4『在処と茶番』
馬鹿言え。
幻想に惹かれぬ男がいるものか。
質問は冗談で言ったと理解していた。
僕は灰色思考を嫌っている。一度きりの人生ならば謳歌しているほうが幸せだろう。ましてや、ファンタジーだ。そんな灰色と無縁の言葉から逃げる輩がどこに居ようか。
『幸せになる』ためには、まず『幸せである』ことこそが重要なのだ。――そう思い込んで、いや思い込めるように生きてきた。そんな僕を少なくとも年単位で見てきている彼女が、「世界を嫌っているのか?」などという愚問を本気で投げるわけがないのだ。
付き合いは短くない。僕には、からかっているだけだ、と直感でわかった。
『世界の在りか』を聞いたとき、僕はただ疑問に思っていた。
不具合の存在だけを理由に、彼女たちが世界そのものの現実性に対して懐疑心を抱くのには多少の疑念があった。とはいえ、それは大きな問題ではない。問いただして何もかも聞くのはいいが、面倒だし、何よりそれは野暮というものだ。
――とすれば、この場においては話を信じるか否かの問題なのだ。加えて少なくとも、彼女らは僕に『信じてもらえる』と考えているはずである。であれば信じてみるほうが手っ取り早いし、何より『面白い』に違いない。
深い意味もない。ただ単純に、これから巻き込まれるであろう未知の世界に、今まで読んできた本の知識を活かす準備ができればそれに越したことはない――などと思っただけに過ぎない。
つまるところ、『この世界』がファンタジーが当たり前に存在する人工宇宙をベースに、現実世界を模倣した『惑星』をつくっているのか。それとも電脳世界の類の中で仮想の『現実』を生み出したのか。はたまた全ては誰かの夢の中なのか、ということが知りたかっただけだ。
しかしながら紅蓮の少女にとっては、世界をバラ色に見ようと努めてきた男が『世界を出た後を前提にした話』、つまり世界を否定したともとれる発言をしたことが、ただ単純に滑稽だったのだろう。
あからさまな皮肉だ。
言い換えれば「素直じゃないね」と彼女は言っているだけに過ぎない。おおかた「こんな『興味深い』世界を目の前にして、わざわざ出る気もない癖に――」といったところだろうか。
そんなことはわかっているし、彼女のほうも言わずもがな、よくわかっている。
僕が何か言うまでもなく、ミットライトは僕の質問に答えた。
「嫌でも明日にはわかるようになってるはずよ。もう既に条件は満たしているのだから」
「条件ね。いつ満たしたのかは知らないけど、いよいよそれっぽくなってきたじゃないか」
声色に興奮の色が混ざる。
「なんだかお二人のやりとりについていけていない気がしてならないのですが……」
ロイエはそう言って俯いていた。いつの間にか置いてけぼり食らって悲しくなっているのかもしれない。ごめんね。
「条件と言っても、そう大それたものではないわ。その場で違和感を認識し、思い返して理解する。そうして世界に懐疑的になる決定的な情報さえ得られれば、あとは世界が勝手に背中を押すの。『この世界は幻想だ』~ってね」
なんとまあ。二人してわざわざ昨日を振り返らせたのは、ひとえに条件を満たす必要があったからというわけか。
しかしまあ緩そうな条件だこと。
「でもちょっと待って、明日にわかるってのはどういう……わかるようになるって言い方、なんか含みがあって怖いなあ。流石に改造手術とかされるのは恐ろしいんだけど…」
「なんでそこでそうなるのよ」
「それについては安心してください。また魘されるだけです。目覚めた頃にはおおかた理解しているはずでしょうから、その時にまた話しましょうか」
僕が頷くと、ミットライトは「さて」と言いながら立ち上がり、僕を指差した。
漫画ならば、間違いなく『ビシッ』とかいうオノマトペが入っていそうな勢いだった。
「もう一晩泊めてもらいなさい。そのほうが双方にとって安心だし」
それがいい。何か万が一があったとき知識のある人物が近くにいるのは頼もしいことだ。しかしあくまでそれはそれ。正直な話、またとないチャンスだ。今夜はベッドを堪能するとしようじゃないか。
だが僕はあくまで紳士的に振舞うのである。ジェントルメンは煩悩を顔に出さない。理性の仮面を被るのだ。
「もちろん僕はそのほうが助かるけど、ロイエはいいのかい? 魘されたら汗かくだろうし……流石に今夜はソファで寝ようとは思うけど」
ロイエに視線を動かして、はっと気づいたふりをする。
「そう言えば、昨晩も魘されてた上にベッド借りてたんだったか……ごめん」
「いえ、過ぎたことですので。今夜もどうぞベッドで寝てください」
臭いは過ぎてないと思うんですけど。
くくっ、しかし計画通りだぜ。口端が上がるのを抑えるので精いっぱいだね、まったく。何がジェントルメンだって話だよな。今の僕はまるで孔明だよ。孔明。
「折角だから私もここに泊まっていくわ」
「おう、床で寝ろよ――い痛いいァアアーッ!?」
眼に見えぬ速さで視界が動く。何が何やらわからぬままに、僕はいつの間にか組み伏せられていたのだった。
かなりクリアに三途の川が見えた気がする。……いや比喩だけれども。兎も角くらくらしていて、十文字固めを食らっていたのだと気づくまでに結構な時間を要した。
何が起きていたのかわからないし自分が何を言っているのか僕にもわからなかったが、とにかく恐ろしくヤバい何かの片鱗を味わったような気がしたぜ。ってやつだぜ。
いや、本当に見えないくらい速かったんだけど。こわ。
そんなこんなで結局のところ、今夜は僕が床、ロイエがソファ、ミットライトがベッドで寝ることになったのは言うまでもない。
ただミットライトがベッドで寝ると聞いたときは一瞬「気があるのか」とも思ったよね。だって汗めっちゃしみ込んでそうじゃん? そこに寝るって言ったら「はぁ~○○の匂い~」からの「べ、別にそういうんじゃないからね!」みたいな展開を健全な男子高校生なら想像することはあるはずだ。
けどね。流石にベッドに向かって消臭スプレーをガンガンかけている赤毛ロリの姿を見たらさ、もうなんかお父さん悲しくなったよ。
*
「……っていうか、考えてみたらまだ午前中なんだよなあ」
目を覚ましてから、それほど時間は経過していない。各々の寝床を決めた後には、不具合とやらについての話を時折交えてはいたものの、僕らはコーヒーを飲みながらに他愛もない話をだらだらと続けていた。
「私としても、まだ午前中だというのにもう寝床の話を繰り広げていたのは流石に自堕落というか……だらしない気持ちになりましたね」
「アナトリは性根がニートのそれと変わらないのよ。屁理屈ばっかり上手だけど」
言いたい放題かよ。
「元はと言えばお前が泊まれだのいう話をしたからじゃないか」
「いきなり寝床の話をしたのはあんたじゃない」
「いやなに、ただもう一晩泊まることになったんだから流石にベッドを使うのは申し訳ないと思っただけで……」
「貴方そう言ってるけどね、自分の汗の染み着いたベッドに年頃の女の子寝かせようだなんて歪んだ性癖にも程があるわよ」
「人聞き悪過ぎるだろそれ!」
「うわあ」
「君も信じなくていいから!」
初対面の女の子に引かれるのだけは御免だ。つらい。
「冗談ですよ。……でもそうすると、何故ミットライトはそんなベッドで寝ようとしてるんです?」
ロイエは悪い笑顔を浮かべる。
お? これは思わぬ援護が入ったぞ。
「え?」
ミットライトは思わず素っ頓狂な声を上げる。
珍しい。そんな反応はこれまでなかなか見たことがない。
「ああ、なるほど。そういうことですかぁ。ミットライトも乙女ですね」
にやにやとロイエが笑いながら囃し立てる。
こちらも当初感じていた真面目そうな印象とは違っていた。茶目っ気のある声音。
どうやらロイエは真面目で几帳面そうではあるが、堅物というわけではないようだ。
「なーーーーーーーーに言ってんのよそんなわけないでしょ」
一方、ミットライトは呆れたように言い放つ。
「アレよ、床で寝るよりマシなだけよ」
お前らの言いたいことはわかってんだよ、とでも言いたそうな顔を浮かべて、彼女はコーヒーを一口啜る。
ちっ、可愛げのない奴。
「またまた、照れなくていいんですよ?」
「僕もそういうの嫌いじゃないから、全然、全くもって素直になって構わんのだぜ」
「だまらっしゃいガキンチョ共、私はそんなに男に飢えとらんわハゲ」
ちょっとばかしからかっただけなのに三倍くらいの刺々しさで返ってきた。誰もハゲとらんわハゲ。
「強い言葉を使うのはよくないぞ、弱く見えるっていうからな」
「そうですよ。ツンデレキャラは幸せになれませんよ」
だいぶ偏見混じってるなそれは。
「もう!何よ!二人してそうやって『一般向けのアニメでお互い全く関連の無いキャラクター同士を腐女子が勝手にカップリングさせて腐ってないファンに押し付けて萎えさせる』みたいなのやめなさいよ!」
「何そのめちゃめちゃピンポイントな例え」
「……何かそういう体験でもあったんですかね?」
「抱えた闇が深そう」
小並感である。
「とにかく、特に好きでも何でもない相手を無理やり好きみたいにされるのって結構無性に腹が立つのよ!」
見た目ロリはプンスコ怒ってしまった。うーんかなしい。ここまではっきり言われると泣けるぜ。こりゃあ脈ナシじゃないか。
……というより、わりと必死なトーンだったから、こちらとしてもなんとなく罪悪感に苛まれるものだな。こりゃ。
「なんか今ちょーーーっとだけブルーな気持ちになること言われた気がするんだけど」
「でもなんだか罪悪感が湧いてきましたね」
「僕に言ってたのかな、さっきの」
「私にも言っていたとは思います」
「対象は全人類よ」
ロリは俯きながら放言した。
「スケール大きすぎませんかね」
「うるさい」
こう見ると、どう見てもからかわれて落ち込んでる子供を見ているかのようだ。
「悪かったよミットライト。僕だってたまには女の子にいい匂いって言われたかったんだよ」
「その弁明はどう考えても直球過ぎると思うんですが……」
ロイエは頭を抱えた。
「流石に寒気がするわよ」
「やっぱり嘘でも何でもいいからいい匂いとか何とか言われたいもんじゃん」
「ばーか。そんな一ミリも思ってないことなんて言わないわよ。もし仮に言ったとしたらアホを勘違いさせちゃうじゃない」
「そんなことしないよ。期待するだけ悲しくなる」
彼女が僕に対して趣味の合う雑談相手程度にしか思ってないのは承知のことだ。それは長年の付き合いでよくわかっている。ロイエが囃し立てるのには多少驚いたが、こちらとしては変な勘違いを起こすつもりもないのだ。
*
「……捻くれてるなあ。どっちも」
ロイエは小さく呟いた。呟いたかどうかすらもわからないような、酷く微かな声。自分以外に聞こえるはずもない。行き場を失った音。
啜ったコーヒーは苦かった。
「素直じゃないね」
時計はもうすぐ正午を示そうとしていた。




