はい」

「グレン」


 横たわったまま、けれどずっと同じ位置から動くことなかった顔が今リディアを見ている。

 確かめるために呼ぶ声が震える。

 もう一度「そうですよ」と肯定されて、リディアは自分の顔が歪むことを感じた。ここ数年は封じ込めていた目頭が熱くなることも。


「どうして、泣いているんです?」


 身体の側に置かれていた腕がリディアに伸びる。

 勝手に生まれる涙を流し目に映すことしかできないリディアに触れる直前に、どうしてか指先がためらい止まった。


「……六年も、眠っておいて」

「六年? ……どうりでお美しくなったわけだ」

「そんなの、」

「大人びて、ああ髪が伸びましたね。似合ってますよ、それからそのドレスもね」


 眩しい陽を見るように、目が細められる。

 結局リディアに触れることなかった手が目の前で下ろされて、元のようにシーツに落ち着く。「六年……」と言われた年月を図ろうとするかのような呟きが聞こえた。

 顔が動き天井を、否、虚空を見ている。


「夢をね、見ていました」


 ふっと息をついて声が出された。


「あなたが笑顔で俺の方を向いていたんですが、瞬きをした間に泣き顔に変わっているんです。おかしいですよね、あなたの泣きそうな顔ならまだしも泣き顔なんて見たことなかったのに……。

 それよりも何よりも俺はあなたを抱きしめてあげたかったけれど、近づけなくて」


 「困りました」と本当に困った微笑が向けられる。

 ぽたり、と手の甲に涙が落ちてきたリディアは遅れてあることに気がつく。


「グレン、目の色が」

「目? ああ……」


 自分では見ることはできないだろうに、グレンは自身の目に手を当て、目を一度覆って言う。


「妖精の部分が、消えたようです」


 「妖精らしくないことをしましたから。……そのせいですかね」とはじめて目にする自嘲の笑みを唇に刷いた。

 いくらか離した手のひらを見つめ、グレンはその影からリディアを見る。

 彼の瞳の色は、思い描いていた緑ではなかった。

 黒色だった。

 雪を降らせる雲より濃く、黒曜石に近いほどに深い澄んだ黒の輝き。


「血を多く浴びました、感じたことのない違和感が生まれましたが無視しました。今思えば、俺の中の妖精であった部分が悲鳴をあげていたんでしょうね」


 だから、彼は眠りについたのだ。


「けれど、俺は妖精ではなかったからこうして目覚められた――俺は人で良かった」


 心の底から思っているような声で囁きがされた途端、リディアの固まっていた手が動きグレンの手に触れる。ああ、いつの間に。温かさが戻ってきていた。

 リディアはしっかり握り掴まえておこうと思ったけれど、力が入ってくれない。だが反対に握られて、いくつかの感情が混ざり膨らむ。

 グレンがゆっくりとその身を起こした。


「起きて大丈夫なの?」

「平気みたいですね。……それより陛下はそんなに泣き虫でしたか?」

「グレンのせいだから」

「すみません」


 すみませんなんて言っているだけで本当に思っているのだろうか、とリディアは責めたくなった。八つ当たりだ。

 仕方がないじゃないか。リディアが待っていたのに、まるで昼寝したあとのような反応なのだから。


「でも、目覚めてあなたがいてくれて良かった」


 スルリと手が離れていったと思ったら慎重に思える手つきで頬を包まれる。くすぐったいような触れるか触れないかくらいで、リディアは目をすがめる。

 リディアに、グレンは愛しげな眼差しを注ぐ。


「グレンの目が覚めて、良かった」

「そう言ってもらえると嬉しいですね。そういえばかくれんぼをする約束がありましたけど、します?」

「もう子どもじゃないの」

「そうですね」


 今そんなことを、おまけにいつのことを持ち出しているのかとリディアは思ったけれど、その小さな約束を覚えていてくれたことを嬉しくも思った。


「本当に、お美しくなった」

「……褒めても何にも出ないから」

「お世辞じゃないですよ。陛下はとんでもない雛鳥だったんですね」

「なにそれ」


 グレンは微笑むばかりだが、リディアは嬉しくてでも急にグレンと合っていた目を少しだけずらしてしまう。

 何だろう。嬉しい感情の中に、数年否応なく慣れてしまった悲しい感情ではなく、異なった塊がある。

 どこか戸惑いつつあったリディアを引き戻したのは、他ならぬグレンの声である。


「ねぇ陛下」


 懐かしい呼び掛け。しかし異なった呼び名は確かに経った時を示す。


「……なに?」

「こんな俺でもまた、側においてくれますか?」


 リディアはきょとんとして、穏やかな笑顔で見つめられて、見つめてすぐにうなずいた。


「じゃあ、グレン」

「なんですか?」

「グレン、今度はずっと一緒にいてくれる?」

「ええいますよ」


 ――あなたの側に、俺の陛下


 泣き笑いするとグレンが腕を広げたから、リディアは子どものようにその胸に飛び込んだ。






これにて完結。

ここに入れることも考えましたが、長くなりそうで邪魔かもしれないと考え別途あとがき+補足のようなものを次につけます。便宜上タイトルは「登場人物」です。



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