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小さな陛下と最後の妖精  作者: 久浪
『小さな陛下と最後の妖精』
12/30

第12話 不自然なかくれんぼ


 雪は、あの日特別多く降っただけで王都にはそんなに多い日雪だるまを作れるだけの雪は積もらないようだ。

 ただ寒いことには変わりなく、雪だけは今日も少しだけ降っていた。


 図書館に行った帰り、リディアは昨日はじめて老婦人に褒められたことをグレンに自慢していた。


「それはやりましたね」

「うん!」


 本を返してきた帰りなので空の手を振ってご機嫌なのである。

 老婦人は少しだけ、わずかだけ口角を上げて授業の終わりに一言だけ褒めてくれたのだ。


「ユリシウスのテストも惜しかったの」


 宰相の作った授業の節目のテストはひとつ間違えてしまって満点ではなかったけれど、リディアには快挙だった。

 ここ最近は大抵のとき側にいる護衛にその日もしくは昨日あったことを話すことが常だった。


「頑張ってるんですね、殿下」

「うん」

「じゃあ俺にもかくれんぼで勝てる日も、もしかして近いですか?」

「もうすぐ勝つから! そのあとは鬼ごっこでもグレンを負かしてやるんだから」

「鬼ごっこは転ばないようにしてくださいね」

「転ばない。ま、前転んだのは靴がちょっと違ったから」


 墓穴を掘った。勝ってから鬼ごっこの挑戦状を叩きつければ良かった。

 リディアはふいと視線を逸らしつつ、以前勝手に捕まえられて「鬼ごっこ」と名づけられたそのときの事情を述べる。「淑女になるための授業」のあと、ドレスとそれに相応しい靴で走ったときのこと。

 言い訳と自分でも分かっていたから、さっさとこの話題を流すことにする。


「明日、勝負だよ」

「分かってますよ。明日ですね――」


 そう、明日だ。

 今から部屋に戻って宿題をして、それから寝る時間までの間に作戦を……。


「殿下、止まって」


 さっきと変わらず聞き心地良い声が言った。

 声での制止と軍服の腕での制止が同時に成される。対象は言わずともリディアで、それらにより足を止める。

 急なことに、身体の前に腕を伸ばし行き先を阻んでいる彼を見上げる。

 顔が向いているのは何もおかしくはない、前方――進んでいた方向だ。突き当たりまで真っ直ぐな廊下には何もないし、誰もいない。


 リディアは首をかしげる。どうして止まらされたのか、と軍服を引っ張って注意を引こうとする直前。小さな光が視界を過った、その動きに視線が向かう。

 小さな淡い光の正体は小さな妖精であり、もう視界にいつでも入り込む彼らには慣れていた。しかし、今目線を取られたのは無意識に感じ取った不自然さ。

 そのまま小さな妖精を注視すると、彼らはどこか忙しなくその羽を羽ばたかせている。いつもは緩やかに、羽ばたかせる必要なしとばかりにゆったりしているのに。


 突如すぐそこのドアが開かれ、その手で背中を押された。たたらを踏みかけながら少しだけ部屋に入ることになったリディアは意図を理解できずに手の主を見上げたが、グレンはリディアを見ていなかった。まだドアの向こう、行くはずだった廊下の先を見ているのではないかと思われる。


「どこでもいい、隠れて」

「どうしたの? 急に」

「いいから」

「グレン……?」


 彼らしからぬ有無を言わせない言い方に不安そうな声が出ると、はっとした風にようやくその目がリディアを見下ろし、すぐに和む。


「かくれんぼです。殿下、隠れて」


 「外に出ては駄目ですよ」とだけ言い残して彼は直ぐ様出ていった。最後の声は普段とは異なる何かを孕んでいたことにリディアは気がついてしまった。

 ドアが音なくきっちり閉められる直前、その手が腰の剣にかかるところを見てしまった。その口元が描いていた弧が消えるところも。


 何かがおかしい。

 リディアは閉められたドアを前に立ち尽くした。

 どうしてここに置いていかれたのか、どうしてグレンの様子か急に変わったのか。分からなかった。

 けれど、ひとつだけ。ここから出てはいけないことは、分かった。

 ドアを見つめるばかりだったリディアが動きをみせたのは、「かくれんぼ」という残された言葉だけが身近なものでどういう行動をすべきか教えてくれたから。


 とにかく言われた通りにするべく、部屋を見渡す。

 かくれんぼの達人であるリディアはすぐに棚に目をつけ、下段の開き戸を開けてみる。空っぽだ。大人は無理だがリディアなら入れる。

 その中に入る前にやっぱり外が気になる。外に出る気はないけど――


 どこかで、日常で聞き慣れない音がした。

 ドア一枚隔てた向こう。すぐ前でというほどの距離感の音ではないが、近いことに変わりはない。たとえば、同じ廊下の直線上。

 甲高い耳障りな音はリディアの不安を掘り出し増幅させる。

 動きを完全に止めてしまっていたリディアだったが直後――ほぼ同時といっていいほどのタイミングで周りでぱっと何かが弾けた。

 びくりと反応して機敏に左右上下、部屋の隅まで目を配ったが何もない。

 何も。

 妖精が、いない。

 その事実に気がついたのは偶然だったろうか。いつからか、当たり前のように周りを漂っていた小さな光は今、どこにも見当たらなくなっていた。

 さっきまで、いたはずだ。どこに、どこに行ってしまったのか。


 新たに動揺がリディアの中に広がる。

 棚の中も確かめてみるも、暗いその場所に光はなし。

 一体どこに――二度目、さきほどと同じ音がして、リディアは中を見ていた体勢だったのではじかれたように急いで身を押し込める。するりと中に身体を折り曲げ、どうにか戸を閉めると真っ暗になった。

 外と棚の中が隔絶され、別の空間になったような感じ。


 かくれんぼは得意だ。

 コツは意識を研ぎ澄ませること。意識に引っ掛かった気配が近づけばその間中息を潜めていること。そして、石になったつもりで少しも動かないこと。


 リディアといえど、こんなかくれんぼは初めてだ。

 さっき聞いたばかりの音が耳に張り付いているようで、そのせいで身体が緊張していることを感じる。入り込んだ棚の狭い中で響く息の音、些細な身動ぎによる服と棚とが擦れる音。

 そればかりではなく、じっとして息も潜めているからか、心臓の音がやけに明確に感じられるようだ。

 ドクドクと、速く。リディアの不安をそのまま直接表した音の速さ。

 真っ暗。妖精の光はない。

 目を閉じる。わけが分からなくてどうしようもないが、そうだからこそ余計なことを考えないように目を瞑り抱える膝を引き寄せる。


 大丈夫。

 リディアのことはグレンしか見つけられない。彼が見つけてくれるまで、待っていればいい。







 光が射し込んだ。


「殿下、もういいですよ」


 かくれんぼで見つけた際の定形文句ではない言葉が聞こえた。

 リディアが瞑っていた目をうっすらと開けると、どれくらいそうしていたのか少し目が慣れるのに時を要して捉えたのは棚の中を覗き込むグレン。

 その腕が、手が伸びてリディアを狭い空間から引き出す。


「大丈夫ですか?」


 そう尋ねてきた緑の瞳が揺れていたような気がしたが、コクリと顎を引いた途端に抱き締められていたから見間違えかもしれない。

 背に回る腕に強く胸に押しつけられて、息が詰まるほどだった。


「……グレン、苦しい」

「怪我はないですよね」

「う、うん」


 怪我。棚の中にいたからするはずがないのに、彼はそんなことを聞いてきた。これまでで一番近い距離で、囁くようにして。

 その、グレンの周りにいた妖精たちもいないことにリディアは腕の中で気がついた。目だけを動かしてどこを見てみても妖精はどこにも姿がない。


「グレン」

「なんですか?」

「妖精が、妖精がいなくなって……」


 視界の端で光が弾けたのを見た気がした。それは、妖精の光だったのではないだろうか。けれど、弾けたのはなぜ。


「……妖精は繊細なんです」


 いつか聞いた言葉。

 くっついていた身体が離れる。


「グレン、怪我したの?」

「どうして?」

「これ」


 手を伸ばしてグレンの顔の横に触れる。いくつか飛び散ったようになってまばらで近くで見なければ分からない、細かなそれの一部を指で撫でて示す。


「怪我、したの?」


 グレンがドアを閉めるときに腰の剣に手をやっていた瞬間が甦ってきた。甲高い音も。


「……怪我はしていません」

「そう?」


 では。これは。


「何があったの……?」

「何も」


 首を振られる。

 そんなはずはない。リディアは誤魔化されない、 今もなお目の前の護衛の様子はいつもとは違うのだから。


「グレン」

「殿下」


 声に声が重なる。

 手をとられて、指を拭われ赤色は消える。それを丁寧に拭った手で、グレンは自身の顔の示された部分を無造作に拭った。きっと彼は知らない。首の辺りにもその飛沫が続いていること。

 リディアと歩いているときにはなくて、今ここで再び顔を合わせたときについていたそれは。

 グレンは落としていた視線を、少しだけ上げた。


「妖精は、繊細なんです」

「うん」

「……とりわけ彼らは血には弱く耐えきれなくなってしまうんです」


 血。

 耐えきれなくなる、とは。

 小さな妖精は「消えて」しまったのか。

 恐ろしい事実を確認できないうちに、リディアは再び、ぎゅっと抱きしめられた。





 行こうとしていた方向とは別の道から、少し早足にリディアは連れられ部屋に戻った。

 迎えた侍女は最初こそいつものようだったが、グレンが何か囁くと表情が強ばった。会話は聞こえないが、「いつも」の雰囲気がガラリと変わる様が目に見えて感じられた。

 とりあえず椅子に促され、グレンがいつものように側に。否。いつもより心なしかより近く傍らに立つ。


 部屋で何をすることなく十数分経ち、宰相が妙に慌ただしく入ってきた。


「殿下、お怪我は?」

「……ないよ」


 開口一番、側に寄られて聞かれたことはどうも物騒だ。

 事実を返しながらも、リディアの口調は上の空だ。宰相と共にぞろぞろと腰に剣を帯びた軍人が何人も入ってきたのだ。彼らは部屋のあちこちにばらつく。


「問題の賊は」

「二人。他にもいる可能性が。至急調べるべきです」

「もちろんすぐに」


 ユリシウスが兵の一人に何事か指示すると、その一人は素早く部屋を出ていく。

 周りをぎこちなく見回してみると、誰もかれもが厳しい顔つき。

 良くない空気だ。


「殿下を襲おうとするなんて――これだけでは終わらないはずです」


 今まで聞いたことのない声が、確かにリディアに背を向け宰相と言葉を交わしている彼から発され言った。


「何が、起きてるの」


 握りしめた手を膝の上に、耐えきれず聞くと宰相がこちらを見下ろして口を開こうとした。


「――殿下には」

「そういうわけにはいかないでしょう、こればかりは。殿下自身にも知っていただいていたほうがいいと私は思いますよ」


 グレンが宰相に向かって首を横に振ったが、ユリシウスもまたそれを否定する方に首を振る。


「さっきからグレンも皆も変だよ。……何が起きてるのか教えて」


 リディアだけ何も知らない。けれど周りの様子は決定的に変化した。分からないことによる不安で胸がざわざわしていた。

 だめ押しでもう一度言うと、宰相の腕を掴んでいたグレンの手が離された。

 それにより宰相がリディアを見て、いつもの優しげな表情はなりを潜め真剣な顔つきで、空気が変わった理由を明かす。


「先ほど、王宮に入り込んでいた賊が捕まりました」


 とても不穏そうな雰囲気醸し出す理由を。


「彼らは殿下を待ち伏せし命を狙っていたようですが、グレンが上手く対処してくれました」

「……さっきの」


 グレンが対処した、というところで思い当たったことがあった。廊下での急な行動と、様子。あのときからおかしさははじまった。

 視線を移した先のグレンは、真顔だった。

 笑顔なんていうものが失せた空間。彼も例外なく、そうなっていた。

 しかし、リディアが見ていることに気がついた彼はすぐに目を合わせ少しだけ笑みを滲ませた。


「殿下、心配しないでください。大丈夫だから」


 優しい声だったが、このときはさすがに安心することができなかった。


「なんで、私が狙われるの……?」


 命を狙う。なんて日常にない言葉だろうか。

 どうしてリディアが狙われるのか。そんな理由ひとつしかないことはさすがに分かっていた。

 ――「あなたがこの国の王だから」

 何度も言われた言葉が浮かぶ。


「落ち着いて。大丈夫、あなたの近くには来させないし、あなたを傷つけさせるわけがない」


 気づかないうちに震えだしていた手に温かい手が重なり、落ち着かせるようにかけられる言葉と共に握られる。


「……誰が、狙うの」

「それはまだ分かっておりませんが……おそらく、」

「宰相閣下これ以上は」


 厳しさを帯びた声でグレンが宰相を遮った。

 リディアの顔を見た宰相は口をつぐみ、それから努めて出しているようないつも通りの声音でさっきとは話題が変えられる。


「何にしろ、グレンの言うとおりすぐに対処し大事には至りませんのでご安心してください殿下」


 これを信じてもいいのか、信じるべきなのかリディアには判断できなかった。頭には「命を狙う」という姿さえ見なかったが日常を変えた得たいの知れない何かがいることが回り、占めていた。

 グレンの首筋に残る赤い跡も。

 浅く頷くことしかできなかった。



 その日から、物々しい雰囲気は変わることなくそれに囲まれての生活がはじまった。リディアの行動は完全に制限され、どこかへ行くにも短い距離だとしても以前の倍の護衛がつき、リディアの不安は根深くなっていくばかりだった。

 それは、グレンの姿がリディアの側にある日々がまばらになったことも影響しているのだろう。


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