6 『神託』
次に意識が覚醒したとき、僕はあの喫茶店の中にいた。
不具合存在の突撃によって崩壊した、ちょうど当時そのままの状態だった。
なんとなく、夢か何かを見ているのだと思った。
いや、これは確信だろうか。先ほどまで意識の中に渦巻いていた現実遊離の確信が、今回も何かの根拠を示すことなく自身を〝夢か何か〟の中にいるのだと告げている。
しかしながら夢というよりはむしろ、再現映像の中にでもいるよう感覚だ。
あの時の記憶はつい先ほど――と言っても悪夢に魘されたり現実遊離感に襲われたりしていたためか、大分前の出来事にも感じられるが――ロイエの部屋で思い出したばかりである。けれどもそのとき焦点の合っていたものはおおかた、自分の周りや自分の身に起きたことくらいに限られていた。細かいことはぼんやりしているか、そもそも覚えてすらいないだろう。
けれども、今自分のいるこの空間は恐らくながらすさまじい精度で再現されていると察することができる。
うろ覚えで書き込んだ答案を答え合わせするかのように、なんとなく、ぼんやりと覚えていた光景が正確に修正されていくのがわかった。
まるで、あのときの状況をそのまま切り取って持ち出してきたかのような精巧さだ。ここまでくると流石に気味が悪い。
一つだけあの時とは決定的に異なることがあった。
僕に対面していた席に赤髪紅瞳の少女の姿はない。
代わりに白髭を生やした英国人風の老人が座り、あの時少女が注文していたであろうコーヒーを啜っていた。
「繰言になってしまうが――」
見た目のわりにしわがれてはいない声。むしろ若々しい飄々とした空気と、同時に壮年のようなどこか力強さを感じる声だった。
「ようこそ、こちら側へ。私はここのことを便宜上『外部』と呼んでいる。君たち人間的存在が普段生活している場所とは異なる場所だ。次元が違う、というやつだな」
展開の速さに頭がついていかない。
対面して座る老人はおもむろにカップを置き、少し隅にずらした。そうして机上で拳を組むと、翡翠色の瞳で僕を見据える。
眼鏡を掛け、タキシードのような服を纏っているためか『ベテランの執事』のように見える、どことなく雰囲気に優しさと威厳を兼ね備えた老年男性だった。皴の波打つ面はさながらハイファンタジーのエルフの要素を薄く混ぜたような輪郭で、西洋人のそれよりもずっと鼻が高い。普通の人種ではないと第一印象から受けてとれた。髪は後ろで束ねている為か広く額が見え、輪郭に反して別段それほど長くはない耳にはいくつか地味な装飾品がついている。
老執事は暫く此方を眺めた後、ハッと何かに気付いたように眉を上げた。
「ああそうか、すまない。失念していた。初対面であれば呼び出した私のほうから名乗るのが世の礼節であり順序というものであろうな」
こちらの緊張を解こうとしたのだろうか。しかしながら位の高そうな人物に気づかいを掛けられたようで、こちらとしては少しばかり困惑してしまうものだ。
「ああいや、その、お構いなく?」
自分でも何を言っているのかよくわかっていない。
とりあえず愛想笑いでもしておこうか。
「そういうな。君も状況が知りたいだろう」
「知っているのか」
「言うまでもなかろう。私は外部存在で、世界における管理者だ。君という個人の存在そのものの情報を知ることなど容易い。それこそ、伝記を読んでその偉人のことを知るように私は君のことを知っている」
「ゾッとしない話だなそりゃ」
伝記を読むように、か。
「さて、私のことは『オラクル』と呼んでもらいたい。いやなに、自分自身を神か何かだと驕っているわけではないさ。私たち――つまり私のような者が人間に見えるのは、神託のそれと変わらぬほどに極めて少なく、そして重要な案件であるということだ」
神託を名乗る老執事は、振る舞いにこそ出さないが、久々に友人と会ったかのような高揚をうっすらと感じさせていた。
「君は自分が今どんな立場にあるかわかっているか?」
「わかるわけないだろ!こちとら昨日からやたら魘されて、起きたらいきなり視界が歪んで、兎にも角にも現実が現実じゃなく思えてきたところで、気づいたらここにいるんだぞ。ハッキリ言って、わけがわからない」
「現実が現実と感じられない、と。ふむ、実に正常にインストールできているようだな」
「そうそう現実感が――インストール?」
「そうだ。外部から情報を君自身の存在情報そのものに埋め込んだ。その結果の一つとして、事象や物体の実存への懐疑を無条件で抱くようになったわけだ」
「なんだって? なんだってそんなことを」
「必要なことだ。これからの為にな」
「そもそもインストールっていうのは……それじゃあまるで――」
「ここが、電脳世界か何かみたいじゃないか、かね」
「――――っ」
オラクルは一言一句違わず僕の次の台詞を言い当てた。
「ハッキリ言おう。ここは電脳世界だ。その事実は何物にも代えられない。なぜなら管理者である私が言っているのだからな」
彼は語気を強める。
「しかし遅い。実に気付くのが遅い。不具合存在を認識し、その歪さを理解し、果てには現実感が極限まで薄まってなお、結局その結論に至るまで何故そこまで時間がかかった? 鈍感なのかやたら疑い深いのか、敢えて自己暗示して頑なに否定しているのか――それともあれか? 若年性の痴呆か何かか?」
「な――」
老執事はその紳士的な風貌とは正反対の印象を与える罵倒を次々口にした。しかしながら口調は先ほどと変わりない。起伏の小さく、淡々とした口調。
「――けど実際、そこまで言われてもおかしくはないのかもしれない……」
「やけに素直じゃないか。――いや、表面上に過ぎないのか。君は結局のところ、本心からは何も信頼していない」
「……」
淡々とした口調に、少しばかり小馬鹿にしたような空気が混じった気がした。
「いや、インストールされてなお本来の現実感に対して抵抗したのは、自身の体験から違和を理解しつつも現実感だけは信頼していたからか? ならばなぜ――」
「何がいいたい」
「……はあ、君、実は根暗だろう」
「馬鹿言え」
「なるほど、元々から少なからず現実感を疑っていたというわけか。故に新たに懐疑心を書き込んでも――」
「勝手に会話を進めるな」
「君の〝伝記〟を読んだ」
……ぐうの音も出ない。
伝記を読むように僕のことを知っているのならば、一個人の無意識的な思考や思想に言及してもなんらおかしくはない。
「〝伝記〟にはどこまでの情報が載っているんだ?」
「ありとあらゆる情報だ。性格。体格。性的嗜好。君の行動とそれに伴う結果の数々。君と関わりのある人物。どんな人物を好み、どんな人物を嫌うか。好きな食べ物は、嫌いなものは。普段どんな生活を送っているか。何時ごろ寝るか。最後に見た夢は何か、とな」
ゾッとする。実に。
「すごく恥ずかしい情報も載っているんじゃないのかそれは」
「ああ、すごく恥ずかしい情報も載っている」
オラクルはにやりと薄く笑みを浮かべた。
「復唱するな恥ずかしい」
「ちなみにこの場所も各人のログに基づき姿を変える。私自身もな」
「そうだったのか。対話の場所にしてはずいぶん悪趣味で物騒だとは思ってた」
そう言いながら床にぶちまけられたコーヒーと飛散したカップ──あの時僕が注文していたものだ──が目に入る。
「すまんな。それに関してはどうしようもない。この空間は、君が不具合に干渉した瞬間の周囲状況を過去のログなどから再現しているものだ。私はそこを起点として君の精神情報へ直接干渉している為、結果として此処が君との対話の場所として設定されてしまっている。すまないが、我慢してほしい」
「……あ、うん」
謝る気など更々ないのだろうが、一応ながら丁寧に謝罪され戸惑ってしまった。
「……ところでオラクルの姿なんかも、この場所が指定されるみたく僕のログから作られるってことでいいのか?」
「そうだが」
「そんな非現実的なビジュアルの人は知り合いにはいないんだけども」
「それならば簡単なことだ。『その人物がある程度真面目に話を聞くであろう人物像』といったところだな。――君の場合、おおかたゲームか本か何かの世界の説明役か重役が混ざってこんな姿になったのだろう」
「それ、今も変えられるのか?」
「? ああ、まあ変えられるが」
「それだけ聞ければ十分だ。次回を楽しみにしとくよ」
「――はぁ、その時があれば、お手柔らかにな」
何かを察したのか、オラクルは薄笑いを浮かばせながら溜息を吐いた。
*
「――とまあ、こういうことだ」
「真偽はともかく、信じるしかないんだろう」
「その通りだ。最も、お前はどこまで信用しているか怪しいが」
「突拍子もないことを叩きつけられているんだぞ。いきなり何から何まで信じろというほうが無理だ」
「構わん。どうせいずれすべて信じることになるのだからな」
オラクルが言ったことはこうだ。
まず一つとして、ここ――すなわちこの世界のことだが――は大前提としてある電脳の中に存在しており、その全体は主に二一世紀社会をほぼ完璧に再現した模造品である、ということ。
突拍子もない話とは言い切れない。しかしながら、言われたところで「ああそうですか」とすらなってしまう、それほどに実感の薄い話だった。
昔からSFではよくある話だ。僕らが生活している世界、勝手に真の現実であると何の根拠も持たずに確信している『現実』という世界が、実は電脳空間で恐ろしく精密なシミュレーションした贋作の世界であったという話は僕にも聞き覚えがあった。
曰く、例えば僕らが何かを食べているようなとき、外部からそれを見ると「電気信号が交わされている」だとか「ただの情報のやりとり」であるように見えるらしい。とはいえそれこそ実感の湧かない話である。
なぜなら僕たちには「何かを食べている」とき、僕たちは実際に世界に居て実際に「それを食べている」と感じているからだ。内部存在には絶対的に理解できない壁がある。
ともかくそうして我々人間は様々な事情――外世界、すなわち本来の意味での現実世界の大気汚染やら放射能などによる環境の劣悪化やら、本当のところなんだかよくわからないが――があって丸ごと情報化され、現状を言えば人類は知らず知らずのうちにここという世界をシェルターのようにすることで来るべき時まで備えているのだという。
仰々しい話だった。仮にすべてが電脳世界で行われているシミュレーションだとしても、僕たちはその中でそれを現実として、現実的な社会を構成して、現実としてそれなりに楽しく生きているのだ。
オラクルには悪いが、人類の大半はむしろこのままでもいいとさえ思っているのではないだろうか。
それほどにこの世界、この現実は実に普遍的で、普通で、平凡だ。
話を戻そう。
人類を囲う箱庭には、精巧で現実的な社会を生み出せはしたが、様々な場所で情報的軋轢が生じた結果として、度々不具合を発生させるようになってしまったらしい。
オラクルは「『世界』は99%の精密精巧で作られてはいるが100%の完全ではない」だとか、「そもそも惑星一つを丸ごと情報化しているのだから無理が生じないわけがない」だとか、やけに言い訳じみた台詞を連続させた。
バグの発生について、今のところ想定の範囲内ではあるというが、これからのことはわからないという。
不具合発生時は、とりあえず簡易的な修復措置をとったもののうまくいかず、結果として僕らのように不具合を認識してしまった人間が多く出たらしい。その当初は記憶改竄などで対処していたが、辻褄の合わない状況は更なる軋轢を生み、やはり不具合を生んでしまったようだ。
そこで、少し前――こいつのいう「すこし」がどれほどのものか見当もつかないが――からは不具合に見えた人間をこうして呼んで、カウンセリングもどきのようなことをし始めたのだと彼は言う。
だがその目的は別にあるようだった。
「端的にこちらから用件を言わせてもらうとしよう」
「用件だって?」
「そうだ。本来であれば直接こうして話す必要などない。その気になれば、〝ソフトウェア〟をインストールさせて使命感なりやるべきことなりを事細かに書き込んでやればいいのだ。……が、それは余りに人間性を損なう行為だ。そもそも、一方的に仕事を押し付けああしろこうしろ言うのは些か理不尽だろう。それはフェアではない。私からすれば職権濫用に等しい行為だ。それ故、まず当人に説明し本人の意思を尊重することにしている」
律儀なものだ。ホワイト企業でも目指してるのか。いや、やろうとしてることは酷くブラックな話だけども。
……けど、今回はその律義さに救われたのかもしれない。
オラクルの言うように何から何まで書き込まれる――それも本人の知らない間にだ――などロボットと同じだ。自分がロボットのような存在になるだなんて考えるだけで恐ろしい。
「なに、簡単なことだ。君は世界に存在する『存在し得ないもの』を認識し、理解してしまっている。――だが、それは本来『在り得ないこと』だ。人間の許容できる情報を超えてしまっていて、つまるところ君自身も世界にとっては立派な不具合存在と言える。となれば、世界の辻褄を合わせるため、これを粛清せねばならない」
「物騒な話だけど、前置きだろう? 粛清なんてことを本気でするつもりなら、とっくに行使しているはずだ」
「察しがいいじゃないか。その通り、これは本来であればの話だ。心配することはない。そのための取引であるのだからな」
「取引?」
「こちらの要求をいくらか飲んでもらう代わりに、ある程度見返りを約束する。ただそれだけのことだ」
「僕は言葉の定義を聞いているんじゃない」
「まあ慌てるな。その話に入る前に一つだけ確認しておこう」
「?」
「身構える必要はない。これからする質問も、その答えも、君は既に知っているはずだ」
なんのこっちゃ。
――でも不思議と、否定する気にはならなかった。
「回りくどいことはこの際言わない」
オラクルの姿がぶれて見えた。
というより、別の人物が重なって見えたのだ。
伝記による外見の補正は、リアルタイムで更新されるのだろうか。
「君にはもっと相応しい問いがある」
いや、そんなことはない。
ただの願望だ。これは僕が、こんな状況ならば誰に言われたいのか――その世界への入り口を開けるのが、ただ彼女であってほしかった――という痛々しい願望を心に浮かべているだけなのだ。心象風景は、たった今僕の視界で――否、心の中でのみ具現しているに過ぎない。
「一つ聞こう」
――ねえアナトリ。
「ファンタジーは、嫌いかね?」
馬鹿言え。
そんな男が、いるものか。




