マリア・パティスリー
ローランの支援する【ファルクラム派】の拠点は、港町≪ラチェスタ≫にある。
かつて、内戦前は風光明媚な観光地として有名だったこの街も、今は町の中心部の建物にまで弾痕が及ぶ。
そして、この街に縁もゆかりもない派遣の身であるローランにとっては、政務庁舎の向かいにある宿舎が自宅となっている。
職場が近いのは、良くもあり、悪くもあるが、日頃緊急召集される軍人にとっては、文字通り悪い方の意味で死活問題だろう。
帰還後、ローランは簡単に報告を済ませ休息のため自室へと向かう。
次に、またいつ戦闘が発生するか分からない。
だから休めるときに休まなくては体がもたないのだ。
自室に続く廊下を曲がると、部屋のドアに誰かが寄りかかるようにして立っているのにすぐに気付く。
ローランは一瞬だけ身構えるが、すぐにその必要がないと判断する。
なぜなら、その人影はローランのよく知る人物だったからだ。
「ローちゃん。おかえり!」
そこには、年相応の可愛らしい笑顔を湛えた少女が立っていた。
金髪碧眼の美少女 ――― イリスだ。
暗い軍宿舎には不釣り合いの、あどけなさの残る彼女がここに居る理由。
その理由は簡単で、彼女には、この港町に自宅はおろか身寄りもといったものは何もないからだ。
つまり言い換えると、それは彼女が戦争孤児であるということ。
だから彼女はローランと同じ宿舎組であり且つ、この内戦の最も深刻な被害者でもあるのだ。
「イリスか。まだ、休んでなかったのか」
すると、イリスは横目でこちらを見ながら、
「・・・ローちゃん忘れちゃったの? ケーキ奢ってくれるんでしょ!」
と、不服そうにぷくっとほっぺたを膨らませる。
極度の疲労と早く休みたい気持ちが重なり、ローランの顔が思わず引きつる。
( ――― まさか、今日行くのか・・・?)
「あ、ローちゃん。いま、あからさまに嫌な顔したでしょ・・・」
「いや、少し疲れてるだけだ・・・本当に今日行くのか?」
嘘をついても仕方がないので、ローランは正直に答える。
すると、急に残念そうに自分の足元に目をやり俯くイリス。
そして呟くように、「うん。だって・・・」と、一瞬の間をおいてから、
「明日、生きてるって保証は・・・どこにもないでしょ」
――― 戦争は残酷だ。
こんな幼い少女にまで、嫌が応にも死を予感させてしまう。
ましてイリスは実戦にも参加している。
その負の感情は、同年代の子に比べて一際大きいものがあることは予想だにしない。
この内戦下において、当たり前の事実に基づいて放たれたイリスの言葉。
そのあまりの素朴さに、ローランは自分の胸が激しく痛むのを感じた。
自分が軍人になった理由。
――― それは一刻も早く戦争を終わらせ、子供たちに笑顔を取り戻すため。
しかし、現実はどうか。
その子供に戦争をさせているではないか。
そして残念な事に、いまではそれが常態化してしまっている。
しかも、ローランは彼女を難度の高い作戦に投じて、命の危険にまで晒させている。
少なくともあと四年、彼女には戦争に縛られずに生きる権利があったはずだ。
「ローちゃん。疲れてる・・・よね。無理言ってゴメンね」
と、イリスは少しがっかりした表情で呟く。
そして弱々しく微笑むと、
「また今度で大丈夫だから! 約束、絶対に忘れないでね・・・」
と、くるっと小さな背中を向け立ち去ろうとする。
「いや、今日行こう。約束だからな」
慌てて声をかけるローラン。
するとこちらを振り向いて、イリスは一瞬きょとんとする。
しかし、その言葉の意味を理解すると、すぐに天使のような最高の笑顔で微笑んだ。
■ □ ■ □ ■ □ ■ □
港町≪ラチェスタ≫の特徴でもある白を基調とした家々の壁。
そこに、柔らかいオレンジ色の夕日が映える。
高台からは、海がキラキラと輝いているのが見える。
イリスの金色の髪の毛も、同じように艶やかな夕日の色に染まっていた。
そして自分の手には、そのイリスの小さな手が重ねられている。
手を引かれるようにして宿舎を出てきてしまったが。
軍服の自分が子供に手を引かれている様子を街の人はどうみるだろうか。
別に世間体を気にしているわけではない。
こんな光景が、早く当たり前にみられるような世界にする。
それが自分の理想だからだ。
内戦はもう十年以上も続いている。
だがもうこれ以上、幼い日の自分が受けた、あの惨劇を繰り返してはならない。
自分の思い出の詰まった街が破壊され、大切な人が次々に死んでいくという惨劇を。
戦争孤児であるイリスも、恐らく同じ年代の女の子に比べたら、きっと、たくさんの心の傷を抱えているだろう。
――― 彼女は本当に、心の傷を癒やすことができているのだろうか。
少なくとも両親を失うという、癒し難い大きな傷を。
無邪気で嬉しそうに笑顔を湛えた、その少女の横顔を見ながら、そんなことを考える。
広場に面した店、マリア・パティスリーは港町≪ラチェスタ≫で唯一の菓子店だ。
長引く内線の中、嗜好品の類を扱う店は殆ど閉店してしまった。
実際、国内の経済状況も最悪で、潤っているのは兵器商くらいなものだろう。
店のドアをくぐりながら、
「好きなの買っていいからな。遠慮はいらないぞ」
と、ローランはイリスに告げる。
するとイリスは、「やったぁ!」
と、大げさに歓喜の声を上げ、店内のショーケースを次々に物色する。
色鮮やかで華やかな菓子は何か特別なもののように感じる。
色彩に乏しい糧食に慣れてしまったせいもあるのだろう。
昔は当たり前のように家族で食べていたはずなのに。
「イリス、これにする」
指さした先には、フルーツのたくさん乗ったタルト。
ローランはすぐに、店員に声をかけてケーキを包んでもらう。
「タルト、好きなのか?」
「うん。ママと良く一緒に焼いたの思い出しちゃって・・・」
寂しそうなイリスの表情を見て、かける言葉が続かない。
やはり、傷が癒えていると考えるのは浅薄だろう。
イリスの家族は戦争被害者で、親族も含め全員亡くなっている。
故郷は北部の経済都市≪ガラルシティ≫。
反体制派の勢力が強く、今回の内戦で徹底的に政府軍の非人道的な爆撃を受けた地域だ。
店を出てから、特に交わす会話も無く歩く。
すると、突然イリスが、
「ローちゃん。今日はありがとう!」と、ローランを見上げる。
その表情には少しだけ恥ずかしげな微笑みが湛えられていた。
ただ、ローランにはその笑顔がどこか儚く見えてしまい、
「ああ」と短く答えるのが精一杯だった。
――― ローランには四才年下の妹がいた。
二年前に亡くなったが、もしまだ生きていたら今年で十四歳になる。
イリスと同い年だ。
彼女もまたお菓子の類が大好きだった。
もし、もう一度、妹に会うことができたなら。
何度そう思ったか、数えきれない。
もう二度と取り戻すことのできない家族の温もり。
自分が守れなかったものの大きさを、改めて痛感する。
■ □ ■ □ ■ □ ■ □
「いつも苦労をかけるな。ローラン」
ブロンズの髪の青年が、労いの言葉をかける。
彼の名は、ゼルガー・ファルクラム。
年齢はローランよりは上だが、その若々しい風貌は彼がまだ二十代であることを示している。
もともと彼の父親は、この地方を治める有数な実力者であったが、二年前の政府軍との戦闘で既に死亡している。
つまり現在、彼は死亡した父親の後を継ぐ形で、港町≪ラチェスタ≫の政務官を務めており、そして同時に反政府ゲリラ組織である【ファルクラム派】の代表でもある。
「恐縮であります」
ローランはそう短く応えてから、軽く会釈する。
世襲とはいえゼルガーがやり手であることは、ローランも熟知している。
その証拠に彼がこの街を治めるようになってからは、周辺で発生する戦闘は激減した。
以前のように街中を弾丸が飛び交うような状況も、今はほとんどない。
その大きな理由は反政府ゲリラ組織の【祖国解放同盟】への加盟。
これにより、政府軍に抵抗するための必要な戦力を調達することができた。
加えて、人材の引き抜きの手腕も見事なものだ。
ローランやベータ、イリスも、彼に引き抜かれたといって過言ではない。
「また、イリスに助けられたそうだな」
ゼルガーはローランにそう告げて苦笑する。
イリスが配属された時、ローランはそれに強硬に反対した。
子供は戦力にはならないと。
ただ、それは彼の信条に反するからであり、論理的な回答ではなかったのだが。
何も反論できずに苦笑しているローランに、
「これで政府軍も態勢を整えるのに時間がかかるだろう」と、ゼルガーは話を続ける。
そして、まじめな表情をすると、
「次は政府軍の拠点≪デルファイ≫を落とし、補給線と勢力の分断をしようかと思う」
「そのくらいは敵も予測しております」
ローランが即答する。
またか、とやや諦め顔のゼルガー。
こうなると、いくら反論してもゼルガーはローランには勝てない。
「では、どうしたらよい?」
「政府軍の首都を直接制圧しましょう」
「本気か? しかし、首尾良く首都を制圧したとしても周囲は敵だらけだ」
この意見には、さしものゼルガーも困惑の表情を浮かべる。
「反撃されることは必至、首都もすぐ奪還されてしまうのでは?」
と、ゼルガーは問い、「まず補給線を断って、敵勢力を弱体化させるのが先決だと思うが」
するとローランは、落ち着いた態度で事もなげに応える。
「承知しております。しかし、敵の反撃は予想されません」
「何故だ?」
思わず眉をひそめるゼルガー。
「政府軍はすでに内部から瓦解しているということです」
と、ローランはゼルガーに報告書を渡し、
「近々、政府軍の首都≪バルスト≫で大規模なクーデターが起きます」
「それは、確かな情報か?」
「信頼できる内通者からの情報です」
腑に落ちない様子のゼルガー。
当然だが、情報が間違っているリスクはある。
ゼルガーはそれを懸念しているのだろう。
しかし、今の状況は確実に有利に働いている事をローランは知っている。
だから、ローランはそのまま話を続ける。
「今の政府軍は、クーデターが起きて当たり前なほど士気が落ちています」
それに、と続けて、
「どちらにせよ、我々の出番は事が起こった後、何もなければ途中で引き返せば良いのです」
それを聞いたゼルガーは、少し納得したように頷く。
「それで、クーデターが成功する確率は?」
「恐らく無いでしょう」
「では、どのように事に乗じるのだ?」
「クーデターの目的は、あくまで周辺兵力の消耗」
と、ローランは報告書に線を引きながら、
「南部に展開している政府軍も、すぐには動けないでしょう」
「あそこは、大統領の出身地だったな」
首都≪バルスト≫の南部に位置する地方都市≪マラン≫は、現大統領の出身地。
支持基盤でもあるから、守備隊を簡単には剥がすことはできないだろう。
「なるほど、その間隙をついて我々が制圧するわけか」
理解すればゼルガーの決断は早い。
「わかった。では、早速準備に掛かれ。この報告書によると期日もないようだしな」
ローランはゼルガーからの了承の言葉を受けると、
「承知しました」と、一言だけ告げて、早足で部屋を退出した。